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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
209/962

漂泊の翼~22~

 羽氏は滅びようとしている。正確に言えば、翼国における羽氏政権が終焉を迎えようとしていた。その終焉までの道筋を整備したのは羽禁本人であり、羽禁の死はまさにその象徴であった。

 楽氏軍が宮殿に攻めかかると、羽禁は寵姫や近臣を引き連れて、高楼に登った。本来は兵士が見張りをし、敵襲があった時は矢を降らせる迎撃の拠点であったのだが、羽禁は兵士達を下ろさせて一行でぞろぞろと高楼を占拠した。

 「見ろ、賊軍どもが浮塵子のごとく群がってくるわ。蹴散らせ蹴散らせ!」

 羽禁が自ら弓を取り、矢を放った。その矢が楽氏の兵に命中したか定かではないが、それだけで彼らはわっと歓声を上げた。

 すでに宮殿内部にも楽氏軍が侵入してきている。羽氏軍は命令系統が寸断されながら、じりじりと戦線が狭まってきた。そのことに気がついていない羽禁達が狂乱の宴を続けている最中、別の防御拠点を守っていた羽氏軍の将兵が高楼の傍を通りかかった。

 「どこの馬鹿だ。こんな時に騒いでいる奴は!」

 この羽氏の将は、目の前の高楼に自分達の主君がいるということを知らなかった。単に味方の兵卒が自暴自棄になって乱痴気騒ぎをしているのだと思っていた。

 「引き摺り下ろしましょうか?」

 「そんな時間はない。火でもつけて燃やしてしまえ。高楼は残しておけば敵に使われるだけだし、戦場で馬鹿騒ぎをしている奴など羽氏の恥だ」

 そう言い終わると、彼らは高楼に火をつけてそのまま去っていった。

 自分達がいる高楼に火をつけられた羽禁達は、酒に酔って感覚が鈍っていたせいかすぐに気がつくことができず、ようやく足下が火の海になっていた頃には下りる階段も焼失していた。

 「何だこれは!誰か助けよ!」

 羽禁は叫んだが、その拍子に足を滑らせ、高楼から真っ逆さまに落下した。地表に叩きつけられた羽禁は即死した。高楼に残った寵姫、近臣達も燃えて崩れた高楼共々、この世から消え去った。

 幸か不幸か、羽禁の死骸は燃えることがなかった。そのため楽氏の将兵に発見されることになった。

 「この衣装、羽禁ではないのか?」

 彼らのうち、誰かがそう口にすると、楽氏の将兵達は我先にと羽禁の死骸に殺到した。羽禁の体は魚のように切り刻まれ、それぞれ楽玄紹の陣に持ち込まれた。勿論、それぞれが手柄とするためであった。

 「この者達に等しく褒賞を与えよ」

 切り刻まれた羽禁と対面した楽玄紹は感情を抑えながら言った。楽玄紹としては、いくら仇敵羽氏の人間とはいえ、惨い死に様までは求めていなかったし、味方の兵卒が欲に目がくらんで亡骸を切り刻んだという事実に嫌悪を感じていた。しかし、楽玄紹の立場としては、その嫌悪を飲み込んで褒詞を授けなければならなかった。

 「羽禁の死を知らせよ。そして降伏を促せ。もう戦いは終わったのだ」

 楽玄紹のこの一言は羽氏の滅亡を宣言することとなった。夜が明ける頃には羽禁の死が各戦線に伝わり、羽氏軍兵士のほとんどが降伏をした。

 「これで羽氏の時代が終わったか。儂の代で羽氏を滅ぼすことができたとは……」

 感無量とばかりに楽玄紹は宮殿を見上げて涙を流した。義王朝五○二年のことであった。


 翌日、楽玄紹と楽伝は二人きりで広鳳の地下にいた。羽氏に仕えていた祭官からここに翼国の神器である破天の弓が眠っていると聞かされたからであった。

 蝋燭を片手に狭い通路を抜けると、台座の上に弓がひとつ置かれていた。弓は白木で作られており華美な装飾などなく、一見すれば粗末のように見えるが、その質素さが逆に威厳をかもし出しているようにも思われた。

 「これが神器ですか……。真主ならば、弦を引くことができるという」

 「そのようだな……」

 楽玄紹は触れようとして手を止めた。楽伝もじっと父の挙動を見守るだけで、触れてみる様子はなかった。

 「いや、やめておこう」

 楽玄紹は手を引っ込めた。楽伝が怪訝な顔をしたので、楽玄紹は少し笑った。

 「別に弦を引けなかった時のことを考えたわけではない。儂はな、この数十年間、ずっと考えてきたことがあった。国主に相応しい条件とは何かということだ。神器に認めらることか?わしは否だと思っている。真に国主に相応しいのは、民衆の生活を守り、国家を平穏で豊かにすることだ。神器とは所詮、権力の象徴でしかない。儂やお前、あるいは子孫達が、神器に認められた真主であることで慢心し、民衆のための政治を疎かにすることを恐れる」

 そのために触れぬのだ、と楽玄紹は言った。

 「承知しました。祭官にも神器のことは他言せぬようにしましょう」

 楽伝の言葉に楽玄紹は静かに頷いた。


 その半年後、楽玄紹はその生涯を閉じた。羽氏との戦いに人としてのすべてを注ぎ込んだ英傑は、その偉業を成し遂げると、まるで役目を終えたかのようにこの世を去った。

 生前、病床の人となった楽玄紹を憐れみ、楽伝が一時的に翼公の地位を譲ろうとした。すでに楽伝は界公を通じて義王には翼国の国主として認められており、名実共に楽氏の長者が翼公となっていた。この息子からの申し出に対して、楽玄紹は静かに首を振った。

 「馬鹿なことを言うな。子から親に家督を譲るなど聞いたことがない。お前の孝心がありがたく思うが、無用なことだ」

 楽玄紹からすると、羽氏を滅ぼすということこそが悲願であった。自らが翼公となることは結果でしかなかった。

 そして、今際の際となると、楽伝と孫達を枕頭に呼び、遺言を残した。

 「儂の人生は羽氏を滅ぼすために費やされた。そのことに後悔はない。これから先、お前達に望むのは翼国の繁栄だ。風土を愛し、臣民を慈しむことだ。無用な野心を抱かずに、国を豊かにすることに邁進して欲しい」

 要するに領土を拡張させるような侵略戦争をせず、農商業をもって富国の道を進めと諭したのである。

 「それと一族の結束を深め、その絆を強固にすることだ。一族の結束の乱れは、国の乱れにもなる」

 それが楽玄紹の最後の言葉となった。楽玄紹が最も気にかけていたことであり、その意思は楽玄紹の死とともに楽氏から消え去ることとなった。

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