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七国春秋  作者: 弥生遼
寂寞の海
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寂寞の海~35~

 黒原で勝利した討伐軍はさらに北進した。北鑑に籠る章海を討伐するにはもう少し兵力が必要ではないか、と意見もあったが、左昇運はその意見を一蹴した。

 「兵力を集めるために留まっていては時間が勿体ない。兵は迅速を貴ぶと言う。すぐに北進すべきだ」

 他の諸将も尤もだと思ったのか、それ以上異論はでなかった。当然ながら章友も意見を言うことなく、ただ無言で頷き左昇運の方針に賛同した。

 左昇運が恐れたのは敵が籠城することであった。籠城されれば、敵が寡兵であっても攻略するのに長引いてしまう。そうなれば味方の士気も落ちてしまう。従って敵に籠城の準備が完全に整う前に襲ってしまおうというのが左昇運の方針であった。


 これに対して北鑑にいた章海は、籠城することを捨てた。籠城するであろうと考えている左昇運の裏をかくのが目的であり、その点では成功した。

 『彼我の戦力差は埋め難い。どうすべきか?』

 左昇運軍は約二千名。これに対して章海が動員できる戦力は千名に満たない。野戦でまともに戦えば勝つことはかなり難しい。しかし、章海には切り札があった。投降してきた禁軍五百名である。印国最強と言われる軍団が無傷のまま手元に残されていた。これを使わない手はなかった。

 章海は松顔に北鑑の守備を任せ、自らはこの五百名を率いて出撃した。

 「何も敵軍すべてを相手する必要はない。敵将、左昇運だけを討て!」

 そのために章海は広範囲に斥候を出し、敵情を探らせた。特に左昇運の居場所に関する情報を報せてきた者には最高の報奨が約束された。その結果、章海は敵の本営の場所を正確に把握することができた。

 「来たか!」

 それまで静かに斥候の報告を待っていた章海はかっと目を見開き立ち上がった。そして鎧をつけさせると、素早く騎乗した。

 「出撃!」

 章海は単騎駆け出した。周りにいた側近達も慌てて騎乗し、引きずられるようにして全軍が動き出した。左昇運がいるという場所まで一舎ほどの距離がある。途中、空が暗くなり雨が降ってきた。

 「これぞ天祐ぞ!我らに正義がある!」

 曇天と雨風が章海軍の存在を隠してくれる。章海は進軍を続けさせた。この間も章海は絶えず斥候を出し、左昇運の位置を確認し続けた。その結果、左昇運軍は風雨をやり過ごそうと行軍を停止させていた。しかも、雨を避けるために天幕を張り始めているという。これほど奇襲をしようとしている章海にとって都合の良い展開はなかった。

 「急げ!これを逃せば好機は二度とないぞ!」

 章海は己と将兵を叱咤するために叫んだ。


 章海にとっての幸運は左昇運にとっての不幸であった。

 まさか章海が出撃してきているとは露程も思っていない左昇運は、天候が荒れ始めると全軍を停止させた。兵は迅速を貴ぶ、と言ったものの、無理な行軍で兵を損なうわけにはいかなかったので、これは当然の処置ではあった。

 「極力、軍を森林や山影に入れろ。天幕を張って風雨を凌げ」

 左昇運は全軍に命じた。風が思いのほか強かったので、森林や山で風を遮り、兵士の体を冷やさないために天幕を張らせた。これによって左昇運軍は塊ではなく、分散するようになり、軍としての機動性を失った。それもまた章海に利することとなった。

 ただ、左昇運にとって唯一救われることがあったとするなら、この時ばかりは傍に章友がいないことであった。実は数日前、慣れぬ戦場に出たせいか章友は体調を崩し、黒原に留まり療養していた。このために章友は難を逃れることとなった。

 軍を停止して半日。風雨は弱まることはなかった。時刻としては昼を過ぎているというのに、空は暗く、雨音ばかりが耳を突いた。

 左昇運は自分の天幕で諸将を呼んで、今度の戦略について相談していた。ふと将軍の一人が、

 「雨足が強くなりましたかな?」

 と天を仰いだ。確かに先ほどより外が騒がしくなったような気がした。

 「それは厄介ですな」

 別の将軍がぼやいた瞬間であった。地鳴りのような音がしたかと思うと、明らかに人の声と分かる喧騒が広がっていった。

 「敵襲!敵襲!」

 雨音と風音に交じって叫ぶ兵士の声が聞こえた。左昇運と将軍達が蹴るように天幕から出ると、すでに乱戦の最中にあった。

 「奇襲されたのか!」

 「してやられた!」

 将軍達は口々に叫ぶが、もはや手の打ちようがないように思われた。しかし、指示を出せねばならないのが左昇運の立場であった。

 「秩序を取り戻せ!所詮は小勢だ!」

 叫ぶように命じながらも、敵の軍馬が左昇運にも迫ってきた。左昇運は剣を抜いて応戦した。

 「いたぞ!左将軍だ!首を取れば、報奨は思うがままだぞ」

 敵将兵が口々に叫んだ。それが伝播し、左昇運の周りに敵将兵が殺到した。

 「私が狙いか!」

 秩序を失った部隊に指揮官を守ることなどできなかった。一人で奮戦した左昇運であったが、やがて力尽き、いくつもの槍と剣が左昇運の体を貫いた。

 「おのれ……奸族……」

 前のめりに倒れた左昇運は首を切られ、敵の手に渡った。

 「敵将左昇運、討ち取ったり!」

 勝鬨をあげると、敵軍は風のように去っていった。去った後にはぼろぼろになった天幕の群れと、左昇運軍将兵の屍だけが残された。

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