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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~23~

 楽玄紹の死から一年が過ぎた。喪が明けて名実共に翼国の国主となった楽伝は、それまで拠点としていた許斗から政治行政軍事の中枢機能を広鳳に移した。それ以前から楽伝は、羽氏を滅ぼしてからは広鳳を住処としていたのだが、これで完全に広鳳が楽氏翼国の国都となった。

 そのため太子である楽慶も許斗から移ってきて居住を定め、当然ながら楽宣施も広鳳に残った。楽伝の三人の公子の中で楽乗だけが許斗に留まることになった。

 「また楽伝様は楽乗様を蔑ろになさるのか!」

 胡旦などはそういきり立ったが、多少事情があった。拠点を広鳳に移すのだが、それまで楽氏の拠点であった許斗にもそれなりの人口があり、これを無視することができなかった。また北方は龍国、泉国と国境を接しているので、そこ広鳳に次ぐ大規模な邑を設けておくことは決して不利益ではなかった。

 『任せられるのは乗しかいない……』

 楽伝は冷静に考えてそう結論付けた。重要な役割を家族としての情愛ではなく、単純の能力を見て割り振ることができたのは、楽伝の目がまだ曇っていない証左であった。

 一方で楽乗は自分が広鳳に残れなかったことに遺恨を感じることはなかった。楽伝はあえて語らなかったが、重要な仕事を任されたのだという自覚があり、また慣れ親しんだ故郷を見捨てることも楽乗にはできなかった。

 もうひとつ、楽乗が許斗に残留して喜ぶべきことがあった。楽乗が広鳳で保護した羽陽が許斗近郊に住んでいたのである。広鳳が陥落した後、楽玄紹の指示により羽陽の身柄は楽乗が預かることになった。許斗に近くに楽乗が有している邑があったので、そこに住まわしていたのである。楽乗は度々、羽陽の様子を見に行っていた。

 その日も、楽乗が胡演を供にして羽陽の住居を訪ねていた。羽陽は機織をしていたが、楽乗が訪ねてきたと分かるとその手を休めて丁重に迎えた。

 「いつもいつも申し訳ありません、楽乗様」

 広鳳が陥落して一年半、羽陽の表情は大分と和らいできていた。ここに住処を定められた頃はどこか陰りを残していたが、今はとなってはその陰りも随分と見えなくなっていた。

 「何か不自由はありませんか?あれば仰ってください」

 楽乗は羽陽のもとを訪れる度に同じ言葉を繰り返していた。これに対していつもならば、大丈夫ですと羽陽が答え、楽乗がそうですかと返して、しばらくの沈黙が続いた。そして、沈黙に耐えられなくなった楽乗がそれではまた来ます、と言って立ち去っていた。しかし、この日は違っていた。

 「どうして楽乗様は私にここまでしていただけるのですか?」

 羽陽の返答はいつもと違っていた。楽乗は返答に詰まって俯いた。

 「私はこれでも羽氏一族、羽達の妻だった女です。楽氏からすれば敵であったはず。それなににどうしてここまで良くしていただけるのですか?」

 「それは……亡き玄紹様の遺命でありますから……」

 「玄紹様にはお礼の申しようがありません。しかし、私が生きられるように玄紹様を説諭されたのは楽乗様です。どうして楽乗様はそのようになされたのですか?」

 羽陽は夫の後を追って死にたかったのではないか。それでも自らの手で死ぬことは躊躇われ、楽氏が広鳳を攻めてきたのを機に他者の手で死ぬことを期待していたのではないか。今になって羽陽がそのように考えていると思うと楽乗は胸が痛んだ。

 『どう答えるべきなのだろうか……』

 自分でも上手い答えが用意できなかった。慎重に言葉を選ばないと羽陽を傷つけてしまうかもしれないし、だからと言って上辺だけの取り繕った答えでは納得しないだろう。何と言うべきか口をまごつかせていると、家の扉が勢いよく開かれた。

 「ただいま帰りました、母上」

 羽陽の息子、羽敏と羽綜であった。二人は楽乗の姿を認めると人懐っこい笑顔を向けてきた。

 「あ、乗様。いらっしゃいませ」

 挨拶をして丁重に頭を下げたのは兄の羽敏で、その隣で兄の動作を真似たのが弟の羽綜であった。この二人はひどく楽乗に懐いていた。

 二人の子供は自分達の過酷な運命を知り得る年齢になっていた。それにも関わらず明るさを忘れず、父の敵となったかも知れぬ楽乗に親しみを見せる気丈さは、年長者から見ても頭が下がる思いであった。

 「羽敏、羽綜。先生のところに行っていたのか?」

 楽乗は羽陽に背を向けて羽敏と羽綜と迎えた。内心、羽陽との会話が途切れほっとした。

 「はい。『国辞』を習っていました」

 羽敏と羽綜は、この邑の長老から文字や算術を習っていた。二人の学問をつけさせるように羽陽に進め段取りをつけたのは楽乗であった。

 「そうか。よく励みなさい。そうすればいずれ仕官への道も開けるでしょう」

 楽乗は本気で二人の仕官を考えていた。楽伝に仕えされるのは難しいかもしれないが、楽乗の直臣ならば問題はないであろう。そうなれば羽則と羽達の名誉回復にもつながるだろう。

 「本当ですか?」

 羽敏が嬉しそうに声をあげた。彼らからすれば仕官の道など閉ざされたものだと思っていただけに、楽乗から申し出は未来への扉が開かれたことを意味していた。

 「乗様、何から何まで……」

 羽陽も先程までの楽乗に対する疑義を捨て、涙を流して喜んだ。楽乗も嬉しくなってきた。

 「羽陽様、楽氏と羽氏では確かに因縁はあったでしょう。ですが、元は同じ翼氏から別れたものです。お互いに因縁を捨てられるのなら、私はその道を示したいのです。玄紹様も主上も同じお考えでしょう」

 楽乗は羽陽達への厚遇をそう説明した。羽陽は納得したのか楽乗をそれ以上問い詰めなかったが、当の楽乗自身がどうにも納得してきれずにいた。

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