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七国春秋  作者: 弥生遼
泰平の階
321/958

泰平の階~1~

 風が凪いだ。

 さっきまで吹き抜けていた隙間風も止み、蝋燭の灯も揺れることがなくなった。風音も止んだことにより、静まり返った斎都―慶師から脱出しようとしている複数の男達の足音が聞こえてきそうであった。

 「果たして無事に脱出できるだろうか……」

 斎公の住処である斎慶宮の奥で現在の斎公である斎治は、不安そうに首を垂れた。斎治の密書を持った彼らが探題の兵に捕まれば、斎治として無事では済まない。すぐに条公に報告されて、間違いなく慶師から追い出されて、どこかでの片田舎に幽閉されるだろう。そうなれば、斎国の復興など夢のまた夢となってしまう。

 「ご心配には及びません。いずれも間者として手練れです。万が一にもしくじることはありません」

 斎治の傍らで励ましたのは費資。数少ない斎治の腹心である。

 「左様です。諸侯もきっと密書に応じてくれるでありましょう。それがために私と兄上が数年にわたり全国を行脚したのです。今回の義挙は必ず成功いたします」

 費資の隣でさらに力強く斎治を励ましたのが費俊。費資の弟である。

 「そ、そうだな。余は斎公となった時より条の打倒を心に決めていたのだ。今更臆病風に吹かれても仕方あるまい」

 斎治は気をとりなしたように前を向いた。凛とした瞳にはすでに生気が戻っていた。


 夜が白む頃になり、費兄弟はようやく斎慶宮を辞した。不安を募らせていた斎治が流石に眠気に勝てず寝所に下がったからである。

 「それにしても主上はご心配過ぎる。もっとどしっと構えていただかないと」

 費資は不満を隣に歩く費俊に漏らした。常に自信家で英気を溌剌させた兄からすると、斎治の態度はどうにも煮え切らないのだろう。

 「主上のご不満も理解致しましょう。この秘事は失敗が許されないのですから」

 費俊は周囲を窺いながら小声で言った。早朝で人影がまるでないが、条公の探題兵の耳目がどこにあるか分からない。特に費資と費俊は、斎治のお気に入りの重臣ということもあって探題から目をつけられている。わずかな言葉でも言質を取られ、囚われるか分からないのである。

 「そうであったとしても、これからなのだ。戦になった時、主上にはどしっと構えていただかなければ、将兵達の士気にかかわる」

 費資は随分と先のことを考えていた。確かに諸侯にあてた書状は、斎治に味方して条公打倒の兵を挙げよというものであり、これに応じて決起する諸侯が現れれば、斎治はその総大将となるのである。

 『しかし、諸侯から返事はおろか密書を持った使者もまだ慶師から出たばかりだ。あまり先のことを見据えすぎると足元をすくわれる』

 兄に対して費俊は万事慎重であった。斎治の前では必ず成功しますと言い切ったが、実のところは兄ほどに明るい展望を持っていなかった。

 『ともかくも我らが長年の宿願が一代で成るとは限らないのだ。もっと慎重に気長に事を構えなければ』

 費俊は自戒の意味を込めて言い聞かせた。


 寝台に潜り込んだ斎治であったが、一人になるとまた不安が湧き出てきて。先程まで感じていた眠気が影を潜めていった。

 「果たして成功するか……」

 費兄弟は成功することに疑いを持っていない様子であった。斎治としても今回の秘事には自信があったし、成功せねばという意気込みはあった。しかし、完璧なことなど世の中には存在しないのだ。

 「世の中に完璧なことがあるのなら、斎国が条に乗っ取られることなどなかったのだ」

 斎治は父祖の無念を思うと涙を禁じえなかった。だからこそ、我が代で斎国を復興させようという誓いを立てたのだった。

 『乗っ取られたのなら、また乗っ取り返せばいいのです』

 出会った頃の費資は、斎治をそう励ました。代々、斎公に仕えてきた費家の嫡男である費資と弟である費俊は、命を賭けて斎治に仕えてきた。彼らのことを思うと、斎治はやはり自分が弱気であってはならぬのだと思いなおした。

 『この斎慶宮を見よ。かつて国主であった斎公の住処だぞ。それが今ではどうだ!』

 寝所であるのに壁にはひびが入り、隙間風が入ってくる。そのような個所は無数にあり、修繕できるような費用もない。斎慶宮を囲む城壁も至る所で崩れ落ちており、場所によっては宿無しや盗賊の住処になっていた。そういう連中を取り締まる衛士もなく、彼らが狙うような金品や芸術品も今の斎慶宮にはなかった。かつて斎慶宮にあったという神器もすでに失われ、どこにあるかすら判明していなかった。

 「これほどの屈辱を味わっている国主がいるだろうか!いや、あるまい。原初の七国としてこれは屈辱だ。余は、余は必ず成し遂げて見せるぞ!」

 斎治は悲しみから怒りに転嫁していった。そうなると睡魔が襲ってきて斎治は眠りに落ちた。

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