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七国春秋  作者: 弥生遼
孤龍の碑
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孤龍の碑〜35〜

 夏季をすぎた霊鳴は随分と肌寒くなっていた。この寒さが霊鳴にきた時は疎ましく思っていたのだが、今は堪らぬほど心地よかった。

 青籍が不在の間、范李達が畑の手入れをしてくれていたので、芋を植える分には十分な土壌となっていた。

 『ありがたいことだ』

 范李達はきっと青籍が帰ってくると思っていたのだろう。そのことが青籍は嬉しく、霊鳴に戻ってきてよかったと思えた。

 「あなた。休まれませんか?」

 龍悠が籠を下げて畦道から畑へ降りてきた。

 「ああ……。もう昼か」

 青籍は腰を伸ばした。霊鳴の空はうす曇で日差しはあまりなかった。昼になったのは気がつかないわけであった。

 「精が出ますわね。でも、あまり無理をなさらないでください。夕方には子供達に勉強を教えないといけないんですから」

 青籍の妻となった龍悠は、籠から握り飯を差し出した。雑穀の握り飯であったが、慣れぬ生活の中で龍悠が握ったかと思うと非常に美味であった。

 「どうだ、ここでの生活は?」

 「慣れた、とは言いませんが、ここの人達はいい人ばかりなので、上手くやっていけそうですわ」

 龍悠を妻として霊鳴に来た時は、はたしてどうなるかと不安であったが、今の龍悠の表情を見ていると、不安も杞憂であろうと思えた。


 龍悠を妻としたことには多少経緯がある。炎城で降伏した後、極国の国主呉忠と会談した際、青籍は龍悠を妻にしたい旨を伝え、呉忠に力添えを頼んだ。それについて先述した。

 青籍としては呉忠を頼らずとも、龍悠を妻にすることはできた。あえて呉忠に労を取ってもらったのには青籍なりの理由があった。極国からすると、龍家の娘と青籍が婚姻関係を持つのは好ましくないはずである。それを勝手にやればどのような難癖をつけられるか分からないが、先手を打って呉忠に斡旋してもらい、この婚姻を認めさせれば、他の極国の人間は何も言えないであろうと判断したからである。そしてもうひとつは、今後のことを考えても呉忠に対して弱みを見せておくことで韜晦しておこうという思いもあった。

 炎城を出た青籍達は、極国軍に護送され龍頭に辿り着いた。青籍は極国軍の監視下で龍玄と対面した。

 「青籍よ。祖国と国民のために戦ってくれたのにこのようなことになってしまった。すまぬ。すべては余の不徳とするところだ」

 「いえ、私の力が及ばぬからです。こうして主上の面前に出られることも恥ずかしいぐらいです」

 青籍は言いながら、龍悠の姿を眼で追っていた。龍悠は俯きながら静かに涙を流していた。龍悠だけではない、居並ぶ延臣達も主従の会話に涙していたが、その中に馬求と虞洪夫人の姿がないことに気がついた。

 『どうやら二人が逃走したというのは本当らしい』

 譜天軍が龍頭に入城すると、馬求と虞洪夫人が煙のようにいなくなったというのは、ここまでの道中で聞き及んでいた。実際にそのことを知ると無性に腹が立ってきたし、同時に嫌な予感がしてきた。

 「さて、青籍よ。軍籍から離れるという話を聞いているが、それはまことか?」

 「はい。今日の我が国の状況は、将軍である私の責任です。誰かが責任を取らねば、龍国は情けない国だと中原で笑い者になりましょう」

 半分は本心であり、半分は責任を取ることなく居座っている延臣達への皮肉であった。彼らは譜天によって助命され、現在の地位も安堵されると知ると肩を抱き合って喜んだという。その光景を趙奏允などが見れば、きっと剣を抜いて暴れたであろう。

 「功績の量の比べれば報われることが少なかったであろう。それについてはすべて余の責任だ。ここで青籍を引き止める権利など余にはない。望みどおりにするがいい。それにもうひとつのことについても、極国から書状をもらっている」

 龍玄は龍悠の下に歩み寄り、そっと手を取った。

 「お父様……」

 「悠よ。お前には辛い思いをさせてきたな。これよりは龍家の楔を断ち切って、お前の好きに生きるがいい」

 龍玄が言い終わると、代わって龍玄が龍悠の前に進み出て、跪いた。

 「姫様、いえ、龍悠。私の妻となって欲しい」

 「はい……」

 龍悠は、青籍が差し出した手を握った。こうして青籍と龍悠は晴れて夫婦となった。


 それが二ヶ月ほど前のことである。青籍と龍悠は、極国の目を憚って式典を上げることなく、近親者のみでささやかな宴をするに留まった。それから霊鳴に移り住み、穏やかな生活を送っていた。

 「この羹、初めて私だけで作ったんですよ。お味はいかがですか?」

 「うん。美味しいよ」

 龍悠が作ったという羹はお世辞ではなく美味しかった。料理の腕は確かに上達していた。

 「范玉に教えてもらったんです。あの子、私よりも小さいのに料理上手いんですよ」

 宮殿で育った龍悠らしい言葉であった。世間知らずと言うわけではなかったが、龍悠には若干世情の感覚とずれがあった。そこが愛らしくはあったが。

 「私、あなたと一緒になって本当によかったと思っているんですよ。あなたのことが好きなのは当然ですが、龍頭を出て市井の人と交わることがこれほど充実するものだとは思いませんでした」

 照れくさいことを平然と言うのも龍悠らしかった。青籍は今、これまでの人生の中で一番幸せであった。しかし、その幸せがそう長くは続かないであろうことは、青籍も、そして龍悠も承知していた。

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