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七国春秋  作者: 弥生遼
寂寞の海
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寂寞の海~2~

 龍国と極国の和平を見届けて帰国した樹弘は、これまでとは変わらぬ様子で政務に勤しんでいた。

 この時期、樹弘はひとつ大きな懸案の処理に取り掛かっていた。旧伯国の完全併合である。

 二年前、樹弘は伯国を併合したが、すぐには政治的、経済的に完全な併合を行わなかった。伯国の官吏であった敏達という男を都督に添えて自治領として、独自の政治と経済を実施していた。これは旧伯国の国民の感情に配慮してのことであり、以後五年から十年の間で完全併合へと進むというのが樹弘と丞相である景朱麗の考えであった。しかし、

 『どうにも併合を急いだ方がよさそうです』

 と敏達が訴えてきたのである。敏達によれば、泉国の援助のもと旧伯国では自治を行い、一定の成果を得ていたが、民衆の方から早く泉国に併合して欲しいという要望が相次いで出されているらしい。

 『多くの民衆が主上の徳を慕い、早々にその庇護に入りたいと望んでおります。ぜひとも完全併合をお進めください』

 敏達は決しておべっかを使うような官吏ではない。事実、泉国本国と旧伯国自治領の経済的格差は未だ開いたままであった。

 「どうだろうね、朱麗さん」

 樹弘は早速に景朱麗に諮問した。

 「よろしいかと思います。併合に関して一番の懸念であった民衆の支持が得られれば、併合も容易に進むでしょう」

 景朱麗の言葉に頷いた樹弘はすぐに行政化を命じた。それが翼公に誘われて極国へ向かう少し前のことであった。

 樹弘が帰ってきた頃には、景朱麗によっておおよそ方がついていた。行政処理能力という点では、中原においていかなる時代のいかなる丞相でも彼女に及ばないであろう。樹弘の事績の多くは、景朱麗の行政能力に負うところが大きかった。

 景朱麗より伯国併合についての報告を受けた樹弘は、すぐに伯国に向かった。併合の最後の仕上げとして衛環で旧伯国の併合を布告しなければならなかった。


 樹弘が衛環に向かうにはもうひとつの理由があった。旧伯国の都督を務めていた敏達の結婚式に出席するためであった。従来、国主の立場の人間が臣下の結婚式に出るというのは例のないことであったが、樹弘はその点無頓着であった。

 『ぜひとも祝ってあげたい』

 樹弘が熱望したのは、敏達の結婚相手が柳祝であったからだった。

 樹弘と柳祝の間には多少の因縁がある。樹弘が国主になる前、相房配下の将軍の娘であった柳祝は樹弘に妾として献じられるところであった。それが実現することはなかったが、伯国併合の際に樹弘と柳祝は運命的な出会いを果たした。

 樹弘と柳祝が伯国の動乱に巻き込まれる中、柳祝は樹弘に恋をした。しかし、それが叶わぬ恋だと知ると、柳祝は衛環に残った。

 衛環での柳祝は、その聡明さを活かして都督であった敏達を助けた。行政官として有能な敏達は、決して自己の才能に溺れるような男ではなく、柳祝の才能を認め、その助言を素直に聞くうちに彼女を愛するようになっていた。

 柳祝も敏達を受け入れた。敏達という男は先述したとおり優秀な行政官であった。しかし、男女の道には精通しているわけではないようで、柳祝に対する好意の表し方も不器用だったという。そこに惹かれたのだと、柳祝は後に語っていた。

 だが、当初は柳祝も躊躇った。樹弘への思いを断ち切れないというわけではなく、運命に翻弄され続けた自分がひとりの女として幸せになれるだろうか、という不安が付きまとっていた。その不安は、連れ合いになれば当然敏達にも降りかかってくることであり、柳祝はそれも危惧していた。

 しかし、その危惧は無用であった。柳祝が敏達に対して自分の中で渦巻いている不安を口にすると、

 『構うものですか。貴女の不安が私の不安であるのは当然です。貴女が不安に思うことがあるのなら共に乗り越えていきましょう。その代わり私に不安があれば、一緒に乗り越えてほしい』

 誠実そのものの敏達の言葉が決め手となった。柳祝は敏達の好意を素直に受け入れることができた。

 

 「それで敏達が婚儀を申し込んだのか?」

 衛環での事務的な仕事を一通り終えた樹弘は結婚式に挑む前の敏達をからかった。敏達は顔を赤くしながら、まぁそうです、と消えそうな声で答えた。

 「主上、あまりからかわないでください」

 と言った柳祝であったが、楽しそうに笑っていた。その笑顔を見れて樹弘は、柳祝に対する感情のしこりがようやく消えたような気がした。

 『幸せになってください。柳祝さん』

 柳祝の辛い生活は、ここで終止符が打たれるのだろう。樹弘は心の底から祝福してあげたかった。

 「からかっているつもりはないよ。祝福しているんだ」

 「主上、からかっている場合じゃありませんよ。主上こそ、そろそろお考えにならないと」

 「僕が?」

 「結婚だろ、結婚。主上である樹弘こそ結婚しないといけないだろ?」

 柳祝に言われ、樹弘が不思議そうにしていると、背後から容赦のない言葉を投げかけられた。

 「紅蘭!来てたのか?」

 樹弘は声を上げた。彼女もまた樹弘にとって縁の深い女性であった。

 「よっ。親友の結婚だもん。飛んでくるよ」

 紅蘭は遠慮なく樹弘の肩を叩いた。泉国の国主である樹弘に遠慮がないのは紅蘭だけかもしれなかった。彼女は現在商人をしており、主に印国を相手に幅広く商売をしていた。

 「ありがとう、紅蘭」

 「よかったね、柳祝。色々あったけど、今の貴女が一番幸せそうで素敵だよ」

 柳祝と紅蘭は手を取り合って喜んだ。彼女達には彼女達の中でしか分からぬ何かがあったのだろう。樹弘は二人の間に入らず、そっと見守った。

 その晩、敏達と柳祝は華燭の典をあげた。樹弘にとっては、心から喜ぶべき式典であり、柳祝への思いにも落着をつけることができた。

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