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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~24~

  羽陽宅からの帰路、楽乗が無言のまま馬を進めていると、胡演が馬を寄せてきた。

 「乗様は羽陽様を好いておられるのですか?」

 胡演に言われて楽乗は即座に返答できなかった。今ほど自分の気持ちを素直に言い表すことできないことはなかった。

 「どうなんだろうな」

 楽乗はあえてそのような言い方をしたが、羽陽に対して好意を抱いているのは確かであった。

 『私は羽陽様を好いている』

 だが、その好意というものが、ひとりの男としてひとりの女性に惹かれているのか。それとも哀れな境遇にある羽陽への憐憫が好意に転嫁したものなのか。あるいは単に魅力的な女性に抱く男児特有の劣情がそうさせているのか。楽乗自身、どれが自分気持ちとして正解なのか分からなかった。

 「乗様は真面目ですね」

 「真面目?本当にそう思うのか?」

 「真面目ですよ。乗様のお立場なら、羽陽様を無理に抱いても文句は言われますまい」

 胡演は随分と卒直に言ってきた。

 「馬鹿なことを言うな!そんなことできるはずないだろう」

 「勿論馬鹿な話です。ですから羽陽様も乗様に惹かれているのでしょう」

 「羽陽様が私を?そんなことあるはずがない」

 そうでしょうか、と胡演は少し笑った。兄である胡旦と違って、胡演はどうにも分かりにくい男であった。

 「まぁ、乗様はご自分のお気持ちに素直になられるべきです。そうでなければ、きっと後悔する日が来てしまいますよ」

 「年下にくせに偉そうなことを……」

 楽乗は負け惜しみのように言ったが、胡演の言ったことが正しかったとすぐに思い知らされることになった。


 楽乗の運命を左右する話は広鳳の楽伝から発せられた。

 『楽乗にも嫁娶を考えんとな』

 楽玄紹の喪が明けるまでの間、楽伝はそのことを考えていた。と言っても、楽乗本人のことを考えてのことではなかった。実は羽氏を滅亡させた直後ぐらいから、楽伝は水面下で楽宣施の婚姻話を進めていた。相手は条公の娘であった。楽伝自身が条西を保護し、なおかつ自分の息子が条公の娘を娶れば両国の関係は一層強くなると考えたのである。楽伝の息子の中で楽慶はすでに結婚しているので対象から外されたのだが、娶るのが楽乗ではなく楽宣施が選ばれたのは、やはり楽伝が楽宣施に並々ならぬ愛情を感じているかであった。

 だが、そうなると問題が出てくる。兄である楽乗を差し置いて先に楽宣施が先に嫁娶するわけにはいかなかった。そのために楽乗に婚姻話を持ち上げたのである。

 『問題は相手だ』

 これは難問と言ってよかった。楽慶の正妃は龍国重臣の娘であり、楽宣施が条公の娘を娶るとなると、楽乗にもそれなりの相手を用意せねばならなかった。楽伝は各国の条件に合いそうな女性を探させたが、これというのが見つからなかった。さてどうしたものかと思っていると、楽伝にとって意外な人物が楽乗の婚姻話を聞きつけ手をあげてきたのであった。

 「乗様の嫁にはぜひ我が娘を」

 そう楽伝に直訴してきたのは龐克であった。楽乗と龐克の接点といえば、尾城を攻めた時ぐらいであり、その程度の縁で龐克が娘を差し出そうとすることを楽伝は多少奇異に思った。

 『乗と縁を結んでもそれほど得なことはなかろう』

 太子である楽慶や楽伝の寵愛著しい楽宣施と縁を結ぼうとするなら分かるが、楽乗と縁を結んだとことで龐克が今以上の地位にありつけるとは思えなかった。

 それでも、とにかく楽乗の嫁娶問題を片付けたいと思っていた楽伝には渡りに船であった。

 「よかろう。ひとまず許斗にいる楽乗に伝えよう」

 楽伝は早速に使者を許斗に派遣した。


 許斗から舞い込んできた突然の嫁娶話に楽乗は目の眩みを感じた。楽伝からの書状は、あくまでも楽乗の意向を確かめるものであったが、断れぬ類の話ではないことは明らかであった。

 『やはり私羽陽様を好いていたのだ……』

 楽乗はようやく認めることができた。しかし、自分の気持ちに素直になれたところで、もとより羽陽を嫁にすることはできぬし、嫁を得たとなればもう足繁く羽陽のもとに通うこともできないであろう。兎も角も楽乗は相談役と言うべき郭文を読んだ。勿論ながら羽陽への恋心は言わずにいた。

 「ははぁ。乗様も嫁娶となりましたか。傅役としては感慨深いですな」

 楽乗の懊悩を知らぬ郭文は朗らかに言った。

 「主上はあくまでもこういう話があるとしか言ってきてはいないが、受けねばならんのだろうな」

 「勿論でありましょう」

 楽乗はため息をついた。郭文はちらっと楽乗を見て言葉を続けた。

 「主上がわざわざこのような書状を送られてきたのは乗様に負い目があるのでしょう」

 「負い目?」

 「左様です。太子はすでに龍国の重臣の娘と結婚し、宣施様が条公の娘を正妃として迎えるという話も聞いております。一方で乗様が自国の家臣の娘を娶れるのであれば、それは公平性を欠くと思われても仕方ありますまい。主上はそのことを気にされたのでしょう」

 「私はそのようなことは気にしない」

 寧ろ気遣いでの嫁娶など迷惑なだけであった。それならば一層、生涯独身のままでもよかった。

 「ふむ……。乗様には良き人がおられるのですか?」

 楽乗はどきりとした。流石に郭文は鋭い。楽乗は返答に窮した。

 「良き人がいても、添い遂げられぬ人ならば、お忘れになった方がよろしいでしょう。乗様だけではなく、その女性も決して幸せにはなれますまい」

 郭文は何事か察したのかもしれない。察しながらもあえて具体的に明言しないのが郭文の優しさであろう。楽乗は羽陽に別れを言う決心をせねばならなかった。

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