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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~72~

 許斗を得た楽乗は休むことはなかった。羽敏と阿習に許斗を任せると、すぐに南下した。間を置かず広鳳を攻めるべきだと判断したのである。

 楽宣施は戦々恐々とした。すでに広鳳まで楽乗軍を止める拠点はない。武人であることを自認している楽宣施は、ともかくも兵力をかき集めて、野戦で乾坤一擲の勝負を挑もうと考えていた。

 楽宣施以上に楽乗軍の進軍を恐れたのは丞相の厳虎であったろう。文官である彼は、もはや戦において楽乗軍には勝てまいと考えていた。しかも、広鳳にたどり着いた楽乗はきっと厳虎のことを許さないであろう。楽宣施は肉親であるから許されるかもしれないが、自分は間違いなく処刑される。その恐怖が日に日に厳虎を苦しめ、苦しみから解放される最後の手段を取らざるを得なかった。

 「以代を呼べ!」

 厳虎は以代を呼ばせた。楽乗が龍国から印国に渡ってからは、以代に楽乗の命を狙わせることはなかった。もはや楽乗が生きて翼国に戻ることはあるまいと思っていたからだった。

 「以代!お前が楽乗を仕留め損なったから、こうして危機を迎えている。何とかしろ!」

 「私に責任取れと仰るか?」

 以代としても責任問題を言われるのは心外であった。確かに以代は楽乗を二度仕留め損なった。しかし、楽乗を翼国に戻ってくるのを阻止できなかったのも、楽乗軍の快進撃を止められなかったのも、楽宣施と厳虎の責任ではないか。責任という点では彼らの方が遥かに重かろう。以代は口にしたかったが、言ったところで厳虎は認めぬだろうと思い、口を噤んだ。

 「勿論だ!今度こそ、楽乗を始末しろ」

 非を攻められるようにして命令されるのは不本意であったが、以代としても二度もしくじって引き下がれなかった。以代は残っていた手下を引き連れ、北へと向かった。


 楽乗はすでに尾城を過ぎ、広鳳に近づきつつあった。その軍容は大きく、至る所に兵馬が満ちていた。商人に変装して楽乗の本営に近づこうと考えていた以代であったが、あまりの人の多さに肝を抜かれた。

 『これではとても近づけん』

 以代は鼻白んだ。同時に楽乗の存在が大きくなったことを実感した。ここで無理をして忍び込んで楽乗の命を奪うことは可能かもしれない。しかし、ここで楽乗の命を奪うことに如何ほどの意味があるのだろうか。楽乗がいなくなっても、楽宣施も厳虎も暗殺を命じた為政者としての烙印を押されるだけで、政治生命をより縮めるだけではないか。以代も年を取り、殺人狂として無用なことを考えるようになっていた。

 「やめだ。ここで解散する」

 以代は突然手下達に言った。彼らは驚きはしたものの、誰しもがもはや楽乗の暗殺は不可能であろうと思っていた。

 「すぐにこの場から去れ。丞相もお前達のことは知らんから咎められることもないだろう」

 「お頭はどうするんです?」

 「俺はやっておきたいことがある」

 以代はそれだけを言って、手下達に背を向けた。


 剛雛の天幕は楽乗の陣営から離れた所にあった。夜になり、一人で天幕の中で書見していると、衛兵が来客を告げた。

 「来客?私に?」

 楽乗からの使者や配下の将兵ではないらしい。このような場所で剛雛のことを訪ねてくる客などまるで心当たりがなかったが、とりあえず天幕の中に通した。入ってきた人物は、風貌が変わっているといえ、誰であるかはすぐに分かった。

 「以代……」

 「ほう。私の名前を憶えておいでか。ありがたい話だな」

 来客が以代と知って身構えたが、自分や楽乗を暗殺に来たのなら、わざわざ来客として現れないだろう。一応の用心しながら剛雛は以代に席を薦めた。

 「どういう要件だ?また楽乗様を狙ってきたのか?」

 「実はそうだが、楽乗様の天幕にとても近づけそうにもないのでやめた。もはや俺のような存在が暗殺するような人物ではない」

 決して戯れの言葉ではないであろう。

 「それで今を時めく剛雛将軍のお命を奪おうと思ったのだが、やれやれ、こうも不審者を簡単に通すようでは、いけませんな」

 以代はひひっと笑った。

 「以代。私ひとりを暗殺したところでもはや何も変わらないぞ。楽乗様は国主になられる。もはや楽乗様の前を立ち塞がる敵は誰もいない」

 「そうだろうな。だが、お前の前に現れたのは、私の矜持のためだ。二度も暗殺に失敗して引き下がれん」

 俺と勝負しろ、と以代は言った。

 「それで気が済むのなら」

 剛雛は即答した。剛雛は槍を持って外に出た。衛兵には友人を送ると言い、二人で天幕から少し離れた場所まで来た。

 照らすのは三日月と地面に置かれた二つの松明。以代は剣を構え、剛雛は槍。

 「いざ!」

 以代は剣を振り上げて駆け出した。剛雛がゆっくりと槍を構える。

 『俺の間合いだ』

 以代には剛雛の動きが緩慢に見えた。剛雛も衰えた、とほくそ笑んだ矢先、剛雛の槍先が飛んできたように見えた。飛んできたわけではない。剛雛が槍を突き出してきたのだが、以代がその動きについていけなかったのだ。

 「ふん!」

 以代は剣を盾にして剛雛の一撃を防ぐしかなかった。だが、業物であるはずの以代の剣は剛雛の槍先によって砕かれ、突き出された槍先は以代の頭部を掠めた。

 「負けた」

 もはや以代に反撃する術はなかった。以代は刃を失った剣を投げ捨てると、その場で座り込んだ。

 「さぁ、どうにでもしろ」

 以代は観念した。もはや矜持すら失った以代に生きていく価値などなかった

 「私は無用な殺生などしない。牙を失った獣など、殺すに値しない」

 どこぞへと去れ、と剛雛は言って立ち去った。

 「ふん。人としての格が違うということか。俺にとって、お前と出会ったことが躓きの始まりかもしれないが、悪い気はしないな」

 以代は立ち上がった。松明を拾い上げると、剛雛とは反対方向に歩き出した。その後、以代の姿を見たものはいなかった。

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