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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~38~

 楽乗が密かに許斗を脱した頃、広鳳では静かに困惑の波が立っていた。楽伝が危篤状態に陥ったのである。楽慶に自裁を命じた直後ぐらいから度々発熱を繰り返し、ついには立つことも不可能になってしまった。

 『これも慶様の怨念よ』

 と延臣達が囁く中、条西と融尹はその対応に追われ、楽乗のことに構っている場合ではなくなっていた。

 「主上はまだ安を嫡子としてお認めになっていない。どうすればいいか?」

 条西は苛立ちを隠さず、融尹に詰め寄った。融尹も実のところ、妙案が浮かばずにいた。すでに楽伝の重病は宮殿内外では広く知られており、楽伝の周りには常に看病する女官が侍り、政務を遂行するために閣僚達の出入りも多い。楽伝が一人となり、後継者についての条西達に都合のいい言質を取るのが難しい状況にあった。

 「こうなれば無理を押してでも主上の枕頭に立って、ご遺言を引き出すしかありません」

 融尹はそう言って隙をうかがっていたが、ついに実現することなく楽伝は没した。英傑楽玄紹の嫡子として生まれ、後継者として遜色のない才能を有しながらも、晩年は女色に溺れ、火種だけを残してこの世を去った。そのため後世の歴史家からは決して評価は高くなく、単に楽乗の父であるとしか紹介されないこともしばしばであった。


 楽伝が後継者を指名することなく亡くなったことで、翼国が混乱することは必至であった。

 『これで婿殿が国主となる好機!』

 と考えたのは龐克であった。すでに龐克は楽乗が龍国へ亡命したことを知らされている。それに龐克には強みがあった。広鳳において相当数の兵力を動員できる力を持っている。非常の際にはそれを用いることもできた。龐克は楽伝の死を知るやいなや郭文を訪ねた。計画を完璧に遂行するためにも郭文の知恵が必要であると判断したのだ。

 しかし、龐克の話を聞いた郭文は首を横に振った。

 「お止めになったほうがいい。今はその時ではない」

 「どうしてですか?婿殿、乗様が国主となるまたとない好機ですぞ」

 「主上が薨じられたばかりです。喪に服す間もなく、そのような権謀を立てることが善でありましょうか?翼国の国民達がそのような君主に畏敬の念を感じるでしょうか?」

 郭文にそう言われ、龐克ははっとした。おそらくは今の広鳳でそのようなことを考えているのは郭文だけであろう。

 「確かに仰るとおりです。私の失言でした。許されたい。しかし、どうにも惜しい……」

 「時を待つことです。このような混乱期に主君として押し出されても、衆人の指示など得られますまい。いずれ乗様が継がれることになりましょう」

 仮にお考えください、と郭文は続けた。

 「条西の息子、安が継ぐとしましょう。安はまだ幼子ですし、主上の寵愛だけを頼みにしてた条西にどれほどの影響力があるでしょうか?むしろ反感だけを買うでしょう」

 郭文の言には説得力があった。龐克はいちいち尤もだとばかりに頷いた。

 「次に宣施様が継ぐとしましょう。宣施様は条国を後ろ盾にして戻ってくるでしょう。それについてどれほどの者が快く思うでしょうか?最初は上手く収めるでしょうが、いずれ不満は噴出します」

 「要するに楽安と楽宣施が争うのを見極めてから共倒れになるのを待てと仰るわけですか?」

 「共倒れはしないでしょう。すでに宮殿では安様派と宣施様派で暗闘が繰り広げられていることでしょう」

 郭文の言うとおり、宮殿では両派が暗躍を始めていた。楽安を推すのは条西の息のかかった宮殿の奥向きを司る者達であり、楽宣施を推すのは表向き、即ち閣僚達であった。中には楽慶の息子である楽登や、当然楽乗を推す者もいないではなかったが、実に少数であった。

 「寧ろ、これは幸いというものです。乗様も我らも嵐の外に置かれます。今は嵐が過ぎるのを待つだけです。龐克殿もご自重ください」

 「自重か……。どれほどの月日が必要であろうか」

 「さて、どうでありましょう。数年、十数年、あるいは数十年かもしれませんな。しかし、玄紹様は四十年近くの歳月をかけて事を成し得ました。それを考えれば、我らも長の艱難辛苦に耐えられましょう」

 「そうですな。自分の栄誉富貴などどうでもいい。乗様が国主となり、翼国がより良き国になることを祈るとしましょう。それにしても郭文殿の読みは相変わらず凄みがありますな。ついでにひとつ伺いたいのは、仮初の権力を手に入れるのはどちらでありましょうや?」

 「宣施様でしょうな」

 郭文は即答した。龐克も同意見であった。

 「何よりも大国である条国が後ろ盾にある。おそらくは閣僚の中にはすでに条国から賄を貰っている者もおりましょう。しかし、そのようなやり方では長続きはしません。宣施様に閣僚達と条公を御し得ると思われますか?」

 郭文の推測は神意を帯びていた。この時の言葉がまさにほぼ史実どおりになるのであった。

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