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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
324/958

泰平の階~4~

 探題の長官である安平は、朝の日課として庭先で弓を引いて汗を流していた。そこへ娘婿である烏道の来訪が告げられた。

 「何?北定殿が同行していると?」

 烏道だけならば、別室で酒でも与えて待たせるところであるが、斎治の側近である北定が同行しているとなると話が変わる。

 『何か変事があったな……』

 直観的に思った安平は二人を庭先に呼んだ。

 「義父上、早朝より失礼します」

 「いや、こちらこそ庭先にして失礼する。それよりも何かあったのか?」

 「私から申し上げます」

 北定が前に進み出て、密書を渡しながら語り始めた。密書に目を通しながらも、北定の言葉に耳を傾けていた。

 「これはすべて費兄弟が勝手にやったことです。私は勿論、斎公も知らぬことでございます」

 必死になって抗弁する北定を見て、安平は閃くものがあった。

 『北定殿は、斎公に累が及ばないようにしているのか』

 安平は根からの武人であったが、頭の血のめぐりは悪くない。北定の意図していることを正確に読み取っていた。

 『費兄弟といえば、斎公にとっては寵臣の中の寵臣。彼らの動きを斎公を知らぬわけがない』

 安平はそう言って強硬な姿勢を見せることもできた。しかし、安平としても斎公に対して同情心がないわけではないし、今ここで北定に恩を売っておけば、今後斎公を御する時にも役に立つであろう。安平は即断した。

 「分かった。これは費兄弟が斎公を担ぎ上げて、騒擾を起こそうとしているのだ。探題の兵をすべて叩き起こせ!城門と斎慶宮の守りを固めさせ、費兄弟の邸宅を強襲して二人を捕らえるのだ!」

 安平は声をあげて命令した。同時に条都である栄倉にも早馬を出した。


 その日、遅めの朝食を取り終えた費資は、私室で書見をしていた。密書で示した蜂起の期日まであと一週間。それまでは腰を据えて待つしかない費資は、心を落ち着ける様にして書物に目を通していた。本来は歴史書や政治的な思想書を好んで読むのだが、今はそのような気分になれず、使用人達が回し読みをしていた大衆的な草紙を借りて開いていた。しかし、内容などまるで入ってこず、各地に飛ばした密書が無事到着し、計画通りに蜂起までたどり着くか心配でならなかった。

 その心配を払拭するため、費資は弟の費俊を各地に派遣させ、様子を探らせていた。もし躊躇っているような者がいれば叱咤し、是が非でも決起に持ち込むように説得させるつもりであった。

 『特に烏道殿は確実に立ってもらわねば困る』

 烏道こそ計画を成功させる要であった。烏道が拠点とする烏林藩は慶師と栄倉の中間にあり、最大の兵力を有している。探題の兵力と対抗するには必要不可欠であった。

 『烏道殿の岳父は探題の安平だ。不安要素があるとすればそれなのだが……』

 だからこそ費俊を派遣したのだが、まさか烏道が費俊と入れ違うようにして慶師に来ているとは夢にも思っていなかった。

 「どうもじっとしていると余計なことを考えてしまう。主上のご様子でも伺いにいくか……」

 草紙を閉じて立ち上がろうとした時であった。外が急に騒がしくなってきた。普段静かな慶師では聞こえてこない馬蹄が地面を踏み鳴らす音と、大勢の人間が駆ける足音だ。

 「露見したか!」

 探題の兵が近づているのは明らかであった。探題兵がこの近辺で大人数で動くとなれば、密事が露見して自分を捕縛しようとしている以外に考えられなかった。

 「主上はどうされているだろうか」

 当然ながら探題の兵は斎慶宮にも向かっただろう。斎治の身に危険が及ぶかもしれない。費資は目端が利く下男を呼んだ。

 「私は斎慶宮に行く。お前はここを脱して弟に会え。そして慶師に近づかず、しばらく身を隠せと伝えろ」

 「ご、ご主人様は?」

 「私のことはいい。とにかく行け!」

 下男を出発させた費資は、自らも粗衣を纏い、裏口からひっそりと脱出した。


 費資が屋敷を出た頃、すでに斎慶宮は探題の兵で囲まれていた。斎治は密事が露見したことを悟ったが、斎慶宮に踏み込んでこないところからすると、自分を捕縛するつもりはないらしい。

 「責任者を呼べ!」

 斎治は自ら声を上げた。いつも近侍している家臣達は誰一人として傍にはいなかった。おそらくは彼らは行動を制限させているのだろう。誰もいない空間。それが逆に斎治の恐怖心を増幅させた。

 「主上。お静かになさいませ」

 すっと姿を見せたのは北定であった。彼が費兄弟と意見が合わず、久しく近侍していなかったのは知っていた。

 「おお、北定。久しい限りだ。よく入ってこれたな」

 「当然でありましょう。費兄弟の密事、私が探題に注進しました」

 北定は素っ気なく言った。斎治はかっとなって北定に詰め寄った。

 「貴様!裏切ったのか!」

 「裏切り?そもそも私はこの密事に参加しておりません。それに私に密事のことを伝えたのは烏道殿です」

 「烏道が……」

 斎治は力なく座り込んだ。烏道が蜂起の要であることは斎治も理解していた。

 「烏道殿は蜂起に逡巡し、私に相談したのです。私としては蜂起に加担せよというのは簡単です。しかし、よくお考え下さい。烏道殿が逡巡したということは他の諸侯も同様である可能性があります。そうなれば誰かの口からこの密事が漏れたかもしれません。烏道殿が躊躇った時点で、この密事は失敗なのです」

 それだけ費兄弟が作り上げた密事が勢いだけで粗漏なものだと北定は言いたかった。しかし、すでに斎治は身を震えさせるだけであった。

 『このお方は英明であるが、どうにも腹が定まらぬ……』

 北定からするとそれが不満であった。

 「それで余はどうすればいい」

 「すべてを費兄弟の責任にして、主上は嵐が過ぎるのをじっとお待ちください」

 斎治は何度も頷いた。果たして嵐がいつ過ぎるのか。北定も分からなかった。

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