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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
375/960

泰平の階~55~

 船丘に入った和交政は、斎治達には私邸で休息してもらうことにして、自らは父である和芳喜に会いに行った。

 「どうしたのだ?お前から会いに来るとは珍しい」

 和芳喜は長子である和長九と酒を飲んでいた。この様子からして、斎治が哭島を脱出したという報せはまだ届いていないらしい。

 「また酒場で良からぬことを喚ていると思っていたが、まぁいい、お前も飲んでいけ」

 和芳喜は杯を差し出した。和交政はそれを受け取り、和芳喜自ら酒を注いでくれた。

 『兄上がいるのなら都合がいい』

 和交政は酒を一口飲みながら、父と兄を交互に見やった。父の和芳喜は武装豪商である和氏の頭領として人格も才覚も申し分なかった。そのため常に打算と利益しか考えていないところがある。商人としては当然のことではあったが、斎治を担いでの義挙を行うとなると、やや不安を感じるところがあった。斎治に献金をしていたのも、斎治の境遇に同情してのことというよりも、見栄と打算の部分が多いであろう。

 『父は教養が足りぬ』

 和交政はそう思っていた。教養があり、斎国と条国の歴史を知れば、どちらがこの国の主であるかは一目瞭然であった。和芳喜にはそういうことを考える素養を持ち合わせていなかった。

 その点、兄は違うと和交政は見ていた。兄である和長九は豪放磊落な父と違って沈毅なところがあった。若年ながらすでに長者の風があり、時として父も兄の言うことを取り上げることもあった。また和長九は教養人であり、和交政の言動にも一定の理解を示すこともあった。

 「どうした?早く杯を乾かさんか」

 和芳喜が瓶の先を差し出してきた。杯にはまだ酒が残っている。和交政はそれを一口で飲み干すと、杯を裏返しにして床に伏せた。

 「父上、我が私邸に斎公がおられます」

 和交政は切り出した。和芳喜の表情が一瞬固まった。和長九は何事もなかったかのように酒を飲み続けている。

 「交政……それはまことか?」

 父の顔には怯えの色も怒りの色もなかった。だからと言って困惑している様子もなく、きっと和氏の利益になることを考えているのだろう。

 「まことです。私が哭島からお連れしました」

 「痴れ者め!近頃見ぬと思っていたら、そのようなことをしておったのか!」

 和芳喜は立ち上がって叱責しながらも、目は決して怒りに染まっていなかった。

 「父上、お怒りはごもっともです。勝手なことをして、和氏を危険に晒すような真似をしたことをお許しください。しかし、時勢というものをお考え下さい。今の条国は乱れに乱れ、乱や一揆が絶えません。一度は鎮圧された赤崔心や夷西藩も勢いを取り戻しております。これを如何お考えですか?決して諸侯の野心だけではありません。草莽の民衆達が条公の存在に否を突き付けているのです」

 「ふうむ……」

 和芳喜は座りなおした。父には父で思うところがあるのだろう。

 「我ら和氏だけで斎公をお守りするのか?無理であろう」

 「我らだけではありません。天下には斎公を慕う者達が……」

 「そうではない。今すぐのことだ。哭島から斎公が脱出したことはすぐに知れよう。そうなると船丘も検分の対象となり、斎公を匿っていることが露見するだろう。そうなれば当面は我らだけで斎公を守護しなければならない。それができるのか、ということだ」

 物事の計算については流石に鋭い。和交政ができると即答できずにいると、それまで黙っていた和長九が口を開いた。

 「父上、ここは我らにとって分水嶺でありましょう」

 和長九はひどく落ち着いていた。

 「和氏がこのまま地方の武装豪商として終わるのなら、斎公の所在を羊省に注進すればいいのです。もし父上が和氏のさらなる飛躍を望むのであれば、斎公に命運を託すだけです」

 「そんなことは分かっている。どちらの方が採算が取れるのか、ということだ」

 和芳喜はやはり利益というものを考えていた。もし和長九が斎治を売り渡すべしと言えば、父はそれを受け入れるだろう。そうなった場合、和交政は父と兄を敵に回してでも斎治達を守らねばならなかった。

 「五分五分でしょう」

 和長九はひどく落ち着き払っていた。

 「五分と五分か?俺にはまだまだ条公の天下は不動だと思うが?」

 「私はそうは思いません。さっき交政が言ったように、一度乱を鎮められた赤崔心や少洪覇が息を吹き返した時点でも今までとは違うのです。今、我らが考えるべきは、どちらが勝つかではなく、どちらを勝たせるか、ということです」

 和長九の言葉には凄みがあった。要するに、今、天下の趨勢の鍵を握っているのは他ならぬ自分達なのである。和交政は改めてそのことを思い知らされた。

 「う……うむ」

 和芳喜も思い知ったのだろう。腕を組んで考えるように目を閉じた。が、すぐに目を開けて、和長九に視線を向けた。

 「長九ならどちらを勝たせる?」

 「私なら……私はそろそろ和氏は羊氏の支配から脱する時期が来たと思っています」

 和交政は兄を見た。兄がそのようなことを考えていたのはやや意外であったが、心強い味方を得ることができた。

 「確かにそうだ。今や和氏は単なる商人ではない。商人のまま甘んじてこれからの時代を過ごすより、乾坤一擲の勝負をする時が来たということだな。よし、俺は腹を決めたぞ。長九、一族郎党を集めろ。交政、主上にお会いしたい。案内してくれ」

 和交政はすでに立ち上がっていた。

 「それと近隣の諸勢力に文を出すのだ。お前ならそういう者達と付き合いがあるだろう」

 和芳喜はそれまでの躊躇いが嘘であるかのように次々と指示を出した。

 すべてが上手く進んでいる。和交政は自分の身近で時代のうねりが生じているのをひしひしと感じていた。

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