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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~66~

 義王朝五二八年。この年楽乗は五十歳。楽乗は、静公から兵一万名を借りてついに翼国に戻ることとなった。翼国を出て実に二十年目のことであった。

 「このまま西へ行けば広鳳ですが、流石にこの人数で広鳳を攻めるのは難しいでしょうから、一度許斗に向かいましょう」

 戦略の概要を立てたのは胡旦だった。楽乗としても異論はなかった。許斗ほど楽乗の馴染みある土地はない。募兵するとなると許斗ほど最適な土地はなかった。

 楽乗軍は翼国に入ると、その情報を知って近隣の邑の若者達が次々と身を投じてきた。それだけではなく、邑全体が楽乗に対して協力を申し出てくることもあった。

 「これも楽乗様の徳というものですかな」

 今度は客将として従軍している源慈が徐々に膨れ上がる楽乗軍の陣容を見て言った。

 「私の徳ではありません。祖父玄紹様の徳です」

 「ほほ。その徳を楽乗様が受け継がれたからこその成果ですぞ。徳などというものはそれを受けるに相応しい者が受け継ぐものなのです」

 源慈は自分を楽玄紹の後継者として相応しいと言ってくれたのである。楽乗としてはそれだけで気分がよくなった。

 じわりじわりと人数を増やしつつ北上した楽乗軍は、騒乱のあった摂に近づきつつあった。

 「摂は今や羽氏の残党によって支配されております。今は無視して北上すべきでしょう」

 胡旦がそのように助言して、楽乗もそのつもりでいたのだが、思わぬ事態になった。摂を遠目にして無視するように進軍していると、摂の方からやってくる軍馬があった。接触した部隊からの報告によると、軍使のようだということであった。

 「軍使?」

 羽氏の残党であるからには攻めてくるものだと思ったが、どうやら様子が違うらしい。楽乗はひとまず胸をなでおろした。

 「はい。ぜひとも楽乗様にお目通りしたいとのことですが……」

 「会おう」

 楽乗は軍使と引見した。現れた軍使は、楽乗の姿を見るや否や、膝をついて泣き崩れた。何事かと思っていると、軍使は絶叫するように名乗った。

 「楽乗様、お忘れでしょうか。羽敏でございます」

 「羽敏……。あの羽敏なのか?」

 忘れるはずもない。かつて楽乗が愛した羽陽の息子である。

 「はい。お懐かしゅうござます」

 「おお……」

 楽乗は思わず立ち上がり、羽敏の肩を抱いた。

 「よくぞ立派に成人したものだ」

 楽乗からすると、自分の子と言っても過言ではない存在である。思いがけない再会に、楽乗も涙した。

 「それで、羽綜や羽陽様は無事なのか?」

 「弟は無事ですが、母上は亡くなりました」

 「亡くなられたのか……」

 楽乗はやや呆然とした。しかし、自分もすでに五十歳である。自分よりも年上であった羽陽が鬼籍に入っていても不思議ではなかった。

 「そうか……。お前達にも苦労を掛けたな」

 「いえ、楽乗様の艱難辛苦を思えば、我らのなど軽いものです」

 羽敏はようやく少しだけ笑顔を見せた。


 再会の喜びも束の間、羽敏は軍使として来訪した真意を告げた。

 「私も弟も摂において羽氏の残党軍として参加しておりました。しかし、どうにも困った事態となったのです」

 羽敏が語るには、当初、残党軍は合議制によって意思決定を行っていたが、楽宣施軍に勝利後、ある男が急に台頭してきたというのである。

 「名は羽仁と言い、羽禁の息子となっていますは、本当かどうかは定かではありません」

 まぁ嘘でしょう、と羽敏は付け足した。この羽仁が何かと取り仕切るようになり、あたかも摂を国家とした国主のように振舞うようになったのだという。

 「羽仁に人望があり、政治を取り仕切る才覚や人民を慈しむ心を持っていればそれでよかったのでしょうが、まるで正反対のような男でした」

 羽仁は自分の取り巻きを引き立て、摂の民衆からは金品を巻き上げ、豪奢な生活に浸っているという。当然ながら心ある残党軍の幹部や民衆の心は羽仁から離れていた。

 「そこへ楽乗様の翼国ご帰還の報せを聞いて、こうして私がやってきたのです」

 「要するに私に羽仁とやらを討てというのか?お前ならまだしも、他の羽氏の残党達にとって私は仇敵ではないか?快く迎えてくれるとは思えんのだが」

 楽乗としても摂を拠点にできれば、ありがたいことであった。しかし、楽乗は羽氏を翼国の国主から引きずり下ろした楽氏の人間である。羽氏からすれば心の底から憎い相手ではないだろうか。

 「羽氏が滅びたのは羽氏の責任でありましょう。羽禁の立ち振る舞いを見てきた者達は皆そう思っています。それに楽乗様は、私と弟、そして母を助けてくださいました。我らの仲間でそのことを知らぬ者はおりません」

 羽陽達を保護した頃の楽乗からすれば、自分が翼国から出奔し、諸国を漂泊することになろうとは思ってもみなかった。当然、今のような事態を想像して羽陽達を保護したわけではない。本当に単なる善行に過ぎなかったのだ。

 『それがこのような因果として巡ってくるというのなら、それが私の徳というものであろう』

 その徳を活かさないわけにはいかなかった。活かさなければ、羽敏羽綜兄弟や、羽陽にも礼を失することになる。

 「分かった。摂に向かおう」

 楽乗はすぐさま軍を摂に向けることを命じた。

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