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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~10~

 「どう見ましたかな?乗様」

 尾城を出た郭文は、楽乗に尋ねてきた。

 「間違いなく今の尾城に兵士は少ない。せいぜい五十名ぐらいだろう。今の我らでも十分攻め取れる」

 郭文は嬉しそうに頷いた。どうやら楽乗の読みは郭文のそれと同じであるらしい。

 「ほう。何故そう思われましたか?」

 「見ただけでも推察できるし、彼らは食料を買い取ろうとした。もし敵の食料が枯渇していれば強奪しただろう。そうしなかったということは、単に私達の歓心を買いたかっただけだ。となれば、それほど食料が枯渇するほどの兵士数がいないということになる。それに酒樽ひとつで十分だと言っていた。あの酒樽の大きさならば一人で二升飲んでも、せいぜい五十名ぐらいだ」

 「流石でございます。乗様をお連れしたい甲斐があるというものです」

 「しかし、分からぬことが二つある。敵は出撃している軍との連絡が上手くいっていない様だったな」

 「おそらくは敵にとって楽伝様の軍を追うというのは想定外だったのでしょう。それにまだ決定的な勝利を得ていないという証拠でもあります」

 「なるほど。もうひとつは、どうして郭文は敵が勝っている様なことを言ったのだ?」

 「簡単なことでございます。負けているといえば、敵は敗残兵とそれを追撃する敵が来ると考えて警戒するでしょう。しかし、勝っていると知れると警戒はどうしても緩む。そういうことでございます」

 楽乗は郭文の知恵の深さに感嘆するしかなかった。自分など到底及ばぬと思った。郭文はどうしてそのような知恵の深さをこれまで隠していたのだろうか。そのことを問うと、郭文は声上げて笑った。

 「ははは。私の知恵など所詮悪知恵です。社稷のための才知ではありません。ですからご隠居様も楽伝様も必要とされないだけです」

 「私は傅役から悪知恵を教わっているのか?」

 「生きる知恵と申しておきましょう。生きるうえでは多少のずる賢さは必要ですからな」

 そのような会話をしながら楽乗達は無事龐克達と合流することができた。郭文は今見てきたことを詳細に龐克に告げた。

 「よし、ならば今すぐにでも攻撃しよう。夜襲となれば敵も油断しておろう」

 龐克は勢いよく立ったが、郭文は手で制した。

 「もう暫し待ちましょう。そうですな、朝方がよろしいでしょう。少々度の強い酒を置いてきましたから、その頃には完全に酔い潰れておりましょう」

 龐克はもはや異論を差し挟まなかった。今や郭文の知恵は楽乗の軍にとって神意そのものであった。

 楽乗達は朝方までじっと身を潜めながらじりじりと尾城に近づいていった。

 「胡旦達三十名は裏手へ」

 指揮を取るのは龐克であった。楽乗は実戦となるとその指揮を龐克にゆだねた。

 『小規模ながらこの戦闘は楽氏にとって運命の一戦となる。私はまだ実戦経験が少なく未熟です。ぜひ龐克殿に指揮を取って欲しい』

 そう言われれば龐克としては悪い気がしなかった。龐克は迷うことなく快諾した。勿論、楽乗に入り知恵したのは郭文であった。

 「胡旦は裏手に到着すれば大いに騒げ。それを陽動にして一気に攻める」

 本隊は当然ながら龐克自ら率いて、楽乗と郭文もそこに身を置いた。幸いにして朝靄が出ていた。敵の見張りも気がついていないだろう。

 「そろそろですかな」

 郭文が空を見上げると、遠くで声があがった。楽乗は身構えたが、龐克は流石に悠然としていた。

 「敵が裏手に移動するまでしばらく待ちましょう」

 龐克は焦れる見方を落ち着かせた。そして聞こえていた喚声が小さくなると、龐克は剣を抜いた。

 「今だ!かかれ!」

 龐克を先頭に部隊が動いた。楽乗も龐克と並んで先陣を駆けた。砦の柵を引き倒し、中に乱入すると敵兵の姿は疎らであった。ようやく見かけた敵兵も鎧すらまともに装着していない状態であり、楽乗達は瞬く間に各所を制圧していった。

 「これはどうやら勝ちましたな」

 武器もすら持っていない郭文が呟いた。楽乗も勝利を確信していた。


 戦闘は朝靄が晴れた頃に決着した。尾城には楽乗が予測したとおり五十名ほどしかおらず、しかもほとんどが郭文の意図したように酔い潰れていてまともに戦闘できる状態ではなかった。味方に戦死者はなく、敵兵のほとんども武器を捨て逃げ出したか捕虜となった。捕虜の中には楽乗達を応接した兵士もいた。彼は守備兵の部隊長であったらしく、楽乗達の前に引き出されると、酔いが醒めたように目を見開いた。

 「貴様は楽氏の兵だったのか!くっそ!」

 「悔しがる気持ちは分かるが、どうだ?このまま私に仕えないか?」

 兵士は不思議そうに楽乗を見た。自分が勧誘されるとは思っていなかったのだろう。

 実は楽乗側にも切実な事情があった。楽乗達は楽伝に尾城を奪取したことを伝えて守備してくれる兵士を送ってもらわなければならない。そうしなければ折角得た尾錠を敵に奪い返される可能性もある。援軍が送られて来るそれまでは楽乗達だけで守備しなければならない。味方は多いに越したことはなかった。

 「あなたに仕えれば、私は富貴を得られるか?」

 「私は楽乗という。嫡子ではないが、これでも公子だ」

 兵士の顔色が変わった。彼からすれば、思わぬ奇貨と出会ったことになる。

 「よかろう。私は阿習という」

 この出会いは、楽乗にとっても阿習にとっても運命的なものになるのだが、それが分かるのは随分と先のことになるのであった。

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