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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
235/959

漂泊の翼~48~

 印国に来て五年が過ぎた。この頃になると、印公は度々病で伏せるようになった。

 「まだ死ぬつもりはないが、先のこともある。章平を正式に太子であることを公にしようと思うが、どう考える?」

 小康を得て病床を払った印公は、楽乗を召して意見を求めた。

 「よろしいかと思います」

 この頃になると印公に対する楽乗の信頼は絶大なものになっていた。印国の延臣達も、楽乗の癖のない温厚な人柄に接しており、眉をひそめる者は少なかった。

 「そのうえで改めて楽乗殿にお願いしたいことがある。平が国主となったあかつきには、君が丞相になってくれまいか?」

 確かに印公は、章平の傅役を楽乗に依頼した時、将来は楽乗が丞相になっても構わないと言った。その時は遠い未来のことだと楽乗は聞き流していたのだが、改めて言われると、どうにも躊躇いを感じた。

 ひとつは他国者が国家の中枢を担う丞相になっていいものかどうかということ。もうひとつは、丞相となればこの国に骨を埋めなければならず、翼国に帰ることはもはや叶わないということであった。

 前者についていえば、楽乗が印国の延臣達に受け入れられているのは、人柄だけではなく、政治に一言も口を差し挟んでいないからでもあった。しかし、丞相ともなれば当然ながらそういうわけにもいかなかった。

 後者については、何度も考えたことであった。このまま印国で一生を終えるのも悪くない。時期がくれば楽仙、楽清を招きよせてもいいと思っていた。だが、そう思うたびに楽乗は断念していた。いずれ故郷に帰りたいという望郷の念が勝り、都度封印してきた。

 「印国には私より有用な人材が多数おりましょう。また章平様は健やかにお育ちになり、人を見る目も持っております。そもそも公もまだご健在です。傅役や傅役、丞相は丞相としてしかとした人物をお選びください」

 「ふむ。謙虚なものよな。だからこそ平の傅役に相応しいし、丞相となって欲しいのだが、まぁ、お互いゆるりと考えるとしよう」

 印公は譲らなかった。楽乗も自説を譲るつもりはなかったが、解決すべきはまだ先のことであろうと問題を先送りすることにした。

 

 章平が晴れて太子と立てられた。延臣達も国民達も、この発表に喜びの声を上げた。既定路線であったといえ、明確化されたことで誰しもが印国の行く末の安泰を感じた。

 そんな印国の明るい空気の中、楽乗は章海の様子を気にした。章海は、自己の優秀さを誰かに認めてもらうことに必死なのではないだろうか。そうだとすれば、兄が次期国主として認められたことを不服に思っているのでないか。楽乗はそれとはなしに章海の様子を伺っていたが、わずかながら表情が冴えなかった。

 『このままでは章海は将来的に章平を助けなくなるだろう』

 助けぬだけならまだしも、敵対するようなことになれば、楽乗と楽宣施のような関係になってしまう。それだけは避けたかった。

 章平の立太子が公表された翌日、楽乗は書庫で一人で書見している章海を見つけた。話をするには今しかないと思い、楽乗は声をかけた。

 「元気がないように見えましたが、どうかしましたか?」

 「先生、私と兄上ではどちらが優秀でしょうか?」

 「優秀というのは曖昧な言葉ですね」

 「では言い直します。私と兄上ではどちらが勉学ができるでしょうか?」

 「それは海様でありましょう」

 「私と兄上ではどちらが武術に優れているでしょうか?」

 「それも海様でしょう」

 「それならば何故、兄上が太子となったのでしょうか?兄というだけで選ばれただけではないですか?」

 それが悔しいのです、と章海は涙を流した。

 「海様は国主になりたいのですか?」

 「なりたいです」

 「何故なりたいのですか?」

 楽乗が問うと、章海は目を丸くして黙ってしまった。予想外の質問がきた、と思っているのだろうか。それで楽乗が確信した。章海は単に自分が兄よりも優秀であるがために国主になって当然だとだたそう思っているだけなのである。

 「国主とは何か?私もそれを常に考えさせられてきました。明確に答えを見つけたわけではありませんが、ひとつ言えるのは、国主とは国家の政治に責任を持ち、国土を守り、臣民の生活を平穏で豊かにするものです」

 聡明な章海はそれだけで自分の過誤を理解しただろう。目の色に自分の発言に対する後悔の念が表れていた。

 「海様が自分の才能に自信を持つことはいいいことです。ただしそれを活かすのは、何も国主になることだけではありません。兄である平様を支えるのです。兄を支えた名宰相として名を残すのです」

 「先生。私が間違っていました。これよりは己の言動を慎み、兄上を支える存在になれるように精進したいと思います」

 章海を落涙して謝した。これで章海は兄を支える賢臣になるであろうと楽乗は確信した。

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