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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~3~

 楽玄紹は翼国の地図を眺めていた。使い古された地図で楽玄紹の手による書き込みが数多く成されていた。いずれも羽氏との戦いがあった日時と結果が記されていて、そのひとつひとつを楽玄紹は思い出すことができた。そしてこれからの戦略を練るのが楽玄紹の毎日の日課であった。

 『やはり長蛇の道を下るしかないのか……』

 楽氏と羽氏の領土を隔てている黒絶の壁。これはほぼ翼国中央部の東西に渡っていて、大軍を北から南へと移動させるには、長蛇の道といわれる坂を下るしかなかった。しかもこの坂道は、左右に蛇行しているので時間が掛かり、下りきった所で敵の待ち伏せに遭うということを幾度となく繰り返してきた。楽玄紹自身、二度の大掛かりの出師を行って、二度とも長蛇の坂で撃退されていた。

 『儂の代でなんとか決着をつけたい……』

 それが楽玄紹の執念であった。目に疲れを感じた楽玄紹は目頭を押さえた。

 天幕の中は騒がしい。演習を兼ねた狩猟の結果が続々が報告されてくる。それらを分析して公平な戦績を評価せねばならない。それを取り仕切るのは子である楽伝である。いずれ公主となる楽伝には必要な習練なので、今回はすべてを楽伝に任せることにした。しかし、聞き耳だけは立てていた。楽伝が公平な信賞必罰をしたかどうかを判断するのは楽玄紹の役割であった。

 「何?乗がまだ戻らんだと?」

 楽伝の険しい声が聞こえたので楽玄紹は顔を上げた。楽伝の前で困り顔の男がいた。楽乗の傅役である郭文であった。すでに天幕には楽伝の長子である楽慶と末子である楽宣施の姿がある。楽乗だけ後れを取っているということであった。

 「はぁ、獲物を追って胡旦共々まだ戻っておりません」

 「お前がついておりながら、まったく……。あいつは少し抜けたところがある」

 楽伝が楽乗に対して感情的な冷ややかなのは楽玄紹も察していた。そのことについて楽玄紹が口を差し挟むつもりはなかったが、その冷淡さが楽乗への評価に影響しているとなれば、上に立つ者として問題であろう。

 楽玄紹が何事か言おうとすると、楽乗が戻ってきた。

 「遅くなりました」

 楽乗は悪びれた様子もなく、天幕に入ってきた。

 「遅いぞ、乗。すでに撤収命令は出ているはずだぞ」

 楽伝が怒りを顕にしても、楽乗は落ち着いていた。楽伝の隣では長子である楽慶が心配そうに眉をしかめているの対して、さらにその隣にいる末子楽宣施が薄気味悪い笑みを浮かべていた。

 『三者三様の孫だわい』

 楽玄紹は、ここを収めるのは自分しかおるまいと思って、ようやく口を開いた。

 「皆、ご苦労であった。論功は後に発表するとして、乗は何をしておった?」

 怒られると楽乗は思ったのだろう。はじめて顔色に怯えの色を見せた。

 「黒絶の壁からの風景を眺めておりました」

 『ほう……』

 おそらくは本当のことであろう。演習とはいえ、敵地に近い所でその境界線まで行くとは尋常ではない。

 『単に肝が太いのか、それとも本当に抜けているのか……』

 どちらにしても面白みのある孫である、と楽玄紹は楽伝と違った感触を楽乗に抱いた。


 その夜、楽玄紹は楽伝と論功をした。

 「最も獲物を多く獲得したのは左翼の宣施です。流石というべきです」

 地図を広げて楽伝が詳細に報告をする。楽伝は末子の楽宣施を可愛がっている。そのことが評価へと明らかにつながっていた。

 「伝よ。論功に私情を挟んではならん」

 楽伝は申し分ない嫡子である。しかし、人への好悪が激しいのが難点であると楽玄紹は思っていた。

 「失礼しました。しかし、実際に宣施が最も獲物を多く仕留めています。功一等としてもよろしかろうと考えますが」

 「お前はそう見るか」

 楽玄紹はじっと地図を眺めた。そこには各部隊の獲物を獲得した数と進軍路が記されている。確かに楽宣施は最も多くの獲物を獲得しているが、単独で部隊を動かしていて他部隊の連携がまるで取れていなかった。

 それに対して楽慶の部隊の動きは堅実そのもので、総大将である楽伝の命令を忠実に遂行しているようであった。

 『楽宣施は猪突するぎる。楽慶は堅実だが独創性に欠ける』

 楽乗はどうか。獲物は公孫三人の中では最も少ないが、右翼から中央部に回り込むように部隊を動かしている。中央を進む楽慶の進路の前に出るような形であるが、見ようによっては楽慶の進路の前に獲物が集まるように追い込んでいるようでもある。

 『楽乗が意図的にそうしているのであれば、なかなか大したものだ』

 要するに兄に獲物を多く取らせようとしている。楽乗が意図的に行っているとすれば、戦略的に優れているしだけではなく、兄を密かに立てようとする孝心の表れでもあった。

 「何か違っておりましたでしょうか?」

 楽伝は不安げであった。自分の評定が楽玄紹のお気に召さなかったのではないかと心配になっている様子である。子達に強気の楽伝も父である楽玄紹には頭が上がらず恐れを抱いていた。

 『自分で気づかねば実にならんか……』

 所詮は演習である。あるいは楽伝が子達の素質を見抜くための習練こそ、演習という機会で積まねばならぬと楽玄紹には思われた。

 「お前が見えているものと、儂がみえているものが違うらしい。だが、それは正しい正しくないという問題ではあるまい」

 楽玄紹は直言しなかった。楽伝は不思議そうな顔をしながらも、功一等のところに楽宣施の名前を記した。

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