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七国春秋  作者: 弥生遼
寂寞の海
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寂寞の海~41~

 泉国に亡命してきた章理は、一週間ほど無為に過ごしてきた。気は確かに持っており、泉公がもたらしてくれる印国の情報にも冷静に耳を傾けることができた。しかし、何か事を起こす気力が微塵も湧いてこなかった。

 それでも時が二週間、三週間と経過するにつれ、何かしなければという焦燥感が燻り始めた。何かをするかとは、必ずしも印国に戻って章海を討つとか、そういうものではない。寧ろ泉公に世話になっているのだから、何事かをもって恩を返さねばというものであった。

 しかし、宮殿で国主の娘として育てられた章理に侍女のような真似ができないし、ましてや他国者である章理が政治的な仕事を手伝えるはずもなかった。

 『……夜伽とか……』

 羞恥に全体を熱くしながらも章理はそれだけは否定した。それこそ公女として生きてきた章理には恥ずかし過ぎてできなかった。

 泉春に来て一か月ほどして章理はようやくそのことについて章季に相談することができた。それまで章季はずっと寝台に潜り込んでいたか、窓辺の椅子に座ってぼっと外を眺めていたか、そのどちらかであった。しかし、最近では随分と生気を取り戻していた。

 「季、私達にここでできることはあるだろうか?」

 唐突に質問してくる姉に、章季はやや戸惑った様子を見せた。

 「泉公は私達の亡命を受けれてくれた。だが、その温情にすがるだけで何も恩を返すようなことをしなくていいのかと思ってな」

 「ああ……」

 章季は得心したように相槌を打った。

 「確かにそれはそうですが、私達に何ができるのでしょうか?こうなってしまえば、公女なんてろくではありませんね」

 章季は自嘲するようにくすっと笑った。

 「泉公はお優しい方だから、私達に何も求めてこない。それがかえって心苦しいな」

 「姉さんがそこまできにされるようでしたら、一度泉公にお尋ねしてはどうですか?」

 「そうだな……」

 章理はぱっと樹弘の顔を思い浮かべた。するとすぐに章季の言うとおりにしてみようと思った。

 

 章理達は泉春宮での行動に制限されていなかった。衛兵に断りなしに宮殿内を行き来することができた。ただ要人との面会については当然ながら事前に申し出ておかねばならず、章理は樹弘の護衛を務めている景弱に取次ぎを頼んだ。

 「主上はただ今、朝議を行っておりますのでしばらくお待ちください」

 「朝議?」

 章理は窓から太陽の位置を確認した。すでに日は天井にあり、普通であるならば朝議は終わっているはずである。朝議とは国主と閣僚が一堂に会して、国政について討議をする場所である。どの国でも日の出の頃から始まり、一刻ほどで終了する。長くて二刻ほどであり、昼前までかかるようなことはなかった。何か深刻な事態でも起こっているのだろうか。章理がそのことを景弱に尋ねると、

 「特にそういうことではないと思います。朝議はいつもこのぐらいまでされております」

 「なんと熱心な……」

 「主上のご予定がつきましたら、お呼びします」

 小気味良い動作で踵を返した景弱の姿を見送った章理は、心に波立つのを感じた。国主の中には朝議に滅多に顔を出さない者もいるという。それに比して樹弘の熱心さは国主の鏡と言うべきだろう。

 『それに比べて私は……』

 ここで何をしているのだ、と章理は自分自身を問い詰めたくなった。

 しばらくして景弱が戻ってきた。朝議が終わったので、樹弘が会ってくれるという。章理は章季と樹弘の私室に向かった。

 「やぁ、お二人とも。ごめんなさいね、遅くなってしまって」

 私室には樹弘の他に景朱麗がいた。景朱麗は丁寧に黙礼した。

 「いえ、こちらこそ、お忙しいところ、お時間をいただいて。何か重大なことでもあったのですか?」

 「重大といえば重大なんだけど、あまり僕達には影響が少ないことなんだけど」

 そう前置きしたうえで樹弘が語ったのは条国のことであった。どうやら条国でも内乱が発生したらしい。

 「条国が?」

 「ええ。翼公が知らせてくれました。我が国は条国とは国境を接していませんが、翼国と静国は接しています。今は注視するようですが、今後の展開次第では実際に会って協議したいと言われています」

 「失礼ながら、翼公は叔父上の謀反について何か仰っていますか?」

 翼公と聞いて章理は尋ねずにはいられなかった。翼公は中原において章海が唯一頭の上がらない人物である。もし翼公が動けば、章海も無碍にはできないはずだった。

 「座して待て、と言っています。実に翼公らしい」

 樹弘は苦笑したが、章理ははっとした。

 『私はさっきから他者の手ばかりを借りようとしている……』

 章理は己を猛烈に恥じた。いずれは印国の政治に参与したいと願っていた自分が、他力本願になっている。

 『私が、印国の公女である私が成さねばならない……』

 章理の中で決意が芽生えた。だが、その決意を語るにはまだ尚早であった。

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