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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
30/960

黄昏の泉~30~

 「そうかそうか。我等の食膳は君の店が手配していたのか。これも何かの縁という奴だな」

 泉春宮の厨房であった相蓮子は拉致するようにして樹弘を私邸に連れて帰った。納品が済めば早々に帰ればよかったと思った樹弘であったが、相蓮子の申し出を強く拒めば怪しまれると思い素直に従うことにした。

 『案外、蓮子様から情報を引き出せるかもしれない……』

 樹弘にはそういう思惑もあった。

 「夜になれば父上達との会食があってまた泉春宮に戻ることになる。それまでの暇つぶしだ。付き合え」

 給仕らしき初老の男が茶を置いて去ると、部屋には相蓮子と二人きりになった。

 「早速ではあるが、これも何かの縁だ。どうだ、私の下で働かないか?金なら今の倍は出すぞ」

 どうやら相蓮子は樹弘を本気で下僕にしたいらしく諦めていなかった。その執拗さを疑問に思いつつも、樹弘は丁重に拒否した。

 「ふ~ん。そんなに景朱麗は私より魅力的か?」

 相蓮子の言葉に樹弘はぞっとした。自分と一緒にいたのが景朱麗であるとばれていたのである。樹弘は剣を取ろうとしたが、今は携帯していないことに気づいた。

 「そんな怖い顔をするな。手配書ぐらいは見ているよ」

 相蓮子は意地悪そうに笑った。樹弘は警戒感を緩めないようにじっと相蓮子を睨み続けた。

 「別に君や景朱麗のことを通報するつもりはない。罪人を捜して突き出すのは警執である兄の仕事だ。私の仕事ではない」

 自分の仕事以外のことはしない主義なんだ、と相蓮子はどこまでも愉快そうであった。確かに相蓮子にその気があるのならば、景朱麗の存在に気がついた時点で逮捕していただろう。気は許していないが、警戒心は少し薄らいだ。

 「それで景朱麗は泉春にいるのか?」

 相蓮子は楽しむようにさらに追及してきた。樹弘はだんまりを決め込んだ。

 「いるんだな。まぁ、何も言わなくても分かるさ。景家の者が泉春に潜伏してすることなんて一つしかないからな」

 すべて見抜かれている。相蓮子という女性は洞察力に優れているらしい。嫌な相手である。

 「どうだろう。君が私の下僕となれば、景朱麗のことは黙っておいてやるし、君達がやらんとしていることを助けてやってもいい。悪くない交換条件だろう?」

 「そういう提案ならばお断りします」

 樹弘は即答した。相蓮子は嫌な顔一つせずに理由を聞いた。

 「私は元亀様に雇われ、朱麗様をお守りするように仰せつかりました。その使命を果たすまで朱麗様のお傍を離れるわけにはいきません。それが景家の大願と引き換えであったとしてもです」

 景秀の救出は景家の宿願へ至るまでの手段であり、ひとつの通過点でしかない。小事を得んがために大事を見失うわけにはいかなかった。

 「ははははっ!私の目に狂いはなかったな。君は本当にいい奴だ。本気で下僕、いや家臣にしたくなってきたぞ」

 相蓮子は手を打って笑った。男というのはそうでなくてはならない、と樹弘がむず痒くなるような賛辞を並べた。これまでの対話の中で相蓮子の人となりを知り、決して皮肉や嫌味ではなく本気でそう言っているということは理解できた。

 「いやいや、楽しいひと時だったよ。私はこれからつまらん会食に参加しなければならないが、その前に有意義な時間を過ごすことができた。礼を言うよ」

 相蓮子は手を差し出してきた。握手を求めてきたのだと思い、彼女の手を握ると、ものすごい力で腕を引っ張られた。樹弘の体は相蓮子と密着させた。

 「いいか?一度しか言わない。景秀は西宮の傍にある監視塔の地下にいる。西宮は泉春宮の北側から入ると比較的警備は手薄だ。そこからなら忍びこめるぞ」

 相蓮子は耳元で囁いた。それだけ言い終わると、樹弘の耳朶を噛んで体を離した。

 「これも覚えておけ。私は利害が一致する限りお前の味方だ。でも、いずれ敵として戦場で会う時も来よう。その時は容赦しない」

 いいな、と相蓮子ははじめて怖い顔を見せた。樹弘は、はいと答えた。

 「よい返事だ。最後に名前を聞いておこう」

 「樹弘です」

 「樹弘か……。覚えておこう」

 相蓮子にとっては忘れられぬ名前となり、後に本当に戦場で相見えることになるのであった。


 相蓮子から釈放された樹弘が厳侑の店に戻ると、店の軒先で景朱麗と厳侑が待っていた。

 「朱麗様……。そのように表に出られては……」

 樹弘は慌てた。ただでさえ相蓮子が景朱麗のことを知っていた事実を知ったばかりだけに、景朱麗が外に出ていることがあまりにも無用心に思えた。

 「秀麗様は樹弘さんの帰りが遅いので心配されていたんですよ」

 厳侑が言うと、景朱麗は顔を真っ赤にして反論した。

 「違う。私はただ樹君が捕らわれてしまったのかと……」

 それを心配しているんですよ、と厳侑に言われ、景朱麗はさらに顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。

 店の中に戻ると、樹弘は景朱麗と厳侑に相蓮子とのことを余さず語った。ただ耳朶を噛まれたことだけは黙っておいたが。

 「蓮子がここにいるのか……。それに私のこともばれていたのか」

 景朱麗は悔しそうであった。

 「泉春から一時退避しますか?」

 厳侑が景朱麗に尋ねた。

 「いや。蓮子は嫌な奴だが、黙っていると言うのなら黙っているだろう。蓮子とはそういう女だ」

 「僕もそう思います。それに景秀様の居場所も教えてくれました」

 「それは罠では……」

 「厳侑の不安は尤もだ。しかし、何度も言うが蓮子は嫌な奴だが、そういう詐術は用いない。要するにあいつは面白がっているんだ」

 景朱麗は腕を組んだ。相蓮子の言葉を信じて景秀を救出するかどうか悩んでいるようであった。

 「やろう。これほどの好機、二度と巡ってこないだろう」

 しばらくして景朱麗は決断した。樹弘も異存はなかった。

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