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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
359/962

泰平の階~39~

 夷西藩における反乱鎮圧に対して、尊毅には恩賞が与えられた。わずかな領土が加増されただけであったが、他の諸将にまだ恩賞の沙汰がないことや、与えられた領地が元は条高の直轄地であることを考えれば、格別の配慮であったと言えるだろう。しかし、家中には不満の声も多かった。

 「私達は遠く西方に赴き、反乱を鎮圧したんだ。それに対しての報いがあまりにも少なすぎる!」

 その急先鋒は尊夏燐であった。彼女は家臣達と酒の場になると声高に叫び、兄である尊毅の顔を見ると不平を口にした。

 『そんなこと、私だって分かっている』

 腹立たしいのは尊毅も同様であった。反乱鎮圧による苦労と功績を思えば、恩賞としては少なすぎる。それでも尊毅がその不満を公言しないのは、岳父である条守全への遠慮でしかなかった。

 『もはや恩賞として割譲できる土地はない。許して欲しい』

 条守全は本当に済まなさそうに言ったきたことを尊毅は忘れてはいなかった。生真面目で、一本気な岳父のことを尊毅は心底尊敬していた。だからこそ、条守全の顔を立てたのだが、不満が消えることはなかった。

 「丞相はああ申しておりましたが、実際には主上ならびに円家にはまだ余剰とも言えるべき土地や財産があります」

 ある夜、尊毅が項史直と二人きりで酒を飲んでいると、この忠実な家宰は冷厳な言葉を向けた。

 「条国にはないが、条家と円家にはあるということか」

 「左様です。冷静に考えれば、主上は直轄地を手放し、殿に与えられましたが、代わりに夷西藩全体を得ました。主上としてはより大きな資産を得たことになります」

 「だからと言って我らが夷西藩を貰っても持て余すだけだ」

 「主上と円洞が悪辣なのはまさにそこです。殿がそう思われることを予期し義理の父上である丞相から言わしめたことこそが悪辣なのです」

 「悪辣か……。私は文句を言えない状況にさせられたということか」

 悪辣と言えばそうなのかもしれない。尊毅が過小な恩賞で文句を言わなければ、他の諸将も声を大にしては抗議できない。

 「殿が黙っていたとしても、今度ばかりは諸将から不満の声もあがりましょう。翼国と静国との戦でもそれほど恩賞は出ませんでした。その不満の結果が少洪覇や赤崔心の反乱であり、斎公が求心力を得ている原因でしょう」

 「史直。今日は随分ときな臭い話をするな」

 もともと項史直とはそういう男であった。彼からすると主人は尊毅しかおらず、たとえ条高や円洞であっても畏れることをしなかった。

 「実は先代よりお預かりしているものがあります。お見せするのは今かと思いまして」

 項史直は背後から文箱を出してきた。

 「父上が……」

 尊毅の父は十数年前に病死している。その時尊毅はまだ幼かったので、当時から家宰であった項史直が何事かを申し付けられていてもおかしくはなかった。

 「中身は知っているのか?」

 「いえ。ただ、世が乱れた時に開けよと言われただけです」

 「ふむ……」

 尊毅は文箱を受け取った。紐を解き蓋を開けると、中には二つの奉書が入っていた。

 「随分と古めかしいな」

 どちらの奉書は全体的に黄ばんでおり、朽ちて敗れている個所もあった。尊毅は比較的新しい方から慎重に開いた。

 

『この書状は尊家の当主が代わる度に開かれ、受け継がなければならない』


 という書き出しから始まり、尊家の歴史について書かれていた。

 尊家の歴史は古い。その祖は三代条公の時代まで遡る。

 三代条公には三人の弟がいた。その中で末弟の条歴は賢哲で知られ、父である二代条公も条歴に国主の地位を譲りたいと思い、長兄をはじめとした他の兄弟も異論がなかった。しかし、当の条歴は、

 『国主の継承は親から子へなされるべきです。そうでなければ、次世代の国主継承に際して余計な争いを生むだけです』

 と言って父の申し出を固辞し、栄倉を出て隠遁してしまった。以後、条歴は国主になることはなかったが、当世一の知識人として兄の政治を助けた。その条歴の子が臣籍に降下した際に『尊』の姓を名乗ることになった。

 「単なる歴史書か?」

 それほど大それた文書かと思い、尊毅は読み進めた。

 

 『条歴様、臨終の際、子である尊春様をお呼びなり、こう告げられた。そなたは臣籍に降下されても条家の者である。もし条国が乱れ、本家に国を治める力がないと判断した時は、本家に代わって尊家が条国を治めるべし』

 

 尊毅は奉書を持つ手が震えた。これは一体どういう文書なのだろうか。さらに続きを読み進めた。

 

 『条歴様曰く、これは我の意思ではなく条公(三代目)の意思である。その証を頂戴したので、尊家の家宝として留め置き、当主が代わる度に披見すべし 尊達』

 

 尊達とは六代前の尊家の当主である。その尊達が代々受け継いできたことを文書で残したのだろうか。

 「何と書かれてありましたか?」

 やや心配そうに項史直が顔を覗き込んできた。

 「読んでみろ」

 「よろしいのですか?」

 尊毅は頷きながら、もう一枚の奉書を開いた。そこには先の尊達の文書を裏付けるように、


 『国、乱れし時、歴の子孫が治めるべし』

 

 という一文と、三代条公の名と印が押されていた。尊毅は項史直が読み終わった頃を見計らってもう一つの奉書を項史直に見せた。

 「本物だと思うか?」

 「さて……印璽は本物のように思われますが……」

 本物であるとするならば、これはとんでもないことである。条高に代わって尊毅が国主になることを、条家の歴史の中でも君子として畏敬されている条歴が保障してくれているのである。

 「偽書の可能性もあるな」

 「左様です。しかし、尊家が条歴様を祖とする家であることに相違なく、紛れもなく国主となる資格はあるということです」

 「……」

 尊毅は二つの奉書を文箱に仕舞った。

 「どうすべきだと思う?」

 「今はまだ、と申しておきましょう」

 「うむ……。夏燐には言うなよ。騒ぎの種となる。俺とお前だけの胸の内に仕舞っておくことにする」

 「はい」

 尊毅は文箱の紐を結びながら、今はまだ、と口の中でつぶやいた。

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