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七国春秋  作者: 弥生遼
寂寞の海
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寂寞の海~6~

 鑑京に到着した樹弘は一泊した後、印公と対面した。形式的に謁見の間で顔を合わせたが、すぐに宮殿の庭にある東屋に移動した。

 「改めまして。印国国主、章穂です」

 印公ー章穂は優し気に微笑みを湛えていた。女だてらに国主をしているからきつそうな印象を持っていたのだが、まるで違っていた。

 「泉公、樹弘です。お初にお目にかかります」

 「どのような方と思っておりましたが、甲殿の書状にあるとおり、良き若者ですね。年は章友と同じと聞いていますが」

 「はい。そのようですね」

 章穂には章友という子息がいることは甲元亀から聞かされていた。当然、彼は太子であり、同年代ということもあって、樹弘としては彼に会うのも楽しみの一つとなっていた。

 「良き顔、良き声をしておられる。ふむ……泉公なら安心して娘を……」

 「印公。そのお話はまだ」

 樹弘の傍に控えていた甲元亀が急に口を挟んだ。章穂はあっと口に手をやってから苦笑した。

 「印公?」

 「これは失礼しました、お忘れください」

 章穂は取り繕うように茶を口に含んだ。樹弘もその時はじめて茶を飲んだ。泉国での飲む茶より渋く感じられた。

 それから樹弘と章穂は、互いの国の政治や経済についての意見交換を行った。樹弘は章穂から先代印公を支えたという聡明さを感じ取り、章穂の方も、樹弘が語る度に感嘆の声をあげた。

 「泉国は良き国主を持たれた。まこと羨ましい。我が子にも樹弘殿ほどの聡明さがあればよいのだが……」

 対面してから初めて章穂が顔色を暗くした。決して樹弘に対しての世辞ではなく、謙遜でもないだろう。

 『印公は太子に対して満足しておられないのか……』

 樹弘は自分自身について有能な国主であるとは思っていない。だからこそ優秀な家臣を揃え、彼らを信頼して各分野において活躍させている。それが自分のやり方であり、国主とはそれでいいと思っていた。必ずしも自分が有能である必要はなかった。

 「印公。私も才乏しき身ですが、なんとか国主をやっております。私は家臣から国主などやってみなければ分からぬと言われましたし、そのとおりであったと思っております。他家のことに口出しするつもりはございませんが、広い目で太子のことをご覧になってください」

 樹弘がそう諭すと、章穂は嬉しそうに目を細めた。

 「まさに泉公はよき男よ。我が国も泉国と友好を保てば、安泰というものです。ぜひとも良しなに頼みますよ」

 章穂は軽く頭を下げた。

 「お顔をあげてください。差し出がましいことを言いました。お許しください」

 印国との友好は樹弘としても願っていることであった。しかし、章穂の言葉に別の意味が込められていたことをこの時の樹弘はまだ知らなかった。


 その晩、章穂の誕生日を祝う祝宴があった。樹弘の席は章穂の隣に設けられた。身分上の序列でいえば間違いのない席順ではあったが、これではまるで自分も主役のような感じがして戸惑った。しかし、時としてこういう煩わしい序列を守ることも大切だと学習してきた樹弘は、大人しくその席に着いた。

 祝宴自体も非常に煩わしいものであった。乾杯で幕を開けると、次から次へと印国の閣僚や有力者が樹弘に挨拶に現れ、早々に辟易とした。

 しばらくすると挨拶攻勢も止み、ようやく人心地付いて食事に手を付けようとすると、今度は章穂に声をかけられた。

 「泉公。紹介しておきます。あれが我が息子で太子の友です」

 章穂が自分の右斜め前を指さした。顔をあげて見てみると、膳の前に一人の青年が畏まって座っていた。彼の膳にはすでに料理はなくなっていて、所在なさげに視線を漂わせていた。

 『僕と同い年のはずだが……』

 顔つきは幼く見えた。樹弘も童顔の方なので年低く見られることがあったが、その樹弘から見ても章友は幼く見えた。

 「友、泉公に挨拶なさい」

 章穂は母らしく優し気に声をかけたが、章友には聞こえていないのか、ずっと明後日の方向を見ていた。

 『これは……』

 樹弘は得心した。章穂が自分の息子に対して満足していない理由が分かったような気がした。単に上の立つ者のとしての知性が欠けているというような次元の話ではどうやらなさそうである。

 「友、聞こえているでしょう!」

 章穂は少し声を荒げた。章友は気だるそうに体の向きを変えると、今度が馬鹿丁寧に体を折り曲げた。章穂はさらに怒ろうとしたが、場所をわきまえたのだろう、口を堅く結んで耐えていた。

 「泉公、申し訳ありません。章友は少し人づきあいが苦手なので」

 樹弘が愛想笑いで答えていると、章穂は本当に悲しそうに顔をした。

 「次に娘達を紹介します。章理、章季。こちらい来なさい」

 今度は章友の隣に座っている二人の女性が立ち上がった。その二人に樹弘はどきりとした。二人とも驚くほどの美女であった。

 先を歩く黒髪の女性は長身で、凛とした鋭い眼鼻をしていた。ややきつい印象の顔つきであるが、舞台女優でも務まりそうな容貌をしていた。

 彼女の後ろを付き従うように歩いているのは、前を歩く黒髪の女性と正反対であった。背は低く、全体的に柔らかい表情をしていた。目が大きくくりっとしていて、髪は美しいまでの黄金色

。彼女の方は母である章穂そっくりであった。

 「前が姉の理。後が妹の季です」

 姉の章理は父親に似ているのだろう。そのようなことを考えていると、章理が目の前で立ち止まった。章季の方はゆったりとした動作で着座したが、章理はきっと樹弘を睨むようにして座ろうともしなかった。

 「理、無礼でしょう」

 「母上!私は結婚などしません!」

 章理は叫ぶように言った。騒がしかった場が一瞬で静まり返った。同時に樹弘はどうして自分がこの場に誘われたのか、ようやく悟った。

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