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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~29~

 楽伝の言う融尹とは、閣僚から国主への申し次を行う秘書官である。楽伝から絶大な信頼を得ており、時として政治的な事柄や家政についても諮問されることもあった。実は融尹はすでに条西と気脈を通じているのだが、当然ながら楽伝はそのようなことを知るはずもなかった。

 「後宮では余が慶を廃太子として宣施を太子にする、というような噂が立っていると聴いたが、お前が知っていたか?」

 「知ってはおりましたが、口さがない女官どもの戯言でありましょう」

 融尹が悪辣なのは、条西と通じていることを悟られないように即座に話に乗らないことであった。

 「しかし、火のない所に煙は立たないと言う。このようなことを無視しておれば、後顧の憂いとなろう。単なる噂であるのならば、早々に消さねばなるまい」

 承知しました、と融尹は恭しく叩頭した。

 早速に融尹は調べはじめた。勿論、楽宣施と条亜の周囲には条公の息のかかったものが多い。特に条亜に仕えている女官のほとんどは条国から来た者達であり、彼女達が繁く条国と連絡しているのは当然であった。それらのほとんどは、他愛もない日常的な連絡でしかなく、中には翼国の実情を知らせるようなものも多少なりともあった。ただそれは国家間の儀礼から逸脱しない程度のものであったのだが、融尹はこれを最大限に利用した。

 「確かに宣施様と条亜様の周辺で不穏な動きをしている者がおります。度重ねて条国と書簡のやり取りをしている者がおり、中には閣僚達に資金をばらまいている者もおるようです」

 数日後、融尹は楽伝に報告した。報告した内容としては半ば事実である。ただ悪意をもった表現を少し加えることで、受けての印象が変わり、虚実の判別がつかなくなってしまう。しかも、楽伝が以前のような聡明さを失っており、融尹の悪意をそのままに受け止めてしまった。

 「融尹の調査ではそなたの言っていたことがどうやら事実であるらしい。どうしたものか」

 楽伝は寝屋で条西に報告した。今や楽伝は国政や家政の細々したことを条西に相談していた。

 「どうかこのことは内密にして、ことを荒立てないでくださいませ。主がお二人を追求なされば、家政が乱れ、仕舞いには国政の乱れとなります。私はそのようなことを望んでおりません。私はただ、私と楽安が無事であればそれでよいのです」

 条西は瞳に涙を溜めて楽伝に懇願した。

 「そなたは優しいな。分かっておる。そなたを誰にも害させはしないし、どこへにもやらない」

 楽伝は条西を激しく抱きしめた。その激しさの中で条西は密かに笑った。

 

 表向きはこれで楽宣施と条亜、そして耀舌夫人への疑惑は沈静化した。だが、恐るべき毒牙は融尹によって仕込まれていた。

 耀舌夫人は、後宮内での自分と息子夫婦にまつわる噂を承知していた。それは夫人にとっては半ば間違いのない内容ではあったのだが、今の段階で後宮に広まり、楽伝の耳に入るのは得策ではないと考えていた。

 『宣施を太子に推す声は延臣から自然とあがった方がよい』

 そう仕向けるための根回しがまだ完璧ではない。耀舌夫人としては迷惑千万な噂話であった。

 「そういう噂が広まるのは私にとっても宣施にとっても迷惑です。主の耳に入れば私自身も主に白い目で見られてしまう。なんとかして鎮められないものか?」

 と耀舌夫人が持ちかけたのは、融尹その人であった。融尹は耀舌夫人にも取り入っていた。

 「噂の出所は条西夫人でありましょう」

 「ふん、あの女狐ですか?」

 「左様です。今、主上は条西夫人にお心を奪われております。我らが臣はそのことに心を痛めております。我らとしては、正妃は耀舌様であり、太子となられるのも宣施様こそ相応しいと思っております」

 「世辞はよろしい。で、打つ手はあるのですか?」

 と言いながらも満更でもなさそうに耀舌夫人は鼻を鳴らした。

 「ここはひとまず条西夫人の機嫌を取っておいたよろしかろうと思います。そうすれば主上も耀舌様の器量の大きさを認められ、ますます国母に相応しいとお思いになるでしょう」

 「私が女狐にか?」

 「その女狐は所詮は羽氏の妾であった女です。正妃になれようがありはずがありません。今はご辛抱の時です」

 「気に入らぬが、良きよいに」

 耀舌夫人は投げやりに言った。


 翌晩、耀舌夫人から条西に贈り物が届けられた。翼国に伝わる珍奇な果実で、耀舌夫人が所領している農園で収穫されたものであった。条西は耀舌夫人の女官からそれを受け取ると、夜に訪ねてきた楽伝に嬉しそうに報告した。

 「見てくださいまし。耀舌夫人から甘水瓜をいただきましたの」

 「ほう。耀舌がな」

 楽伝としては、後宮に不穏な空気が蔓延していただけに、耀舌夫人から条西に対して好意的な接触があったことに安堵した。

 「早速剥いて差し上げますわ。そうそう、小鳥達もこれが好きでしたわね」

 条西は甘水瓜の皮を剥き、小さく千切って鳥籠に入れた。小鳥達は美味しそうに甘水瓜に群がり啄んだが、すぐに泡を拭くと痙攣をし、動かなくなってしまった。

 「ひいぃ!」

 条西は悲鳴を上げると、楽伝に寄りかかり抱きついた。

 「これは……毒か?」

 楽伝は窓を開けると口笛を吹いた。すると犬が二匹、窓際に寄ってきたので、楽伝は甘水瓜を二つ投げ落とした。犬達は甘水瓜にむしゃぶりついたが、小鳥達と同じようにしばらくして泡を吹き、二匹ともばたりと倒れた。

 「ああ!恐ろしい!」

 「おのれ耀舌!条西だけではなく、余までも亡きものにしようとしたのか!」

 衛兵を呼べ、と楽伝は自ら剣を手にした。

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