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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~62~

 楽宣施が勇んで進軍を開始したと聞いた楽乗は会心の笑みを浮かべつつも、内心は複雑であった。楽乗に非がはないとはいえ、故国の軍と戦うのである。いざ決戦が迫ってくると、心穏やかになれなかった。

 『しかし、ここで勝ってみせねば私は死ぬ』

 勿論、生命の生死ではない。社会的な地位としての死である。静国に亡命した以上、静国に害をなすものを討たねば、これから静国では生きていけないし、将来翼国に戻る時も静国の援助を得られないだろう。楽乗としては心を鬼にしてやらねばならなかった。

 「さて、楽乗殿。楽宣施は獲物を見つけたと言わんばかりに飛び出してきましたが、如何しましょうか?」

 「地の利は我らにあり。敵に地の利はなし。敵が猪突してくるのであれば、打つ手はひとつでありましょう」

 「左様ですな。では、楽玄紹殿直伝の騎兵術を見せていただきましょう」

 源慈は笑いながら騎乗の人となった。


 楽乗達は騎兵集団は、翼国軍の側面に向かって進軍を開始した。進軍速度の速い騎兵を単独で用いる戦法は楽玄紹が最も得意としたところで、中原における騎兵戦術の創始者でもあった。

 歩兵や補給物資を置き去りにするので集団運用は非常に困難とされていたが、楽玄紹は匠に実行してみせた。その薫陶を受け、間近で見聞してきた楽乗も騎兵戦術には心得があったが、楽乗が実施したのは、それを応用したものであった。

 『まずは快速を以って敵の側面を突き、相手を混乱させたうえで誘引します。そこで待ち伏せた本隊で一気に叩きます』

 それが楽乗の描く構想であった。

 さて、騎馬で進む楽乗の傍には剛雛がいた。颯爽と騎馬を駆る姿はさながら古の英傑のようであった。もはや彼は楽乗の陪臣ではなく、静国軍兵士からも一目置かれる存在になっていた。

 ここまでの道中で、ひとつの挿話がある。

 静国軍の中に槍の名人という兵士がいた。彼は剛雛もまた槍の達人であると聞き、勝負を申し込んできたのである。

 こういう場合の勝負というのは、実際の槍ではなく棒を用いるのだが、静国の槍名人は本物の槍での勝負に固執した。彼には多少の選民意識があり、実物の刀槍をみれば剛雛如き人物は怖がって逃げ出すだろうと思っていた。しかし、剛雛は、

 「私は棒を使わせていただきます。静公の貴重なご家臣に傷をつけるわけにはいきませんので」

 と平然と言ったのである。これに静国の槍名人は自分が負けると言われたようなものなので当然ながら激怒した。

 「貴様の体。穴だらけにしてやる!」

 槍名人は怒りに任せて槍を突き出した。流石に素早い突きであり、対決を見学していた静国兵士の誰しもが剛雛の負けを確信した。しかし、突きを上回る速さで回避した剛雛は、棒を振るって槍の切っ先部分を叩いた。槍名人の槍の先は鉄であるにも関わらず、剛雛の一撃で粉砕されたのである。たったの一撃で槍名人は腰を抜かしてしまい、勝負がついた。

 この話は静国軍全体に広がり、剛雛は一躍有名人となった。

 「剛雛殿は楽乗様を襲った刺客を次々とやっつけたというぞ」

 「泉国を逃亡している時もただお一人で迫り来る泉国兵士をなぎ倒したらしい」

 「剛雛殿は一騎当千といわれた悪蛇のようだ」

 尾鰭がついた様々な噂が郡中に飛び交い、剛雛はすでに軍中の英傑のような扱いになっていた。

 「どうだね、まるで一代の英雄のような待遇は?」

 剛雛の少し後ろには陳逸の姿もあった。彼もまた地位を向上させ、楽乗の供回りを務めていた。

 「まだ一戦もしていませんからね。恥ずかしいだけですよ」

 剛雛は生真面目に答えた。剛雛からすれば英傑扱いされるのは不本意であった。

 『真の英傑は楽乗様であろう』

 声にこそしないが、剛雛にはそのような思いがあった。寧ろ自分の名声が楽乗を上回ることを恐れた。

 『胡旦様は私を警戒している……』

 ここ最近、胡旦が自分に向けてくる視線は明らかに好意的ではなかった。常に剛雛の言動を監視しているかのように、じっと睨むように見てくるのである。胡旦は陪臣の身ながら楽乗の車右にまでなった剛雛のことを快く思っていないのだろう。そのような嫉妬をもって敵視されるのも剛雛からすればあまりにも不本意であった。

 『胡旦様も随分と心が狭い……』

 自分のような人間が、楽乗が国主になったとしても丞相や将軍にはなれるはずがない。今の車右という地位が精々である。束の間の剛雛の出世など、鼻で笑う程度に見ていればいいではないか。剛雛はなにやら胡演と胡旦の人としての格の違いを見たような気がした。

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