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七国春秋  作者: 弥生遼
漂泊の翼
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漂泊の翼~2~

 天は青く広く、地は黄土であった。単騎馬を駆る楽乗は、巻き上がる黄塵を時折払いのけながら、目はしっかりと前方に向けられていた。

 「敵がいなければいいが……」

 この地は敵の勢力下に近い。そんな所を楽氏の公孫がひとりでいると知れれば、敵は目の色を変えて襲ってくるだろう。迂闊なことをした、と若き楽乗は後悔した。

 楽氏の軍はこの近辺で演習をかねた狩猟を行っていた。狩猟は食料を得るだけではなく、軍の進退の練習になるので頻繁に行われていた。一部隊を任されていた楽乗は、目前によき獲物が現れたので必死になって追っていると、気がつけば一人になっていたのだ。

 「肝心の獲物に逃げられるし……」

 これで獲物を獲得できなければ、父にも祖父にも怒られるだろう。なんとしても獲物を見つけねばならなかった。

 血眼になって捜していると、目端に何かを捕らえた。獲物かと思ったが、一騎の騎馬であった。

 「乗様、捜しましたぞ」

 寄せてきた騎馬武者は臣下の胡旦であった。

 「胡旦か」

 「胡旦か、ではありません。まったく危険な真似をして……。反省なさってください」

 「うるさいな……」

 楽乗と胡旦は、主従関係にはあるものの、同年代であるためあまり遠慮がなかった。

 「さぁ、戻りますぞ。もう獲物はおりませんし、玄紹様からは撤収命令が出ております」

 「そうか。しかし、ここまで来たんだ。もう少し付き合え」

 獲物を獲られなかったのは残念であるが、ここまで来たのだから見ておきたい光景があった。

 楽乗は胡旦と並んでしばらく馬を走らせた。楽乗が目指したのは黒絶の壁と言われている崖の上であった。眼下には森林群が広がっていた、草もろくに生えていない絶壁の上とはまるで別世界のようであった。ちょうどここが楽氏と羽氏が争っている境界線でもあった。

 「乗様はこの光景がお好きですね」

 楽乗は前線に出た時、幾度となく羽氏の領土を見渡せる場所が好きであった。それほど高い崖ではないが、下へ降りるには一苦労するだろう。大軍を移動させるとなれば、相当骨が折れるであろう。楽氏が羽氏に対して闘争を繰り返しながらも、羽氏の領土に踏み込めないのはこの天然の要害というべき場所があるからであった。

 「見てみろ。わずかこの断崖が遮っているだけで、二つの国土はこうも違う。我らが父祖も玄紹様も、何度も羽氏を羨んでその地を欲したことか」

 「はい。楽の地に生まれた者としては、まさにそれが宿願です」

 楽氏は決して貧しいわけではない。しかし、不毛な大地で生まれ過ごすと、緑と水が豊かな地を望むのは人としての摂理かもしれない。

 「それだけではない。我らが楽氏には翼国の国主となれたかもしれないという慙愧の念もあるのだ」

 まだその感情は楽乗には希薄であった。しかし、祖父である楽玄紹を見ていると、国主への希求というものが底知れぬ怨念と化しているのではないかと思う時もあった。

 『父上はどうなのだろうか?』

 楽乗は父のことを思い浮かべた。楽乗にとって父は遠い存在であった。父子でありながら感情の交流がほとんどなく、疎遠であると言った方がいいかもしれない。そのことについて楽乗はあまり深く考えないようにしていた。

 『父と自分はそういう関係なのだ』

 嫡子ではない子の存在など、所詮は嫡子に何かあったときの代替でしかないのだ。ましてや今は亡き楽乗の母は父に寵愛されているわけではなかった。

 「いかがなさいましたか?」

 胡旦が顔を覗き込んできた。きっと楽乗の顔は強張っていたのだろう。

 「いや、公主になどなれぬ身がそのようなことを考えても意味のないことだと思い直しただけだ」

 「そのようなことを。延臣の中には乗様こそ公主に相応しいと言う者もおります」

 「口を慎め。父上ですらまだ公主についていないのだぞ。それに兄上がおられる」

 兄である楽慶は温厚篤実、学問もできる優秀な人物であった。戦をさせても申し分なく、将来公主になるに相応しい存在だと楽乗は思っていた。

 「は、言い過ぎました」

 後に楽乗に忌憚のない意見をぶつける胡旦であったが、若かりし時は主人に対して従順であった。

 「さて、戻ろうか。玄紹様に怒られる」

 「はい」

 楽乗と胡旦は馬を進め、楽玄紹がいる本営へと戻ることにした。

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