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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~63~

 静国軍の動き知らない楽宣施は、斥候の情報を信じて進軍した。しかし、斥候の報告以後、翼国軍は完全に静国軍を見失っていた。

 『兄上は我が後背に出ようとしている』

 楽宣施も楽玄紹の騎馬戦術を身近で見てきた一人である。楽乗が意図せんとするところを察することができた。

 「敵は後背から来るぞ。警戒しろ!」

 楽宣施は全軍に命令して警戒させたが、それが全軍に行き渡る前に楽乗は翼国軍の後尾を捕捉していた。楽宣施からすると、急いで進軍したことが祟られる結果となった。

 「かかれ!」

 源慈が号令を下すと、騎馬隊は翼国軍を抉るように突撃していった。しかし、騎兵による戦闘は短時間だ終わり、翼国軍をかき乱すだけかき乱して源慈はすぐに撤退を命じた。

 「楽乗様の車右である剛雛という男は大したものです。敵中に一騎飛び込んでも恐れず、囲まれても槍を一振りするだけで突破してきたと言います。まこと一騎当千の兵です」

 剛雛の活躍を見聞したという源慈は、手放しに剛雛を褒め称えた。楽乗としても鼻が高かった。

 「ですが、いち戦闘でのことです。宣施はすぐに我らを追撃してきましょう」

 楽乗は己を戒めるように言った。

 「勿論です。それでも近年稀に見る剛の者です。軍の士気もあがりましょう」

 源慈は愉快そうであった。確かに剛雛の活躍は全軍の士気をあげるのに充分であった。楽乗も、今はその上昇した気分に乗るため、それ以上は何も言わないようにした。

 

 静国軍に後背を襲われたと知った楽宣施はかっとなって、報告してきた兵士に怒鳴り散らした。

 「何故それをすぐに俺に知らせなかった!」

 伝令兵は襲撃を受けてすぐに飛び出してきたのだが、隊列が長く伸びきっているので時間がかかっただけである。長い隊列を作り出してしまったのは楽宣施本人であり、伝令兵からすると怒鳴られる筋合いなどなかった。

 ともかくも楽宣施はすぐに馬に飛び乗り救援に駆けつけた。しかし、静国軍はすでになく、無残に敗れた自軍の姿があるだけであった。

 「馬鹿者目が!どうしてすぐに追わない!」

 部隊長を叱りつけた楽宣施は、敵が撤退したという方向に兵を進めた。その行動のせいで乱れた隊列はさらに乱れたのだが、頭に血がのぼっている楽宣施はまるで構わなかった。

 『俺をこけにしやがって!』

 楽宣施の兄に対する対抗意識がここにきて蘇ってきた。大した治績もなく、ましてや神器に認められなかったという負い目がある楽宣施は、せめて兄である楽乗を上回り、静国との戦争に成功しなければ、自分には国主としての資格がないと思っていた。

 静国軍を追っているうちに幾日か過ぎた。数日彷徨っても静国軍の尻尾を捕まえることができなかった楽宣施は考えを改め始めた。

 『完全に逃げられたか!』

 そうなれば今どこにいるのかも分からぬ場所でうろうろしていても意味がない。一度部隊を集合させて再編制しようと考えていた矢先、先陣が会敵したという報告を受けた。

 「ようやく発見したか!攻め滅ぼせ!兄上の首級を挙げた者は、一兵卒であっても存分に恩賞を授けるぞ!」

 楽宣施は布告を出して全軍の士気を高めようとした。楽宣施自身も前線に立つ準備をしていると、後方でも敵に接触したという報せが飛び込んできた。この時は敵の別働隊がいる程度に思っていたのだが、楽宣施が把握している各戦線で敵と遭遇したと知って顔色を変えた。

 『敵に包囲されている……』

 広範囲で展開しているがために自軍を包囲するにしても相当数の兵力が必要となってくる。静国軍は条国軍とも戦闘してるので、そこまでの兵力数があるとも楽宣施には思えなかった。

 「敵に包囲されようと所詮は薄い皮だ!突き崩してしまえ!」

 楽宣施は己の恐怖を振り払うように兵士を叱咤する伝令を各戦線に急行させた。楽宣施は知らぬことであったが、静公自ら率いる静国軍の別軍がすでに条国軍を撃破しており、源慈率いる軍と合流して翼国軍を包囲しつつあった。

 楽宣施は何度も突撃を命じ、包囲網の突破を企図し続けた。だが、その都度に押し返されて、戦線が縮小している現状を知るにつれて、ようやく自分が重厚な包囲網の内側にいること気付かされた。

 『撤退するしかないのか』

 楽宣施に戦場において非凡さがあるとするならば、決断の早さであった。自分がこうであると判断すると、それが最善であるとして行動できることに躊躇いがなかった。楽宣施はすぐさま各部隊に集結を命じて、翼国へと撤退することを伝達した。

 しかし、それは至難の技といってよかった。包囲網を完成させた静公は、翼国軍が撤退しようとしていることを看破し、全軍にさらなる攻勢を命じた。

 「主上からの命令が来た。逃げる敵に容赦する必要などない」

 源慈が突撃を命じると、楽乗も自ら騎馬を駆って翼国軍に攻めかかった。

 「ここにおわすは楽乗様ぞ。心ある翼国兵士は武器を置いて降伏しろ。悪いようにはしない」

 ここでも活躍したのは剛雛であった。車右として常に楽乗に付き従っている剛雛は、鬼神のような働きを見せる一方で、そのようなことを言って翼国軍兵士の投降を誘った。これは効果絶大であり、この戦いだけで数百人の翼国兵士が楽乗に降った。

 「槍を振るうだけではないらしいな。剛雛は一軍の将の資質がある」

 楽乗は最大の賛辞を剛雛に送り、その活躍を称えた。

 

 一週間ほど続いた翼国軍と静国軍の戦いは、静国軍の大勝で終わった。意気揚々と静国領内に侵略した翼国軍は、寸土を得ることなく撤退を余儀なくされた。この戦いで翼国軍が被った損害は人的被害よりも、精神的被害の方が大きかったかもしれない。

 「静国軍には楽乗様がいる」

 「流石に玄紹様が最も信頼した公子であられる。宣施様で勝てるはずがない」

 「やはり国主には乗様が相応しいのでないか」

 翼国軍の兵士の誰しもが静国軍に楽乗ありと知るに及んで、楽乗を国主に迎えるべきだという気運が翼国国内で広がることとなった。同時に静国内でも楽乗の名声が上がり、楽乗を翼国の国主にすべく静国が積極的に働きかけるべきだという論調も強くなっていった。

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