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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~4~

 楽氏と羽氏の争いのはじまりは、二百年ほど前に遡る。

 当時の翼国の国主は翼氏の翼鐘。翼鐘には二人の弟がいた。翼分と翼遜である。この二人がそれぞれ楽の地と羽の地に封土を与えられ、それぞれ楽氏、羽氏を名乗るようになった。翼鐘、楽分、羽遜の三兄弟は非常に兄弟仲がよく、力を合わせて翼国の発展に尽力していった。

 三氏の仲が破綻したのは、翼鐘、楽分、羽遜の三人が生きた時代からおよそ百年後。当時の翼公が後継者となる嫡子が生まれることなくこの世を去ったのである。翼氏の中に後を継ぐものがおらず、楽氏、羽氏のいずれかから新たな国主を迎えねばならなかった。

 当時の楽氏の長は楽銅。彼は国主は翼国の神器によって選ばれるべきだと考えており、楽氏と羽氏どちらかの人間が神器である破天の弓を握って確かめればよい、と悠然と構えていた。

 しかし、羽氏の長である羽甲は違っていた。羽甲は速やかに重臣達を国都である広鳳に行かせた。彼らは広鳳の延臣達に多量の賄賂をばら撒きながら、羽甲こそ新しい国主に相応しいと説いて回った。その結果、広鳳では羽甲を国主に迎えるという気運が生じ、間髪容れず広鳳に入った羽甲はそのまま国主の座についてしまったのである。

 楽銅が驚倒したのは言うまでもない。遅まきながら広鳳にのぼった楽銅は、神器による裁定を訴えたが、羽甲を支持する多数派で固められた現状では、巨岩に泥団子をぶつけるようなものであった。自らの訴えを聞き入れられず許斗に戻った楽銅は、失意のうちに病んで亡くなった。

楽銅は亡くなる直前、公子と延臣達を枕頭に呼んで遺言を残した。

 「羽氏に遅れを取ったのは最大の不覚であった。この恨みを果たせねば、我が魂魄は永遠にこの大地を彷徨うだろう。願わくば、我が子孫が恨みを晴らしてくれることを祈る」

 楽銅の恨みは即ち楽氏とそれに仕える者すべての恨みでもあった。彼らは楽銅の恨みを晴らすべく行動を開始したが、同時に苦難の始まりでもあった。

 以来、楽氏とその家臣団は、事あるごとに羽氏と衝突し、時には武力をもって、時には弁舌をもってなんとかして翼国国主の地位を得んとしてきた。勿論、羽氏も黙ってはいなかった。武力や国権をもってして楽氏の領土を削ったり、他国との交易を妨害したりと楽氏の力を低下させることに腐心してきた。こういう対立となると、権力と経済力を握っている羽氏の方が有利になり、楽氏は国主を狙うどころか次第に勢力を衰えさせていった。

 楽玄紹が公主となった時には、楽氏は翼国の北西の一隅に拠点を構えるだけになっていた。楽玄紹は楽氏を苦境から救った英傑であった。彼は支配下にある民衆に質素倹約を求め、自分自身もあらゆる華美を排して、国庫の充実に努めた。それだけではなく特産物である魚の塩漬けと真綿の織物を龍国と泉国に積極的に売り込み、この交易で巨万の富を得ることができた。

 その一方で軍備を拡充を遂行した。とりわけ騎兵の育成に心血を注いだ。楽玄紹の時代、戦場での主力は歩兵と兵車であった。兵車は馬で車を引かせ、車に兵士が乗り込み戦闘を行った。攻撃力こそ高いが、機動性が乏しかった。羽氏はこの兵車での戦闘に優れていた。そこで楽玄紹は兵車では羽氏に勝てぬと考えて、あえて兵車の攻撃力を捨てることにした。機動性の高い騎兵で兵車を翻弄することを主眼とし、練度の高い騎兵を育て上げ、それを運用する戦術を研究していった。余談ながら、樹弘の時代には中原の戦争では騎兵が主力となっており、兵車は過去の遺物となっていた。

 これら楽玄紹の改革によって楽氏の勢いは急激に伸張し、十年かけて羽氏の勢力を黒絶の壁以北から放逐することができた。

 『このまま一気に広鳳へ』

 楽玄紹は意気込んだが、その前に立ち塞がったのは黒絶の壁という天然の要害であった。前述したとおり、黒絶の壁は翼国の中央部を東西に分断するように存在している。それほどの高低差があるわけではないのだが、大軍の行動には不向きであり、唯一行軍可能な長蛇の坂の麓で待ち伏せをされればその先に進むのは不可能であった。

 では黒絶の壁を東もしくは西に大きく迂回してはどうか、と検討してみたが、広鳳に辿り着くのに時間がかかり過ぎ、許斗へ逆撃を喰らう可能性もあった。

 『やはり儂の代で羽氏を滅ぼすのは不可能なのか……』

 許斗へと戻る道中、楽玄紹はふとそういう虚無感に襲われた。今だけではない。これまで何度もその虚無感に襲われては抗って打ち勝ってきた。だが、どういうわけか、今回に限っては虚無感がなかなか消えなかった。

 「儂も老いたな……」

 許斗に帰り着いても虚無感が抜けない楽玄紹は、早々に寝台に身を沈めた。六十を超える年齢になって楽玄紹は、明確な老いを認めなけなばならぬと思った。身体的には勿論、精神的にも覇気は明らかに衰えていた。やはり方針を転換し、時間をかけて流べきなのではないか。明日にでも楽伝の意見を聞いてみようと思い、楽玄紹は眠りについた。

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