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七国春秋  作者: 弥生遼
寂寞の海
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寂寞の海~10~

 その翌日、章平の急死が発表された。そして遺言が章穂の手によって公開され、自分が後嗣として指名されたと明かした。

 集められた延臣達は一様に驚いた。しかし、即座に非難の声をあげる者がいなかったのは章穂をひとまず安心させた。彼らからすると、後嗣をめぐる章海か章友かという争いで国が二分されるよりも、章穂が国主となる折衷案が一番無難であり、社稷を安定させるためにも最善であるように思えたからであった。

 そのような延臣達の気分を分からずにいる章穂は、どのような批判が起ころうとも反駁してみせる自信があった。最終的には先主の遺命に叛くのか、と高圧的に抑え込もうと考えていた。だが、延臣達の反応を見ていると、そのようなことをする必要もあるまいと安堵した。

 ただ、居並ぶ延臣達の末席に座る章海のことが気になった。本来、無位無官の章海はこの場にいることはない。それでも章海は章家の一族であり、章平の弟であるため呼ばざるを得なかった。

 章海は鋭い目つきを章穂に向けていた。だが、一言も発することなく、じっと章穂を睨んでいた。その表情から章海の感情を読み取ることができなかった。

 『海殿はすべてを察しているのか……』

 無言ほど恐ろしいものはない。章海はすべてを察したうえで無言の抗議をしているのではないか。

 章海は聡明である。ここで章平の遺言に異を唱えれば、章穂が強硬に出てくるのは目に見えている。さらに自分が国主になりたいからそのように言っているのだと思われるのも、章海としてはおもしろくない。だから無言で抗議をしているのだ。

 『あの時も、あの人は黙って私を非難していた……』

 章穂は胸が苦しくなったが、負けるわけにはいかなかった。あの時の章穂と今の章穂は違うのである。ひとりの女ではなく、章友という子を持つ母なのである。

 「夫の遺言は以上です。不肖の身ですが、遺命のとおり国主になる所存です。どうか皆さん、助けていただきたい」

 章穂が宣言すると、わっと歓声があがった。章穂はその歓声よりも、無言のまま立ち去る章海の方ばかり気にしていた。


 章穂が国主となって十四年となる。老齢には達しているし、体力的な衰えを日々感じていた。章友を太子には指名しているが、やはり不安をぬぐい切れなかった。

 『早々に友を国主にして隠居したい』

 ここ数年、そればかり考えていた。章穂がそう宣言してしまえば済む話なのだが、そう単純な話ではない。章友の精神はまるで成長せず、同年代の男児よりもますます劣っている点が如実に分かるようになっていた。これで国主になれば、章穂が生きているうちはまだ睨みを利かせられるが、自分が死んだあと、どうなるか考えるだけで不安であった。

 『延臣達が国主を挿げ替えるかもしれない』

 その時、候補となるのは章理であった。章穂の中では章海はすでに候補から外れていた。自分よりも年上の章海が今更国主の座を希求するとは思えなかったからだ。

 章理は母から見ても申し分がないほど聡明で美しかった。実際に章理こそ後嗣に相応しいと話をする閣僚もいると聞いている。だが、章穂はそのつもりはまるでなかった。

 章理を後嗣から排除するのは簡単であった。嫁に出してしまえばいいのである。それでも市井の娘と違って、相手には然るべき地位が求められる。そこで白羽の矢が立ったのが、泉公であった。

 泉公もまた申し分がない相手であった。相房の乱で生き残った泉家の嫡子で、市井に埋もれていたところをわずか数年で国主に座に就き、その器量は他国にも鳴り響いていた。正直、章穂は泉公樹弘という存在を羨み嫉妬していた。どうして同年代の章友とこうも違うのだろうかと。

 そして実際に泉公に会ってみて、ますます確信した。泉公ならば章理も納得して嫁に行くであろうと思っていたのに……。

 『あの子はどうしてあそこまで頑ななのか……』

 章理は自分の意志を強く持つ気の強い女性ではあった。それでもあそこまで泉公との結婚を拒否するとは思っていなかった。

 『ひょっとすれば章理は自分こそ国主の後嗣に相応しいと思っているのではないか』

 章理がその気になれば、閣僚達を動かして、そのような機運を作ることは難しくないだろう。章穂としてはますます章理を泉公に嫁がせねばならなかった。


 明日、泉公が鑑京を去る。章穂は末子の章季を呼び出した。

 「お呼びですか、お母様」

 章季もまた美しい娘であった。章理と違って自らの聡明さを表にすることを憚っているような女性であり、母に対しても非常に従順であった。

 「明日、泉公が鑑京を去られます。それまでに婚儀を進めておきたかったのですが、今回では無理のようです。季、あなたは理があそこまで婚儀を拒否しているのか存じていませんか?」

 章理と章季の姉妹仲はすこぶるいい。姉が妹に何か相談しているのではないか、と章穂は探りを入れた。

 「いえ、このことについては姉さんは何も語ってくれません」

 章季はすまなさそうに言った。この子は母に嘘は言わないだろう。

 「そうですか。それはそうとして、季は泉公をどう思いました?」

 ぱっと一瞬だけ章季の頬が赤くなった。章季の方は泉公を異性として多少意識しているのだろう。章理にもこのような反応があればよかったのだが。

 「季。協力してください。この婚儀は是非ともに成功させねばならないのです」

 「お母様、どうしてそこまで執拗なのですか?」

 章穂は章季の質問に答えなかった。分かりましたね、と念を押すと、従順の娘は渋々頷いた。章理も章季ほど素直であればと章穂は嘆息した。

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