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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~19~

 その夜、前線で戦っていた捕虜兵達は一箇所に集められた。彼らは遅々として進まぬ戦局について何事か叱責されるのではないか。はたまたその見せしめのために懲罰があるのではないか、と恐々としていた。だが、目の前に酒樽や料理が並び、朗らかな表情の楽玄紹が姿を見せると、どうも違うのではないかと彼らは思い始めた。

 「諸君。長の戦、ご苦労である。諸君らを得てからこれまで諸君らと一席を設けることはなかった。儂はそのことを悔いていた。だから戦時とはいえ、今宵ばかりは諸君らと愉快な時間を過ごしたいと思う」

 楽玄紹が手にしていた杯に酒が注がれた。捕虜兵達にも酒が入った杯を渡された。

 「さぁ、盛大にやってくれ!無礼講だ!」

 杯を高々と掲げ、楽玄紹は酒を飲み干した。その姿を見て緊張感を解いた兵士達も酒に口をつけた。彼らからすると久しぶりの酒であった。

 「さぁさぁ皆様、どんどん飲みましょう。敵?気になさるな。気になさるな。今宵ばかりは敵も指をくわえて羨ましく思うだけでありましょう」

 郭文なども兵士達に酒を注ぎに回った。楽乗もその輪に入り、兵士達と肩を組んで酒を飲んだ。

 宴は盛り上がった。酒の入った彼らは口々に歌い、踊った。これを広鳳の兵士達はどう思っただろうか。彼らは敵が突如として前線で宴会を始めてただ驚いただけであった。だからと言って彼らは敵に隙ができてたと飛び上がり出撃することはなかった。

 「あんなあからさまに宴会をするなど、奴らは隙を見せて我らが出撃するのを待ち伏せているだけだ」

 城壁で守備を担当している将軍は、そう言って兵士達を戒めたが、末端の兵士からすると、酒を飲み、ご馳走を食べ、歌い、踊るという楽しげな光景はただただ羨ましいだけであった。しかも、

 『あの宴会に参加している兵士達は、いずれも尖軍山で捕虜になった者達だ』

 ということを彼らは知っていた。それだけに羨ましさが増し、厭戦気分が高まっていった。さらに聞こえてくる歌がすべからく翼国の南部で歌われる、即ち羽氏の領土で暮らす人々がよく歌っているものであったということが広鳳の兵士達を動揺させた。

 そのようなことを知らない楽乗は、興が乗ってきて即興で詩を思いついた。

 「紙と筆を持ってきてくれ」

 楽乗は詩を好んで作った。ただ自分ではあまり詩才がないと思っていたのか、あまり多くの詩を後世に残すことはなかった。だが、この時に作った詩は長く翼国で語り継がれることとなった。


 嗚呼、翼子、汝は何がために戦う

 嗚呼、義君、吾が戦うは君がためにあらず

 吾が戦うは、君が赤子のため

 吾が戦うは、吾が妻のため、子のため、母父のため、故郷のため

 嗚呼、翼子、汝こそまことの英傑なり


 これは七国創世神話に出てくる義舜と初代翼公との会話であった。

 楽乗はそれを詩にして節をつけて曲に乗せた。

 「よき詩ですな。どれ、この詩を皆で歌おうか」

 郭文が音頭を取り、それを捕虜兵達に歌わせた。このことがさらに広鳳の兵士達の士気を落した。詩の内容は、今の彼らの心情を代弁するものであった。何のために戦っているのかという問に、主君のためではない、民衆と家族と故郷のために戦っているという答え。

 まさに広鳳の兵士達の心情をよく現していた。彼らは、果たして何のために戦っているのか。暴虐な主君のためではないのか。決して民衆や自分達の家族のためではないということは明らかで、翼国という愛すべき自国のためでもないのではないか。そういう葛藤が彼らの中で沸騰していった。

 しかも前線で守りについている兵士達は、いずれも羽禁によって無理やり徴兵された者ばかりである。敵から流れてくる歌を聞いて、彼らは涙を禁じえなかった。そして、

 「我らが戦う理由などない。彼らももとは同じ翼人ではないか」

 口々にそう言って、城壁の守備についていた兵士達は武器を置いて、広鳳を抜け出して、楽氏軍の陣に身を投じた。払暁の頃には正面の門が開かれた。

 「よし。降伏する兵士達は丁重に扱え。伝と宣施は突撃して宮殿に制圧せよ。生死は問わぬ、羽禁を確実に捕らえよ」

 城門が開かれたのを確認した楽玄紹は、宴席に参加していなかった楽伝と楽宣施に軍を率いさせ、広鳳に突入させた。

 「乗は広鳳の治安を維持せよ」

 さらに楽乗にも命じた。酔いが冷め切っていない楽乗であるが、手勢を率いて広鳳に入った。

 「住民の生命と家財に手を出した者はいかなる者であっても死刑とする。この楽乗に二言はないと思え!」

 先ほどまで宴席を盛り上げる場にいた楽乗であったが、広鳳に入っては修羅となった。楽氏の軍の軍律は厳しく、とりわけ楽乗の部隊の軍律は楽玄紹が模範とすべきと評したほどであった。

 軍律は徹底され、広鳳は戦場となるのであったが、楽氏軍の兵士が住民に危害を及ぼすことはなかった。このことが楽乗に運命の出会いをもたらすのであった。

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