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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
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泰平の階~70~

 周囲が闇に溶け込んでいった。月の光が窓から入ってくることもなく、蝋燭の火もない。ただ闇の中に、新莽と呼ばれていた男が独り、置物のように存在していた。

 まだ新莽は生きていた。しかし、生物として生きているというだけであり、条国における武人としての新莽はすでに死んでいた。

 『もう、俺は終わりだ』

 領地を奪われ、家名も断絶。愛妾も去り、間もなく生命も露と消える。もはやここで生きている必要などなく、あるいは武人として潔く自刎すべきなのではないか。新莽は、円洞が去ってからそればかり考えていたが、やはり自裁はできなかった。

 『確かに俺は敗北の将は俺だ。その罪は受ける。しかし、何もかも奪われ、死罪と言うのはあまりにも酷ではないか』

 という燻った思いがあり続けた。古来より条国において敗軍の将は数多くいた。戦史を紐解けば、新莽よりもひどい敗北をした将軍もいる。しかし、新莽以上の罰を受けたは敗将はいないであろう。

 『何故俺だけが過酷な目に遭うのだ!』

 それを分からぬ限りは死んでも死にきれない。それが新莽に残された最後の生きることへの灯であった。

 空気が動いた。闇の中なので何も見えぬが、何かが動いただけは分かった。

 「誰かいるのか……」

 新莽は潜めて言った。すっと何かが近づいてきた。

 「ご無事ですね、叔父上」

 「その声は……魏介か?」

 左様です、という声には力があった。

 「生きておったのか?」

 「はい。斎興の軍に敗れ、捕まっておりました」

 「無事で何よりだ……」

 新莽の本心であった。最期に身内が潜んで会いに来てくれたのは素直に嬉しかった。

 「俺はこの様だ。新家は断絶で、俺ももうすぐ刑死する。お前は生き延びて、新家の命脈を後世に残してくれ」

 「何を仰るのです。私は叔父上を救出しに参ったのです」

 「救出だと……」

 「今回の条公の御沙汰、あまりといえばあまりのこと。我らが新家代々の忠節を思えば、敗北したとはいえ、あまりにも理不尽な御沙汰でありましょう。唯々諾々と従う必要はありますまい」

 「それはそうだが……」

 「私は捕虜となっていましたが、すぐに解放されました。その折、斎興様にお目にかかりました。実に器量が大きく、人臣の上に立ちに相応しいお方であると感じました。それに引き換え条公はいかがでありましょうや?我ら家臣が命をかけて働いている最中にも栄倉宮から一歩も出ず、思うがままに生きておられる。そして今回の沙汰です。我らが武人が英主として仰ぐのはどちらでありましょう」

 魏介が何を言わんとしているかは充分に理解できた。そしてその方法こそが新莽が生き続け、条高から蝶夜を奪い返す唯一の手段でもあった。

 「しかし……」

 新莽には武人としての迷いもあった。新家の遠祖は条家から枝分かれし、長年に渡り条家に仕えてきた。その条家を裏切るというのは明らかに不義であり、武人としてそれは許されるのかという葛藤が新莽にはあった。

 「叔父上、領地を奪われ、家名を断絶させそうになって、なんの忠義でしょう。。新家の家名をあげるのは今が時です。新家が条家の束縛から解き放たれる。今がその時です」

 まだ相変わらず闇しかない。しかし、魏介の言葉は闇に刺すまさに光のように思えた。

 『もはやこのまま待っていても死しかない身か……』

 それならば命を賭けてひと花咲かせようというのも武人ではないか。新莽の中で精気が蘇ってきた。

 「やるか……。魏介、付いてきてくれるか?」

 「勿論でございます。そのために忍んで参ったのです。叔父上となら泉下までお供いたします」

 「ならば行こう。しかし、どこかあてはあるのか?」

 「ひとまず母の下に参りましょう。それと領民は叔父上のことを慕っております。匿ってくれるでしょう」

 魏介の母は新莽の姉である。新莽の所有している領地内にて食邑を得て自適に暮らしている。

 「よし。そこで捲土重来を待つとしよう」

 その晩、新莽は軟禁されている邸宅から忽然と姿を消した。当然ながら条高はその姿を広く捜させたが、見つけることができぬなかった。

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