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七国春秋  作者: 弥生遼
寂寞の海
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寂寞の海~19~

 章穂が体調の異変を感じ始めたのは章理達が帰国して一週間ほど過ぎた頃であった。恙無く政務を行っていた章穂は、一通り書類に目を通した後、印璽を取りに行こうと立ち上がった瞬間、足元がふらついた。

 「ああ……」

 最初は貧血による立ち眩みかと思ったが、立っていることができず、そのまま倒れてしまった。

 「主上!」

 従者が駆け寄って助け起こされた時には章穂は完全に意識を失っていた。章穂が目を覚ましたのは約半日後であった。

 「お疲れがでたのでしょう。しばらく安静になさってください」

 枕頭に控えていた医師がそう述べた。しかし、章穂は疲れを感じておらず、今にも起き上がって仕事ができそうであった。

 「私も年を取ったということか……」

 章穂は枕に頭を沈めながら独り言ちた。医師と入れ替わるようにして章理と章季が部屋に入ってきた。章友はそこにいなかった。

 「母上、あまりご無理をされては……」

 章理が心配そうに顔を覗き込んできた。心労の最大の種は他ならぬ章理なのだが、口にすればまた喧嘩になるだろうから黙っておくことにした。流石に娘と口喧嘩する気力はなかった。

 「友はどうしたのですか?」

 章穂はわざとらしく弱弱しく言った。章理と章季は困惑したように顔を見合わせた。

 「兄様にもお声をかけたのですが、部屋から出てきませんでした」

 答えたのは章季であった。まるで本人であるかのように申し訳なさそうな顔をしていた。

 『友には母への愛情がないのか……』

 自分はこれだけ母として愛情を注いでいるのに、息子から帰ってくるのは無反応な態度だけであった。

 「ううう……」

 章穂は胸が苦しくなった。それは比喩表現ではなく、実際に胸が痛く苦しかった。

 「お母様!」

 「季、医師を!」

 章理が叫ぶように言うと、章季が慌てて医師を呼びに行った。


 戻ってきた医師によって投薬されると、苦しんでいた章穂がまるで嘘のように穏やかに状態になった。章理達はそれに安心したが、医師は章理と章季を部屋の外に呼び出した。

 「どうやら心臓の病のようです」

 医師にそう告げられると、章理は顔を厳しくし、章季は手で口を覆った。

 「重いのですか?」

 こういう時、章理は冷静であった。章季からすると、羨ましく頼もしかった。

 「おそらくは」

 「ですか、お薬ですぐに治られたではないですか?」

 章季が問うと、医師は無常にも首を振った。

 「あれは一時的に心臓の動きを活発化させる薬です。あまり多用するとお体に触ります」

 「良くなる見込みは?」

 「病の進度を遅くすることはできますが……」

 後は主上の気力次第です、と医師が言うと、章理は項垂れた。あの気丈な姉がここまで生気を失う姿を章季は初めて見たような気がした。

 「姉さん……」

 「閣僚達と友を呼ぼう。それと叔父上も」

 

 すぐさま朝堂に一同が集められた。場を仕切るのは、丞相の藤元であった。

 「主上の容態については章理様のご報告のとおりです。こうなっては主上のご要望通り、太子にご即位していただいた方がよろしいのではないでしょうか」

 藤元の言は正論であった。章友が太子である以上、それ以外に辿る道などなかった。しかし、と多くの延臣は思ったであろう。あの太子が跡を継いで国主になるのかと。

 章友は最も上座に座り、足を机の上に投げ出して鼻をほじっていた。

 「お待ちあれ、確かに主上は友様を太子に任命されましたが、まだ若年です。今のご即位は慎重になられるべきではないだろうか」

 藤元に反するように主張したのは閣僚の松顔であった。彼は反太子の急先鋒であった。

 「ごれは否ことを言う!すでに主上は友様を太子とされたのです。それに友様はまだ若年という年頃ではありません。同年代の泉公は国主として立派に政務を見られておりますぞ!」

 間髪容れず反論したのは張鹿であった。彼は章穂の祐筆としてこの場にいた。そのことがなお、松顔を刺激していた。

 「黙れ!祐筆の分際で!」

 「何だと!私は主上より閣僚として朝堂に参加する資格を与えられているのだぞ!」

 「落ち着かれよ、ご両人!」

 一触即発の松顔と張鹿を止めるように声をあげたのは章海であった。無位無官の彼は末席に座っていたのだが、机に手をついて立ち上がっていた。

 「主上が大変な時期に臣下が争ってどうする!これを知れば主上が嘆き悲しむであろう。なんと情けない臣下をもったものだと」

 この場での章海の発言ほど重いものはなかった。無位無官ではあるが、先代の弟であり、才覚にも優れている。彼の発言に反論できるほどの勇気と知性を持っている者など、少なくとも閣僚の中には存在しなかった。

 「すべては丞相と祐筆殿が言われた通りであろう。臣下たるものが主上の決定に逆らってどうするというのだ。主上が太子を友様に定め、主上が病床より禅譲を申し出ておられるのなら、それに従うのが臣下であろう。確かに友様は若年であるが、そうであるならば盛り立てるのが臣下の役割ではないか」

 そうではないか、と章友は松顔を指さし糾弾した。松顔は苦り切った顔のまま、黙り込んでしまった。こうして章友の国主即位が決定していた。

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