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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
355/958

泰平の階~35~

 夜が更けた。劉六はずっと城壁の上にいて、敵陣の様子を窺っていた。敵陣からは炊飯の煙が無数にあがっていた。

 「今から飯とは剛毅なものですな」

 傍でその様子を見ていた潘了が羨ましそうに言った。こちらは温かい飯を食べておらず、それは劉六や潘了も同様であった。

 「油断している証拠だな。こちらに攻撃の意思がないと知って、食事の準備を始めたのだ」

 これならば成功する。潘了に敵陣の監視を任せ、劉六は城壁から降りた。そのまま兵舎に向かうと江文至が鎧をつけて待機していた。

 「お前は白衣よりそっちの方が似合うようだな」

 巨躯である江文至の鎧姿は軍記もので見る古の猛将のようであった。槍でも構えれば、武者絵として様になるだろう。

 褒められても感情を表に出すことのない江文至は黙って頷いた。

 「手筈通りにな。ちゃんとやれば、少なくとも負けることはない」

 江文至はやはり無言で頷いた。初陣にも関わらず動じた様子がまるでなかった。勝利の決め手は劉六の考えた姑息な手段ではなく、江文至のような存在かもしれなかった。劉六はもうひとつの準備先へと向かった。そこは牛舎であった。

 千山には食用と搾乳用に牛が飼われていた。全部で三十頭いる。その半分を提供してもらった。

 「すまないな。折角育てた牛なのに提供してもらって」

 劉六は牛飼いに詫びを入れた。牛十頭は今回の作戦にどうしても必要であった。

 「先生には父がお世話になっていますからな。これぐらい安いもんです。それに俺達の千山は守らないといけませんから」

 牛飼いの父は劉六の患者であった。そのつてがあったからこそ、劉六は今回の作戦を考え付いたのだった。

 「補償はする。ま、それも勝ってからだが」

 「勝てますとも。俺の牛達ですから」

 牛飼いは大いに笑って、十頭の牛を牛舎から出してくれた。劉六はそれを南門へと向かわせた。これで一通りの準備が終了した。あとはさらに夜が更けるのを待つだけであった。


 やや遅めの食事を終えた尊夏燐軍の兵士達は、見張りをする者を除いて就寝することとなった。尤も、見張りを増やしたところで、今から劉六がやろうとしていることを妨げることはできなかった。

 劉六は密かに南門を開けさせ、十頭の牛を外に出した。牛の角には油をしみこませた藁が括りつけられていた。兵士達はその藁に火を点けさせた。

 「さぁ、行け!」

 その作業が終わると、兵士達は牛の尻を叩いた。興奮した牛達は、まっしぐらに尊夏燐軍へと突撃していった。

 もはや夜襲などというものではなかった。炎を纏った暴れ牛が凄まじいい速さで突撃してきたのである。柵をなぎ倒した牛達は、ただただ暴れて走り回るだけであった。兵士達は暴れ牛の動きを止めようとしたが、矢を射かけてもさらに興奮するだけであり、槍や剣を刺そうにも近づけば突き飛ばされるだけで、止めることができなかった。

 それだけではない。牛の炎が天幕に引火し、火の海が瞬く間に広がっていった。尊夏燐軍は一瞬にして地獄絵図と化した。

 「どうしたというのだ!」

 叩き起こされて天幕を出た尊夏燐は、周囲が火の海になっているのを見て叫び散らすしかなかった。敵が夜襲を仕掛けてきた、というのであれば、油断していた尊夏燐の完全な失態であった。

 「夜襲なら押し返せ!火が明かりになって敵の姿がよく見えるだろう!」

 「て、敵は兵士でありません。牛です」

 「牛?」

 要領を得ない報告に、副官を殴り飛ばしたくなった尊夏燐であったが、我慢してさらに聞いてみてようやく全容を掴めた。

 「火を纏った牛だと……」

 敵はそれを突撃させてきたきたのである。これは戦と呼べるものではなかった。

 「陣を払え!撤退する!」

 尊夏燐は即断した。まともな戦をする相手でないと分かった以上、今は逃げるしかなかった。


 「これは火牛の計というらしい。昔の偉大な武人がこの策をもって籠城戦に勝利したらしい」

 千山の城壁の上から敵陣が火の海になるを見ていた劉六は、まるで生徒に勉学を教えるかのような口調で言った。

 「しかし、こうも見事に成功するものですな」

 潘了は信じられないといった風で眼下の状況を眺めていた。

 「敵に油断があっただけだろう。よし、江文至に連絡。敵を追撃させろ」

 劉六は淡々と命令を出した。待機していた江文至の騎馬隊三十名が逃げる敵を追撃するために出撃した。

 当初、潘了などは敵の追撃については否定的であったが、すげなく反論した。

 「叩ける敵は叩けるうちに徹底的に叩いておくというのが戦の定石らしい。それに我らは事実上、援軍が期待できない籠城戦をしている。こちらが一筋縄ではいかないと思わしておいた方が敵は迂闊に手を出さなくなる」

 劉六には自信があった。ここで圧倒的な勝利を得ておけば、敵はすぐには次の手を打てなくなる。それに敵を千山から手を引かせる餌も準備していた。

 「時間稼ぎでしないが、これでしばらくは静かになるだろう」

 これから先のことは僑紹達の仕事だと劉六は考えていた。


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