孤龍の碑~47~
両軍が合間見えたのは炎城からやや南方であった。牧原という場所で、その文字通りに牛馬を放牧するのに相応しい平原であり、多少の地形的な隆起があるものの、山塊など軍勢を隠すような遮蔽物はなかった。
「ほう。炎城に籠もらんのか」
斥候からの報告を聞いた呉忠は意外に思った。龍国軍は数で劣るのだから炎城で篭城すると呉忠は踏んでいた。しかし、斥候からの報告によれば、青籍は炎城にはわずかな守兵しかおかず、出撃してきたのである。
「罠という可能性もあるかもしれません」
呉忠と合流した烏慶が助言した。青籍と敵対した経験でいえば、烏慶の方が多い。
「そうだな。斥候を広範囲に出せ。敵本隊の位置を正確に特定し、伏兵の有無をはっきりとさせろ」
このために極国軍は一時進軍を停止した。龍国軍はこの動きを掴んでいたが、青籍も呉忠同様、罠があるのではないかと警戒した。
「敵も国主自ら出てきたのか?譜天の姿はないのか……」
青籍からすれは、譜天の姿が見えないのが恐ろしかった。その場にいなくても戦場を支配し、いつの間にか姿を見せて勝利しているというのが譜天である。青籍が迷っていると、趙奏允が決断を促した。
「主上。敵にいかなる策があろうとお思いか?敵は我らより多いのです。策を弄する必要はないはずです。敵が動きを止めたならば、我らは敵が態勢を整える前に速攻すべきです」
この時ばかりは青籍の智謀よりも趙奏允の勘の方が優っていた。長年、戦場を駆け巡っていた老将らしい判断であり、青籍も自身に迷いがあっただけにその判断を認めた。
「超将軍の言うとおりだ。手をこまねいていたら勝利の女神は我らから逃げてしまう。迷わず進軍せよ!」
青籍は自ら陣頭に立って軍を進めた。この進軍は極国軍の意表を完全に突いた。極国軍は戦闘準備を整える間もなく会敵した。
「落ち着け!敵は少数、うろたえるな!」
呉忠自らが陣地内を駆け巡って号令をくだした。そのおかげで冷静さを取り戻した極国軍は、各所で龍国軍の猛攻を受け止め始めた。
「流石はやりますな。主上、ここはひとつ老人にひと働きさせてもらえませんかな?」
現在、龍国軍の前線で指揮を取っているのは馬征である。若者らしい遮二無二な戦闘で緒戦にあたっては極国軍の前線をかく乱することができたが、極国軍が反撃し始めるとやや苦戦の状態に陥った。
「そうですね、馬征をそろそろ助けてやりましょう」
「では、二百ほど借ります」
趙奏允は本営から二百名の兵士を引きつれて出撃すると、極国軍の左翼を突いた。
「敵陣を見渡した限り、ここが急所だ。突き崩す必要はない。かく乱して敵の動揺を誘う」
牧原の戦いにおいて趙奏允の戦術的勘は神域に達していたといっていい。兵士数のうえでも将兵の質においても劣勢を強いられている龍国軍が極国軍と対等に渡り合えたのは、趙奏允の役割が非常に大きかった。
趙奏允に率いられた二百名の兵士が極国軍左翼に突撃すると、想像したよりも効果をもたらした。急所を突かれた極国軍がその手当てのために烏慶を左翼に転進させたことにより、中央付近に隙間ができた。馬征が凡将であったならこれを契機に後退したであろうが、血気盛んな馬征は攻勢に転じた。
「趙将軍が隙を作ってくれたぞ!敵に楔を打ち込め!」
左翼そして正面から猛攻を受けた極国軍は乱れ出した。しかし、呉忠自身が前線に立って将兵を鼓舞したため、全軍の崩壊をなんとか食い止めて夜を迎えることができた。
「今日はしてやられたか!」
天幕に戻った呉忠は悔しそうに手を打った。それを見ていた烏慶が進言した。
「主上、夜襲を仕掛けましょう」
「しかし、この状況では敵も夜襲を警戒しておろう」
「敵陣ではありません。炎城に仕掛けるのでしょう」
聞こう、と言わんばかりに呉忠は頷いた。
「敵は少数です。おそらくは炎城にはろくな守備兵を残していないでしょう。勿論、備えはありましょうから簡単に落とせないでしょうが、敵を揺さぶることはできます」
龍国軍において趙奏允が神がかった冴えを見せていたとするなら、極国軍でのそれは烏慶であった。後に譜天はこの烏慶の進言を賞賛し、青籍も敵将のことながらも同じ状況なら自分もそのような選択をしたと賛辞を送っていた。
烏慶は自ら志願して夜襲部隊を率いた。夜襲に備えていた青籍は、敵が動いたことにしめたと思ったが、その進路が炎城に向いていると分かった瞬間、青ざめて焦った。
『やはり一筋縄にはいかないか……』
譜天がおらずとも極国軍にはやはり良将が多い。兵士数が少ないという龍国軍の弱点を的確に突いてきた。青籍は疲れて眠っている将兵をたたき起こして夜襲部隊に対応せざるを得なかった。




