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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~64~

 翼国と条国の侵略を退けた静国であったが、これ以後も両国から小規模ながら侵略を受けることになった。特に翼国は―というよりも翼公楽宣施は、静公が楽乗を担いで翼国を攻めてくるのを極度に恐れ、静国の動きを牽制するように国境を侵し続けていた。

 「俺は寛容な方だと自分では思っている。しかし、こうも言い様にされていると流石に堪忍袋の緒が切れるというものだ」

 静公は度々不満を漏らした。楽乗としても、今の状況は喜ぶべきことではないし、自分のせいで静公が困っていることに申し訳なく思っていた。

 「静公も私も、なんとかして状況を打破したいと思っている。何かよい意見を持っている者はいないか?」

 楽乗は家臣達を集めて意見を求めた。その中には剛雛や陳逸もいた。翼国を出た時は陪臣扱いであった彼らも、今ではれっきとした直臣となっていた。

 「やはり静公より兵をお借りして翼国に戻る算段を早めるべきです。攻められる前にこちらから攻めるべきです」

 真っ先に胡旦が発言した。

 「最終的にはそうありたいと思っている。しかし、今のまま兵を貸してほしい攻めたいというのは時期尚早ではないかと思うのだ。静公に時期が来たと思っていただける状況を作りたいのだ」

 胡旦は黙り込んだ。戦場では勇猛果敢な胡旦も、政略、戦略的な話にはどうもむいていなかった。それは剛雛も同様であり、今をときめく楽乗の寵臣も先ほどから岩のように押し黙っていた。

 『胡演さえおれば……』

 楽乗は失望した。やはり胡演を失った意義は大きく、彼に替わる者はいないのだと思い知らされた。

 胡旦の意見が容れられず、重い空気が漂う中、一人口元をうずうずとさせている者がいた。

 「お前は陳逸と言ったな。遠慮することはない。言いたいことがあるのなら、言えばよいぞ」

 楽乗は発言を促した。陳逸はちらりと楽乗、そして胡旦の顔を伺って口を開いた。

 「翼国と条国、その両国が静国を攻められぬようにすればいいのではないでしょうか?」

 「当たり前ではないか。その手法が分からぬから静公も乗様もお困りなのだぞ」

 胡旦が口を挟んだ。陳逸は怯えて口を閉ざしそうになったが、楽乗は続けるように促した。

 「陳逸。お前には何か妙案があるのだろう」

 「は、はい。内憂を誘えばよいのです。まずは条国ですが、元は斎国と言われていたのは皆様もご存知でしょう。そして今も斎公はご健在で、斎公を支持する者達も多いと聞きます。彼らが蠢動すれば、条公としても外征をしている場合でありません」

 陳逸としては、単に条国に内憂を発生させようとしただけなのだが、この事が数十年にわたって条国にとっての癌となり、挙句には中原全体を巻き込む戦乱の発端となるのであった。

 「次に我らが翼国です。翼国では楽玄紹様の偉業で統一されました。今の翼公は、その遺徳を食い潰しているだけで、決して国内で慕われているわけではありません」

 「そうであっても、翼国内で私を呼び戻る勢力がいかほどあるだろうか。義父上を頼るか、それとも郭文か……。だが、両名が生きているかどうかは分からん……」

 楽乗も随分と年を取った。楽乗よりも年配である両名が生存しているかどうかは分からなかった。仮に生きていたとしても、動けるような状況にあるとも限らなかった。

 「そこで別の勢力に内憂の目になってもらおうというのはどうでしょうか?泉国を逃げ回っている時に商人達が聞いた情報があります。翼国の摂という邑に羽氏の残党が集まっているというのを」

 ここまで話せば、誰しもが陳逸の言っていることが理解できた。羽氏の残党をたきつけて、内乱を起こさせるのである。

 「かつての敵を利用するというのか……」

 胡旦が忌々しげに言った。しかし、それ以上何も言わず、陳逸を責めないのは、彼が披露した謀略があまりにも魅力に富んでいるものであったからだ。それが楽乗も同様であった。

 「一度、静公にご相談申し上げよう。陳逸、君も来たまえ」

 

 静公はすぐに会ってくれた。おどおどと時折詰まりながらも懸命に喋る陳逸の言葉を黙って聴いていた静公は、陳逸が話し終ると、長いため息をついた。

 「まったく楽乗殿が羨ましい。剛雛のような一騎当千の兵がいると思えば、陳逸のような謀略の才を有した者もいる。楽乗殿の周りには人材の泉が湧いているようだな」

 「それでは……」

 「うん。俺はいいと思う。丞相はどうだ?」

 「よろしいかと思います。方向性さえ定まれば、難しいことではないでしょう」

 比無忌は早速に間者を両国に走らせた。この謀略自体成功する必要はない。要するに煙を立てて、騒ぎさえ起こればよかったのである。

 吉野の宮殿から帰ると、陳逸は軽く発熱をした。病ではなく、あまりにも緊張してのことであった。

 「いつもは元気で口達者な陳逸殿らしくありませんな」

 剛雛は寝台で伏せる陳逸を見舞った。陳逸は苦笑いした。

 「俺は剛雛ほど肝が太くないようだな。楽乗様に仕えるだけでも俺達からすれば畏れ多いのに、静公に直に目通りして、話をするとはな。人間、生きていればどうなるか分からんものだ」

 剛雛もそうである。今や剛雛は静国内でも知らぬ者はおらず、当然ながら名声は静公にも届いている。先の戦場では静公から直接声をかけられていた。もはやただの護衛ではなかった。

 「しかし、陳逸殿に謀略の才能があるとは思いませんでしたよ」

 「ふん。俺も自分で驚いているよ。思いついたことを言っただけなんだけどな。まぁ、人間ひとつぐらいは誇れる才能がないとな」

 陳逸は薄く笑った。陳逸自身、己の才能と今回の献策にそれほど評価をしていなかったが、両国の―いや、中原の歴史を変える遠因となるのであった。

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