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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~50~

 「大変でしたよ。兄上が突然、先生のことを軟禁するものですから。お会いしようとしても、私に会わすなというお触れが出ているようで、変装して忍び込むのも一苦労でしたよ」

 章海は秘密基地に忍び込んだ悪童のような笑顔を浮かべていた。

 「これは海様。どのような理由でここへ」

 楽乗は章海を上座に誘った。しかし、章海は外套を脱ぐと、上座には着かず適当な場所に座った。

 「暇乞いをしに来ました。私は鑑京を去るつもりです」

 あまりの衝撃的な発言に楽乗は絶句したが、章海は平然としていた。

 「それはどうして……」

 「先生ならお分かりでしょう。兄上を私を疎んじ始めておられる。私は兄上を支えてきたつもりだが、どうやら兄上は私のことが気に入らないらしい」

 章海は流石に鋭かった。章平が自分よりも才知に優れる自分のことを遠ざけたがっていることを明敏に察していた。

 「だからと言って鑑京を去らずとも……」

 「今でこそ態度で出る程度ですけど、いずれこのままの状態が続けばどうなるか分かりません。命を取られるようなことはなくても、幽閉なんてされたら堪りませんからね。今から身を引くことにします」

 あれほど自分の能力に自信を持ち、自分の方が国主に向いていると訴えてきた章海とは思えぬほどの変貌振りであった。あるいは大げさに振舞うことで、自分が無害であることと、章平が自分を容れることができない狭量な男であることを暗に主張したいだけなのかもしれない。

 「先生も兄上から丞相の就任を迫られてこんなことになっているんでしょう。うふふ、兄上は思いつめると何をするか分からないですよ」

 章海の言葉に色めき立ったのは胡旦であった。胡旦はがたっと音を立てて腰を浮かしたが、楽乗に目で制されて座りなおした。

 「平様が私を殺すとでも?」

 「さっきも言いましたが、兄上にそこまでの意気地はないですよ。私とは違って、先生を殺す意味はありませんからね。でも、先生がうんと言わない限りこの軟禁を解かないでしょうし、それ以外の方法も充分に考えられます」

 楽乗は章海の考えすぎである、とは思わなかった。現実にこうして軟禁状態に置かれているのだがら、思いつめた章平が今以上の手段を打ってくる可能性はあると思えた。

 「それで印公や章平様は章海様が鑑京を出ることをお認めになられたのですか?」

 それまでが楽乗と章海の会話を見守ってきた胡演が口を挟んできた。章海は嬉しそうに口角をあげた。

 「流石は先生の知恵袋といわれる胡演殿だ。いい質問じゃないか。父上には何も申し上げていない。衝撃を受けてそのまま亡くなられても困るからね。兄上には申し上げた。兄上は露骨に嬉しそうだったよ」

 章海はくくっと笑った。本気で笑っているようである。章海が何を考えて本心がどこにあるのか、楽乗にはさっぱり掴めなかった。

 「さて、あまり長居をしておりますと、痛くない腹を探られてしまいますから、そろそろお暇しましょう。先生、お世話になりました。このご恩、一生忘れません」

 章海は軽やかに外套を着た。

 「海様。本当によろしいのですか?あれだけ自分の才知を存分に発揮したいと思われていたのに……」

 「必ずしもそれだけが人の生き方ではないと教えくれたのは先生ですよ。あ、別に隠遁するわけではありませんから。しばらくは書に埋もれる生活をしたいと思っています。先生もそろそろご決断されるべき時ですよ」

 それでは、と章海は軽やかに去っていった。その後姿を見送りながら、確かに覚悟を決めて決断する時が来たのだと楽乗は実感した。


 章海と別れた二日後、楽乗も密かに鑑京を去った。この時、楽乗に付き従ったのは十数名であった。楽乗が印国で過ごした七年の間に妻を得て、家族を持った者も少なくない。楽乗はそのような者達には脱出をすることを告げなかった。何も告げないのは悪いとは思ったが、彼らの幸せな生活を壊すことに成りかねないので、その方がいいと判断してのことであった。

 『章海が去ったとなれば、章平もそこまで私に固執をしないだろう』

 楽乗が考えたように、追っ手が迫ってくる様子もなく、楽乗はすんなりと印国を出ることができた。彼らは港から船に乗ると、泉国の洛朋へと向かった。

 「やれやれ。また新天地か」

 付き従う従者の中には陳逸と剛雛もいた。彼らは鑑京で家族を持つようなことがなかった。

 「結局、陳逸殿は家族を持ちませんでしたね」

 「いい女はいたんだけどな。家族を持つなんて俺の柄じゃないんだよ。剛雛こそどうなんだ?」

 「それこそ柄じゃないですよ。私は楽乗様を守りするためだけにここまで来たのですから」

 「ふふん。それもいいさ。だが、まさか泉国まで来るとは思わなかったな」

 陳逸と剛雛の視線の先にはすでに泉国の姿が見えてきていた。この泉国で最大の試練が待ち受けていることを彼らが知るはずもなかった。

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