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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
212/962

漂泊の翼~25~

 楽乗は別れを言うため羽陽宅を訪ねた。今回は供を連れず、ひとりで来たのには楽乗なりの意味があった。別れを告げるとはいえ、別に楽乗が羽陽を保護することをやめるわけではない。要するに今回の訪問は、あくまでも楽乗の個人的なものであり、そのために供を連れて行くわけにはいかないという楽乗なりのけじめであった。

 「あ、楽乗様」

 羽陽は変わらぬ様子で楽乗を迎えてくれた。

 「敏と綜は?」

 「邑の方達と狩りにでております」

 「そうですか……」

 羽陽は楽乗の歯切れの悪さを気にする風でもなく、茶を入れてくれた。

 「実は嫁娶することになりました」

 楽乗が言うと、羽陽の表情が一瞬こわばった。そして消え去りそうな声で、おめでとうございます、と言った。

 「これからも羽陽様達をお守りすることには変わりありません。敏と綜が成人すれば、臣下として迎える気持ちも変わりません。しかし、こうしてお会いするのはこれで最後にしたいと思っています」

 「そうですわね……。嫁娶された方が寡婦の家を度々訪ねるというのは、あまりよろしくありませんわね」

 羽陽の言い方に嫉妬まじりの毒が含まれているように思えたのは、楽乗の傲慢であろうか。羽陽は表情を悟られまいとしてか、楽乗から顔を逸らしていた。

 「羽陽様……」

 もう別れを告げた。立ち去ろう。何度も考えた楽乗であったが、体は思うように動かず、気がつけば羽陽を抱きすくめていた。

 「楽乗様…‥」

 驚きの声をあげた羽陽であったが、抵抗することも拒むこともなかった。身動ぎもせず、必死に楽乗の体温を感じようとしているかのようであった。

 「僕は卑怯な男です。あなたを愛していながら、自分の気持ちを偽り続けた。公子の座を捨てでてもあなたと添い遂げる勇気が僕にはなかったんです」

 楽乗は泣いた。母が死んだ時、祖父である楽玄紹が死んだ時。いずれも楽乗は涙を流したが、今、楽乗の頬を伝う涙はそれらとまた別物であった。今生の別れではない。でも、傍にいながらも会うことのできない愛すべき人がいるという事実は、若い楽乗にはあまりにも残酷であった。

 「まだ前途の明るい楽乗様が、過去にしか生きれない女と連れ添ってはなりません。これでよかったのです」

 羽陽は楽乗を優しく諭した。羽陽は決して楽乗から離れず、楽乗の背に手を回してきた。

 「羽陽様」

 楽乗は羽陽の頬を両手で覆い、口づけをした。羽陽はやはり拒まなかった。寧ろ羽陽の方が積極的に楽乗の唇を求めてきた。そのまま二人は寝台に倒れ込み、最初で最後の契りを交わした。

 わずかな逢瀬を終えた二人は、まるでその思い出を振り払うように急いで衣服を改めた。

 「乗様、お元気でお過ごし下さい。もし次にお会いできるとすれば、子供達が成人した時でしょうか?その頃ならば、お互いしこりなくまた語り合えるかと思います」

 その言葉を聞いて、羽陽も自分のことを愛していてくれたのだと楽乗は思った。

 『どうせなら私の屋敷で働きませんか?』

 という言葉を楽乗は必死になって飲み込んだ。そのような言葉など羽陽は求めていなかった。

 「お元気で、羽陽様」

 今の楽乗にはそういうだけで精一杯であった。


 羽陽に別れを告げた楽乗は楽伝に嫁娶に対して承諾する返事を認めた。話はとんとん拍子に進み、一か月後には祝言となった。広鳳から娘を伴って龐克が許斗に来訪することになり、楽乗は臣下達と供に許斗の外で、婚礼の一団を待った。

 「お、来られましたな」

 郭文が声をあげると、騎馬と馬車の隊列が見えてきた。思いの外大きな集団であり、荷物を乗せていると思われる馬車は十数乗に及んでいた。

 「ほほう。龐克殿も気合が入っておりますな」

 傅役を務めてきた郭文からすると、楽乗の嫁娶は感慨深いのだろう。先程から嬉しそうであった。

 「これはこれは楽乗様……お久しゅうございます。この度は我が娘を妃としていただき、まことにありがとうございます」

 一団を先導していた龐克は、許斗の門前に達すると下馬して膝をついて叩頭した。

 「良きに日に嫁を迎えられて嬉しく思う。しかも知己の龐克殿の娘となれば、私も安心して迎えられる」

 「おお、そう仰っっていただけるか。我が娘も喜んでおりましょう。龐仙」

 遅れて到着してきた馬車に龐克が声をかけると、一人の少女が馬車の窓から顔を覗かせた。

 「初めまして、楽乗様」

 ちょこんと頭を下げる龐仙を見て、楽乗はまるで少年ではないかと思った。

 「よっと」

 龐仙は軽やかに馬車から飛び降りて。髪を肩より上に切りそろえており、まだあどけなさが残る顔立ちは、適度な胸の膨らみがなければ、少年と見間違ってもおかしくなかった

 「これ、龐仙!はしたないぞ!」

 龐克が嗜めると、ちろっと舌を出して恥ずかしそうに肩を竦めた。

 『なんと蓮っ葉な……』

 楽乗は失望をした。楽乗の知る女性とは異母である萌枝夫人であり羽陽であった。龐仙はそのいずれの女性像からもかけ離れていた。

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