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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~40~

 龍国へと亡命した楽乗は、一国の公子として礼節をもって歓迎された。すでに楽慶の妻である白倫と楽登が亡命していたので、楽乗が亡命する素地は整えられていた。

 この頃の龍国は全盛期を迎えていた。極国が興るのは数年後であり、龍公も他国の貴人を迎えるだけの余裕を持っていた。

 「大変であったろう。まずはゆるりとされよ」

 楽乗と対面した龍公は、温かみのある言葉をかけてくれた。だが、自分のもとに飛び込んできた貴人を使って他国を支配下に置くという野心には乏しく、楽乗も楽登も単に保護されているというような状態であった。国都龍頭に屋敷を与えられ、国内での行動の自由も許されたが、楽乗が龍公をはじめ龍国の閣僚達と面談できたのは、最初の一度きりであった。

 「これではいざという時、故郷に戻ることができるであろうか」

 胡旦は翼国の問題に対して能動的ではない龍国首脳部に怒りを顕にしていた。楽乗が次期国主として翼国に戻るときの事を考えた場合、どうしても龍国の助力、即ち軍事力が必要となってくる。しかし、龍国の鈍重さを見ていると、とても助力してくれるとは思えなかった。楽乗としても、前途に多少の不安を感じていたところへ、広鳳の郭文が楽伝死去という訃報が届けられた。

 「父上!」

 郭文からの書状を読み終えた楽乗は号泣した。あれほど愛情の薄かった父であったのに、亡くなったと知ると悲しみしかなかった。流石に胡兄弟もかける言葉がなく、ただそっと見守るしかなかった。

 三日三晩泣きはらした楽乗は、胡旦と胡演を呼び、今後のことについて話し合った。

 「乗様!今すぐにでも広鳳に戻りましょう。このままでは条西の子が国主となってしまいます。それでは玄紹様に申し訳が立ちません」

 胡旦は息巻いた。この時点ではまだ楽成が条西達を誅殺したことを知らないので、楽安が国主となるのではないかという胡旦の憶測は自然であった。楽乗としても、楽安がなるぐらいなら、という思いがないでもなかったが、それよりも優先されることがあった。

 「父上が亡くなったばかりだ。少なくも一年は喪に服したい。それがあるべき道ではないか?」

 示し合わせたことではなく、楽乗は郭文と同じことを考えていた。肉親の喪に服すことなく、自己の権力を求める醜悪さをもってして善政を敷く為政者となれるであろうか。楽乗が真っ先に思ったのはそこのことであった。

 「それに父上の後を継ぐとなれば、兄上の子こそ相応しくないか」

 胡旦がはっと息を飲んだ。

 「これは至らぬ発言でした。お忘れください。しかし、問題は白倫様と龍公がどう思っておられるかです。正直申し上げて、お二人ともあまり前向きではありませんから」

 これは胡旦の言うとおりであった。龍公が能動的ではないことは先述したが、楽慶の妻であり楽登の母である白倫も我が子を翼国の国主にすることにあまり積極的ではなかった。

 「どちらにしろ義姉上とは話せねばなるまい」

 楽乗は兄嫁が苦手であった。兄である楽慶やその母である萌枝夫人のような温かな交流などなく、ただ面識がある程度であった。楽乗が龍国に亡命してきたばかりの時も、ああそうですか、と言われただけであった。楽乗は重い腰をあげて、早速に白倫と面会した。

 白倫は龍国の重臣の娘である。父は後に極国との戦いで不名誉な敗北をする白襄であるが、この時はまだ龍公の側で我が世の春を謳歌する延臣のひとりであった。そのため白倫は父共々龍公の宮殿の一隅に住みついており、面会するにもしても一苦労であった。案内してくれる女官も、楽乗に対してはあまりいい顔をしておらず、姫様はあまりお会いしたくない様子でした、とわざわざ言ってくるほどであった。

 『他家の公子に嫁いで姫様も何もなかろう』

 楽乗は苦々しく思いながらも、多少滑稽であった。

 部屋に通されると、白倫は青白い顔を楽乗に向けたきり、一言も発しなかった。失礼します、と楽乗が断って白倫の前に座ってもなお、楽乗とは視線すら合わせようとはせず、ずっと隣で眠っている我が子を眺めていた。

 「我が父が亡くなりました」

と楽乗が言うと、知っています、とだけ白倫は答えた。

 『お悔やみの一言もないのか……』

 それは人心が欠如していると言わざるを得なかった。このような女性が兄の嫁であったかと思うと、無性に腹立たしかった。

 「現在、広鳳がどうなっているか分かりませんが、いずれ義姉上と登を迎える使者が来るやもしれません」

 「嫌です。私はあのような田舎に帰りたくない。ましてや登を連れていくなど論外」

 白倫の発言に楽乗は失笑しそうであった。国力の規模を考えれば、龍国など翼国の十分の一程度しかない。では、文化的に優れているかと言えば、どちらも秀でているわけではない。ただ、広鳳の宮殿は龍頭の宮殿に比べて明らかに質素であった。これは楽玄紹が華美を嫌い、楽伝もその精神を引き継ぎ、楽慶もまた同じような思想にあったためである。白倫は見た目の華美に惑わされているだけであった。

 『しかもその美しさは、国民から搾取しているだけではないか……』

 歴代の龍公が国民から搾取して華美な生活をしていることを楽乗は知っている。翼国では考えられぬことであった。

 「登についてもそうです。あのような国の国主になるぐらいなら、ここで平穏に暮らした方がいい」

 これには反論できなかった。今の状況で楽登が広鳳に戻るということは、決して簡単なことではない。楽安を推す条西や、あるいは楽宣施とも戦わなければならぬかもしれない。まだ母から離れられない幼子にそれような使命を科すには酷であるかもしれなかった。

 『龍国で貴人の娘として生まれ、翼国の公子に嫁いだのだ。その子に厳しい運命を課されるのは当然ではないか』

 という思いも楽乗にはあった。権力者が他者より富貴な暮らしができるのも、特権階級としての責務があるからであった。その責務は、時として艱難辛苦を伴いあるいは死が待っているかもしれない。だがらこその特権階級であり、白倫の言葉は、特権だけを享受し、責務を放棄しているようにも思えた。

 「それほど翼国が気がかりなら、あなたが戻ればよろしいでしょう」

 白倫は最後にそう言って楽乗に退出を促した。楽乗は、もうこの人の顔を見ることはあるまいと思った。


 余談ながら楽登と白倫のその後について語りたい。

 そのまま龍国で育った楽登は、長じて龍国の武人となった。眉目秀麗な亡命貴公子として社交界でも大層人気を得たが、極国との戦争の中で戦死した。享年十八。

 白倫も龍国での生活を続けたが、息子の死を境にして度々病床の人となった。それでも長く生き続け、後に楽乗が翼国の国主になったことを知ると、

 『このようなことになるのなら、あの時に登と共に広鳳に帰るか、乗殿に預けるべきであった』

 と不明な自分を恥じたという。この親子は共に龍国で埋葬されたが、楽乗は一度も参ることはなかった。

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