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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~57~

 騎馬を得たことで進む速さを得た楽乗と剛雛は無事に伯国に入ることができた。伯国の北の拠点である嶺門を過ぎ、国都である衛環には寄らず、一気に伯国を通り抜けた。そして泉春を脱出して約二ヵ月半。ようやく静国の地を踏むことができた。

 「静国に入ればまず安心だ。とりあえず近くの邑を探して、情報を得よう」

 すでに胡兄弟やその他の者達が静国に入っているなら、同じようにどこかの邑に立ち寄るはずである。楽乗と剛雛は、とにかく静国に入って最初に発見した邑に入った。

 邑に入ると、住民達は奇異の視線に晒された。当然であろう。楽乗達の格好は、どう見ても地位のある者のそれではなく、その日の食料を捜し求める彷徨っている流民のようであった。

 「楽乗様。どこかで身なりを改めませんか?これでは役所どころか宿でも追い返されてしまいます」

 「そうは言うが、ここで金を使うと吉野まで野宿の日々になるぞ?」

 「私はこのままでもいいですし、野宿でも構いません。しかし、楽乗様は別です。これまでは仕方なく野宿でしたが、静国に入った以上、翼国の公子として振舞われたほうが……」

 「そうもいかんだろう」

 二人が言い合っていると、すっと寄る人影があった。気配を察した剛雛がさっと身構えた。

 「これは失礼。もしや貴方は翼国の公子、楽乗様ではありませんか?」

 鎧姿の兵士であった。物腰は丁寧だったのであったが、剛雛が緊張を解いた様子はなかった。

 「いかにも私は楽乗だ。そなたは?」

 「やはり。私はこの辺りの警備を担当しております久可と申します。主上からのご命令により楽乗様がお見えになるのをお待ちしていたのです」

 楽乗は全身の力を抜けていくのを感じた。これで長い逃避行がひとまず終わる。しかも静公はどうやら好意的に迎え入れようとしてくれている。それがどれほどありがたいことか、楽乗は全身で感じることができた。

 「失礼を承知で申し上げます。どうして静公は我が主が静国に来ると存じていたのですか?」

 剛雛の投げかける質問に楽乗ははっとさせられた。確かにどうして静公は楽乗が静国に来ることを知っているのだろうか。知っているとなれば、胡旦達が先に吉野に到着している以外に理由は考えられなかった。

 「すでにご家臣の方が吉野に到着されて主上の保護を受けております」

 「それは胡旦様か?」

 「名前はまでは存じておりません。私は楽乗様を見つけ、吉野にお連れする命令を受けているだけです」

 まだ警戒している剛雛に対しても、久可は丁重な態度を崩さなかった。折角の好意に猜疑を向けられても丁重であり続ける久可の振る舞いは、静公の薫陶の賜物であろうと楽乗には思えた。

 「剛雛。よい。静公は仁義の人だと聞く。詐術を以ってして私を捕らえるようなことはしないだろう」

 楽乗としては全面的に静公を信じようと思った。


 楽乗と剛雛は邑にあった宿に連れて行かれ、そこで湯に浸かり、衣服を真新しくした。衣服を改めることについては、剛雛は自らが陪臣であるため最初は拒否したが、楽乗も久可も認めなかった。

 「吉野に参るのです。流石にそのような襤褸では入れるわけには行きません」

 「そうだ。今の状況ではお前はもはや陪臣ではなく、たった一人の直臣なのだぞ。もっとそれらしい格好をしてもらわないと困る」

 そう言われるとそうかもしれない、と思い、剛雛がこれまで着たこともないような一張羅に袖を通すことになった。

 その日は邑で一泊した楽乗は馬車に乗り吉野に向かった。久可を隊長とする護衛部隊が付き、今までの逃避行が嘘のような旅となった。

 剛雛は馬車にこそ乗れなかったが、騎馬にて楽乗の乗る馬車に追従することが許された。

 『さながら近衛騎士のようだ』

 剛雛は多少感慨深く、騎馬に揺られた。翼国の田舎の貧家に生まれた自分が、公子を守る騎兵が如き立場にある。元を正せば、立身出世のために里周を出たのだから、今の剛雛はまさにそれを体現させたことになる。

 『だが、私の旅が終わったわけではない。楽乗様に国主になっていただくのが私の旅の最後の目的だ』

 今の剛雛にとって、出世は二の次になっていた。名誉富貴などは、成した大義によっておまけのようについてくるものであり、国家や民衆に対して成し遂げた何事かによって己の価値が定まると考えるようになっていた。

 『姉上が私に厳しい言葉を投げかけたのもそのためかもしれぬ』

 剛雛は気を引き締めた。泉春からの逃避行で、剛雛は間違いなく地位を向上させた。陳逸はおろか、胡兄弟に並ぶ地位になるかもしれなかった。だが、それには驕るまいと戒めた。驕った瞬間、剛雛は大義を捨てた利己のためだけの人間に成り下がってしまう。そのような人間だけにはなるまいと思った。

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