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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~32~

 条西にとっては、楽宣施と条亜を取り逃したのは痛手であったが、楽慶を始末できたことは僥倖であった。これで翼国に残る嗣子は楽乗と楽安のみとなった。

 「こうなれば楽乗も始末する他ありませんね。融尹、どうすればよいですか?」

 「乗様は遠く離れた許斗におり、この度の事態に対しての言動が聞こえてきません。宣施様や慶様を始末したような手は難しいでしょう」

 「遠隔地にいるにならば、謀反を起こそうとしているなどと嘯いて、兵を起こしてもらってはどうか?」

 「それは危険でありましょう。乗様の知恵袋たる郭文は広鳳にいますが、勇猛な胡兄弟がおります。負けぬにせよ、戦が長引けば他国の介入を許す危険性がございます」

 「界公か、それとも覇者気取りの静公か。条公の可能性もあるか」

 忌々しげに舌打ちをした条西は他に策はないのかと語気を強めて言った。

 「刺客を送りましょう。少々試したい男がおりますので。使えるようならば、今後とも条西様のお役に立ちましょう」

 「ふむ……。任せます」

 暗殺という手段は気に入らなかたが、条西は融尹に任せることにした。


 一連の事態を楽乗が知ったのは、広鳳にいる郭文からの書によってであった。楽乗の傅役であった郭文は現在、年老いた母の世話をするため広鳳にいた。郭文の書状は矢継ぎ早に三通届き、楽慶と萌枝夫人の自害まで伝えられた。

 「兄上が……。このようなことがあってよいものか!」

 楽乗は書状を握りしめ、人目を憚らず泣いた。すでに事情を知っている胡兄弟も、あまりの事態に呆然とするばかりであった。

 『兄が何をしたというのだ!』

 楽乗は天に向かって叫びたかった。楽乗は兄楽慶ほどの仁者を知らない。いずれは楽慶が国主となれば、翼国はより繁栄するであろうと思っていた。それなのに楽慶は政争に巻き込まれるようにして亡くなった。しかも、その死に方は壮絶と言ってよく、ある意味で太子として仁義を貫いたと言えなくもなかった。

 「乗様、お嘆きはご尤もですが、我等もこれからの身の振り方を考えねばなりません」

 胡演が進言すると、楽乗はきっと睨んだ。兄の死を悲しむ暇も与えない胡演を恨めしく思ったが、これからのことを考えねばならないのは正論であったので、黙り込んでしまった。

 「郭文様は何と仰っていますか?」

 胡旦が先を促すように尋ねた。

 「軽挙妄動せず、じっくりと情勢を見定めろ。しかし、万が一の時は龍国へ逃げろと言っている」

 「万が一というのは主上が乗様を召喚なさり、難癖をつけて処罰なさるということか!」

 「それだけではありません。刺客を送るということも考えられます」

 胡旦の言葉に胡演が付け足した。

 「父が私を殺すというのか?」

 「乗様。宣施様の追討や慶様を弑いる命令は主上から発せられてはおりますが、おそらくは条西の陰謀でありましょう。条西が主上の寵愛をよいことに好き勝手やっているのでしょう」

 楽宣施の逃亡と楽慶の死で最も徳をしたのは楽安の母である条西である。彼女が愛息を太子にせんがための陰謀であることは、胡演に指摘されるまでもなく容易に推測できた。

 「演の言う通りならば、主上の目を覚さなければなりません。すぐにでも広鳳に上り、お諫め申し上げるべきでしょう」

 胡旦がそう主張し、楽乗も頷きかけたが、胡演が首を振った。

 「事実として主上に諫止申し上げた太子が自害に追い込まれました。今、広鳳に向かえば敵の罠に嵌りにいくようなものです。だからこそ郭文様は自重されるように言われたのではないですか」

 確かにその通りだ、と楽乗は思った。しかし、それでも広鳳に駆け上るべきではないか。待っているものが死であったとしても、自分が楽伝を諫めることで正義が成るのではないか。楽乗はじっと俯き自問していた。

 「乗様。仮に乗様が命を落とされれば、嗣子は楽安となります。それが果たして翼国にとって最善でしょうか。そのこともお考えください」

 胡演の言うことひとつひとつに説得力があった。郭文が胡兄弟の中でも胡演を買っていた理由が分かったような気がした。

 「しばらく様子を見よう。警戒は怠るな」

 楽乗は胡兄弟に念を押すように命令した。


 広鳳を脱出した楽宣施と条亜は、苦難の逃避行の末、条国に逃げ込むことができた。条公は、娘と娘婿を温かく歓迎したが、内心では、

 『主君を諫められず、喪に服する様子もない男にいかほどのことができるか』

 と楽宣施のことを侮蔑していた。しかし、愛娘の婿であり、翼国へ触手を伸ばすための重要な手駒であると思えば、侮蔑の色は容易に隠すことができた。

 「よくぞ参られた。旅塵を落とし、しばらくゆるりとなされよ」

 条公は最大限の好意を込めて言った。

 「舅殿、兵をお貸しください。千、いや、五百で結構です。すぐに広鳳の駆け戻り、奸臣どもを討ち払ってやります!」

 楽宣施は条公の好意を無視するように捲し立てた。

 『この男は馬鹿か』

 条公は呆れ果てた。今の楽宣施には急ぐ必要などないのである。楽宣施が条国に逃れたことで、翼国の嗣子はほぼ楽安に確定するであろう。そうなれば、楽乗を支持する者達との衝突は必至であり、翼国は乱れる。そこへ漁夫の利を得ようと条国の大軍を従え戻れば、やすやすと嗣子あるいは国主になれる。その程度の計算も立てられるとなれば、楽宣施の君主に器量も窺い知れた。

 「婿殿よ、慌てることはない。今は旅塵を落とし、母上のために少しの間でも喪に服してはどうかな?」

 条公は幼子を諭すように言った。楽宣施は渋い顔をして無言で頷いた。

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