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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~74~

 翌朝。剛雛と陳逸がいないという情報が全軍を駆け巡った。楽乗の翼国帰還の立役者である二人がいなくなったというのは大きな衝撃を与えた。

 「楽宣施軍の者に拉致されたのではないか?」

 という見方が大半を占めた。

 「必ず二人を見つけ出せ!見つかるまでは私は広鳳に入らん!」

 楽乗は二人を捜させた。だが、すぐに事態の全容が判明した。剛雛の天幕に置かれていた紙片がすべてを語っていた。そこに書かれていた詩は一部の者にしか伝わらなかったが、知った者達の心を打った。


 


 志高く、剛を得て、海内を行く


 功利求めず、富貴を得ず


 只管一心、君を思い、民を思う


 漂泊の翼、巣へと戻る


 鳳雛、錦を纏わず、山野に還る




 この詩が意味するところを楽乗はすぐに悟った。昨日の宴席のやり取りのことであるのは明白であった。

 『剛雛と陳逸は失望したのだ……』

 二人は自分達が勲一等にならなかったことが不満なわけではない。自己の功利や富貴のために付き従ったわけではないという誇りを持っていた彼らからすると、昨晩のやり取りはその誇りを傷つけ、貶められたことになる。その程度のことを分からぬ楽乗ではなかった。

 「私が広鳳を目の前にして浮かれていたのだ。私が不明であったのだ」

 楽乗が賢明であったのは、胡旦を決して攻めなかったことである。

 楽乗は、翼公となってからも二人を捜させたが、見つけられずやがては断念した。


 もう一人、この詩に心動かされた人物がいた。胡旦である。

 胡旦は昨日、自分の側近が言ったこと、そして自分が言うに任せて黙認したことを決して後悔していない。剛雛や陳逸などよりも自分の方が功績は上であると思っているし、それを楽乗に再確認させるためにも昨日ようなことはせざるを得なかった。

 だが、人物としての高潔さは二人の方が上である。それは認めねばならなかった。胡旦が自己にも他者に厳しい人格者となるのはまさにこの時からであった。

 後に胡旦が史書の編纂を楽乗に命じられた時、意図的に剛雛と陳逸の記述を省いた。これについて楽乗は何一つ意見を言わなかったという。二人のことは我が思い出としておきたいという思いが楽乗にはあり、功利と捨てて去った二人の意思を尊重して多くを語ることもなかった。

 それでもこの時、楽乗軍にいた将兵達は両雄の失踪についておおよその事情を理解していた。彼らの間では剛雛、陳逸の名は高潔な英雄として語り継がれるのであった。

 


 さて、剛雛、陳逸の失踪について大方の事情が分かると、楽乗は軍を前進させた。ついには広鳳を包囲した。当初、広鳳は戦う姿勢を見せたが、三日ほど包囲を続けていると、突如として城門が開かれた。これまでどおりなら楽乗に降伏したことになるが、楽宣施にとっては最後の砦となるだけに、楽乗は用心した。

 「用心に越したことはないでしょうが、まず大丈夫でしょう」

 許斗から楽乗に従ってきた郭文が予言めいたことを言った。

 「郭文の予言は当たるからな」

 「ほほ。予言などではありません。もはや楽乗様は翼国の国主となられる。そうなれば城門も安んじて開きましょう」

 ともかくも楽乗は羽兄弟を先行させた。二人はすぐに戻ってきた。

 「どうやら宮殿には楽宣施はおらぬようです」

 羽敏が報告した。すでに部隊を入れて探索させているという。

 「広鳳での抵抗は?」

 「ありません。すでに禁軍も楽乗様に恭順を申し出ております」

 「ならば行こうか。広鳳へ」

 楽乗は馬を進めた。楽乗にとっては実に久しぶりの国都であった。


 羽敏の報告のとおり、すでに楽宣施は広鳳から逐電していた。

 『もはや兄上には勝てまい』

 そう判断した楽宣施は、手元にあった金銭だけを手にし、宮殿から逃げ出ていた。自分と二人三脚で国主の座を得て守ってきた丞相の厳虎にも告げなかった。

 楽宣施からすれば、人生二度目の広鳳からの逃亡である。前回は条国という逃亡先があったが、今の楽宣施には頼るべき場所はなかった。

 その後、楽宣施が世に姿を現すことはなかった。条国に逃亡して条智に殺されたとも、界国に逃げて金銭を使い果たして餓死したとも言われている。楽乗も強いて楽宣施の行方を捜すことはなかった。

 宮殿に突入した楽乗軍を待っていたのは、恭順の意を表した百官達であった。彼らからすると、国主は楽宣施である必要はなく、楽氏の血筋を引いた楽乗なら問題なかった。寧ろ楽玄紹の思考と精神を継承したといわれている楽乗の方が国主に相応しいと思っていた。

 しかし、一名だけ反抗して死を選んだ。厳虎である。厳虎は執務室で毒を仰いで自裁していた。仕えるべき主君に逃げられてしまった厳虎からすると、死を選ぶよりなかった。

 厳虎の死をもってして楽乗の障害となり得る者はすべていなくなった。楽乗は戦乱を起こすことなく無血のうちに宮殿に入ることができた。義王朝五二九年十二月のことであった。

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