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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
386/962

泰平の階~66~

 魏介軍に勝利した劉六は、休む間もなく軍を進めた。魏介軍が有していた武具を味方の兵士に着せ、軍旗も拝借した。要するに魏介軍に偽装して、槍河を渡河したのである。

 「この作戦の肝は、渡河してきた部隊から武装を奪うこともあるが、敵を大きく敗走させないことにもある」

 劉六は、潘了に解説するように語った。

 「大きく敗走させない、ですか?」

 「そうだ。敵が集団で敗走して槍置の敵軍と合流すれば、こちらの偽装がばれてしまう。だから、敵を大きくこちらに誘引しておく必要があった。それに加えて橋を落としておけば、敗走兵が槍置の敵陣に到着するよりも早く、我々が接近することができる」

 「なるほど。それならば、敵将を拘束できたのは、なおのことよかったですな」

 「そういうことだ。将が健在であればそこに集結できる。しかし、将がいなければ兵士達は思うままに逃げるしかない」

 潘了は劉六が意図したことを正確に読み取っていた。やはり彼は目の付け所がいい。

 「あとは江文至様の活躍次第ですな」

 江文至が率いる先陣は、明日の夕方には敵本隊の見える場所まで到達するだろう。

 「手筈通りやれば大丈夫だ」

 ここまでくればほぼ作戦は成功したと言っていいだろう。もはや劉六がすることはほとんどなくなっていた。


 槍置山系の麓で滞陣を続ける新莽は流石に焦れ始めていた。

 『このまま大軍を擁して、小さな山城を抜けぬようでは、栄倉への聞こえが悪い……』

 勝たねば武人は評価されない。特に尊毅を出し抜き、名実共に条公に仕える武人としての第一等の地位を得るには、こんなところで躓いてはいられなかった。

 「魏介は何をしているのか……」

 そろそろ山城の北側に回り込んで、山城を脅かしてもおかしくない頃合いである。しかし、敵の山城は未だ変わらぬ静謐を保っていた。

 『あるいは敵に気取られたか……』

 そうなればまた別の作戦を考えなければならない。だが、まるで妙案が浮かばずにいた。すでに陣中では、新莽の作戦指揮能力について疑義を抱いている諸将もいるという。そのことも新莽の焦りとなっていた。

 さらに追い打ちをかけるようにして北方から『魏』の文字が入った軍旗が見えた、という報せを受けた。自分の目で確認したいと思った新莽は、本陣近くの見張り台に上り、北方を眺めた。確かに魏介の軍旗が力なく斜めに傾いているのが見えた。

 『魏介はしくじったのか……』

 その事実は新莽のこころをさらに暗くさせた。これでまた一から作戦の練り直しである。諸将の冷厳な視線を前にして、軍議を開かなければならない。気を重くした新莽は、とりあえず意気揚々と出陣していった甥御を叱責すべきなのか、それとも労を労ってやるべきなのだろうか。どちらにすべきか回らぬ頭で考えていると、さらに信じられない光景が出現した。魏介軍が突如停止して一斉に矢を射掛けてきたのである。

 「魏介!血迷ったか!」

 まさに悪夢であった。魏介が裏切ったのか。突然の味方からの攻撃に、北方の部隊は混乱し、著しく態勢が崩れた。やがて『魏』と書かれた軍旗はことごとく地面に捨てられ、代わりに『斎』の軍旗が立てられた、真っ向から突撃してきた。

 「謀られた!敵は魏介の軍にばけていたんだ!」

 要するに魏介は敗北し、軍旗を奪われたことになる。それだけでも屈辱であるのに、敵の偽計に利用されたことになる。武人としてこれほど恥ずべきことはなかった。

 「引くな!これ以上、恥辱に塗れて、どうして条公に合わす顔があろうか!」

 新莽は懸命に叫んだ。しかし、一度混乱すると、大軍は歯止めがかからなくなり、混乱が伝播していった大混乱に陥った。そして、それを待っていたとばかりに、槍置の山城から敵軍が出撃してきたのである。

 「我が軍略が成ったぞ!敵陣を思う存分に切り刻め!」

 出撃してきたのは斎興自身であった。余談ながら、この時に斎興が『我が軍略』と叫んだのは、劉六の手柄を我がものとするためではなく、事前に劉六と打ち合わせてのことであった。

 『この度の戦の勝利はすべて斎興様のお力によるものです。それを大々的に宣伝してください。そうなれば天下の衆望は斎興様、さらに斎公に集まります』

 劉六は自分の名前を徹底的に隠すことにした。手柄をすべて斎興に集約し、斎興に常勝の神秘性を塗りこんだ方が世情の人気を集めることができると判断したのである。

 『今後、斎興様が天下に打って出るならば、その方よい。それに私があくまでも医者だからな』

 劉六は、未だに自分の本職は医者であると思っていた。少なくとも千山が完全に安全となるまでは斎興の下で働こうと考えていたが、それ以後は千山で医者に戻るつもりでいた。だから自分が軍略家として有名になることを極端に恐れていた。


 さて、大混乱に陥った新莽軍は軍隊としての機能が完全に失われていた。すでに命令指揮系統などなくなっており、勝手に離脱していく部隊が続出した。

 「ここで奮戦したところで負けは確定だ!離脱するぞ!」

 「新莽などについたのが運のつきだ!」

 「もはや条公の命運もつきかけている……」

 そもそも寄せ集めの諸侯達で構成された討伐軍である。彼らは自分の意思で戦場を離れようとした。このことがさらなる混乱を生んだ。

 「あやつ、逃げようとしているぞ!」

 「もしやあいつらも裏切ったのか?」

 「我らが進路を塞ぐ者はことごとく討て!」

 疑心暗鬼が悪性の強い伝染病のように急拡大していった。逃げる者達、進路を塞ぐ者は、味方であっても敵となり、凄惨な同士討ちが各所で繰り広げられていた。この混乱を治めるべき新莽はすでに遠く戦場から離れており、敵である斎興軍ですら撤収していた。

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