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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~53~

 泉春宮での謀議を知らない楽乗は、泉春でそれなりの環境に置かれていた。少なくとも優遇はされていなかった。胡兄弟を含む、全ての従者と同じ敷地内に住まわされていた。

 「龍国、印国と渡ってきましたが、これまでの中で一番待遇としてはひどいですな。まぁ、贅沢を言える立場ではないのですが……」

 胡旦も四十を過ぎて、随分と落ち着きを得るようになっていた。若き頃の胡旦であるならば、この境遇に怒り、愚痴を思うままに吐き散らしていたであろう。

 「どちらにしても長居はできないだろう。次はどこに向かうか……」

 楽乗は不安げに寝台を見た。こういう時に意見を求めるべき胡演がそこに伏せっていた。胡演は印国を出る頃から体調を崩しがちになっていた。

 「そんな顔をなさらないでください。私は大丈夫ですから」

 寝台に伏せているが、発する言葉ははっきりとしていた。

 「しかし……」

 「長旅で疲れが出ただけです。疲れが出ない楽乗様や兄上の方がどうかしています」

 憎まれ口を叩くぐらいならまだ元気なのだろう。楽乗は少し安心した。

 「楽乗様。胡演の体調が回復しましたら、静国に向かいましょう。静公は歴代に暗君なしと言われております。決して我らを粗略にはしないでしょう」

 胡旦が言う静国への亡命は、当初から念頭にはあった。しかし、翼国から静国に向かうには翼国を大きく行動せねばならず、なおかつ条国もしくは泉国を経由せねばならないので、最初の亡命先としては選択肢から外されていた。

 「流浪を重ね泉国へ来た以上、静国は目と鼻の先となりました。もはや静国へと向かう障害はありません」

 胡旦が強く主張した。楽乗としても頷かざるを得なかった。

 「分かった。胡演の回復を待って、静国へ向かうとしよう。それにしても泉公とはなんと薄情な男だ」

 楽乗は嘆息した。きっと泉公は国主としてろくな生涯を送らないだろう。楽乗はそう予感していた。


 楽乗主従が静国行きを決めたちょうどその深夜、事態が動いていた。泉春宮から楽乗を捕縛すべく、兵士達が楽乗達のいる邸宅に急行していた。数は全員で五十名。彼らは隙間なく楽乗がいる邸宅を囲んだ。

 これに最初に気がついたのは剛雛であった。剛雛は寝付けなくて深夜ながらに起きて庭に出ていのだ。

 実は数刻前、剛雛は胡演に呼び出されていた。

 「剛雛。私はこの様だ。めったなことはないと思うが、もし泉国が楽乗様に何か危害を加えるような真似をしてくれば、真っ先にお前が楽乗様をお守りしろ。そして迷わず静国へ行け」

 どうして今になってそのような話をするのか、剛雛には不可解であった。体調を崩して気弱になっているだけなのだろうか。

 「胡演様。ご心配なさらずに。いつも私共はそのつもりでおります」

 「他の者達を信用していないわけではない。しかし、楽乗様を真にお助けできるのはお前のような気がするのだ」

 買いかぶりすぎであろう。剛雛など槍を使えるだけである。政治も経済も知らぬし、権謀の知恵もない。身分も低いので楽乗の傍に常にいるわけでもない。おそらくは楽乗は剛雛のことを顔と名前を一致して覚えていないであろう。そのような人物が楽乗を救えるであろうかと思ったが、胡演を前にして本音を吐露することもできなかった。

 「何やら嫌な予感がする。こういう時は、天運に認められた者こそが艱難を切り開いてくれると思っている。そういう意味では天と地を師匠とするお前こそが相応しいのだ」

 胡演は断じた。それきりで剛雛は胡演の部屋を辞したのだが、どうにも眠ることができず、一人庭で槍を振るっていた。

 『何故こうも目が冴えるのだ……』

 かなりの時間、剛雛は槍を振るっていた。しかし、睡魔が襲ってくるどころか、ますます目が冴えてきた。

 感覚も冴えていた。忍び寄る複数の足音が聞こえてきた。剛雛は壁に上り確認すると、泉国の兵士が十重二十重と屋敷を囲んでいた。

 「敵襲だ!」

 剛雛は叫んだ。囲まれたとなれば、静かに逃げ出すことはできない。乱戦となって敵を切りながら脱出するしかない。

 「胡演様は動けぬはずだ」

 剛雛は、屋敷の中に駆け出した。

 屋敷に入ると、すでに屋敷の中は慌しくなっていた。ひとまず胡演の様子を確認しようと思ったが、途中で胡旦に出会った。

 「貴様は、演の部下か」

 「はい。剛雛と申します。胡演様の様子を確認しようと」

 「それは俺がやる。お前は乗様のところへ行け。乗様をお守りして脱出しろ」

 「しかし……」

 「演の話では俺よりもお前の方が腕が立つらしいからな。それに俺も演もこんなところで死ぬつもりはない。他の奴らもだ。だが、乗様に万が一のことがあれば元も子もない」

 「承知しました」

 屋敷の扉が強く叩かれる音がした。扉を破り突入しようとしているのだろう。

 「屋敷を出たら迷わずに南に行って静国に入れ」

 「はい!」

 剛雛が槍を片手に二階へ上ると、扉が破られる音がした。切り抜けるぞ、と叫ぶ胡旦の一団に陳逸がいるのを見た剛雛はもう振り向かず、階段を駆け上った。

 

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