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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
16/941

黄昏の泉~16~

 その夜。景朱麗は甲元亀と二人きりで相対していた。景蒼葉と景黄鈴はさきに帰り、樹弘はすでに使用人の部屋に下がっていた。景朱麗と甲元亀はこうして二人きりで密談することが度々あった。

 「些か、大人気ない行為でございましたな」

 甲元亀にそう言われ、景朱麗を身をすくめた。甲元亀は景家の家宰ではあったが、一族の長老的存在でもあった。主筋に当たる景朱麗にとっては、父か祖父のような存在であった。

 「自分でもそう思います。しかし、ああしなければ、後でやられていたのは私の方です」

 「ほほ。朱麗様が素直にお認めになるとは珍しい」

 「あの少年は何者なのです。文字も知らぬ無学な少年だったようですが、元亀様と蒼葉が文字を教えるとすぐに習得したとか……」

 「いかにもでございます。すでに『国辞』を読めるようになっております」

 元亀の言う『国辞』とは義王朝の歴史が記された歴史書である。文字を習う上での必読書で、これを一通り音読できれば、日常で使う文字を習得したことになる。

 「しかも、あの剣術の腕。元亀様はお気づきでしょう。あの型は、泉国に伝わる源泉流に似ています」

 「源泉流については泉国中に広がっていますから驚くには値しませんが、確かに腕は相当のものですな」

 「何よりも私が感じたのはあの気迫です。殺気とも威圧とも区別のつかない。まるで彼の背の向こうに龍か鳳雛を見た気がしました」

 景朱麗の素直な告白に、甲元亀は思わず声を上げて笑った。

 「元亀様!笑われることは……」

 「いや失礼失礼。朱麗様っぽくないお言葉だと思いましてな」

 甲元亀は笑いを収めた。

 「実はこうして朱麗様に残っていただいたのはその樹弘に件です。彼を我等の一味に加えてはどうかと思いましてな」

 「元亀様……それは流石に……」

 景朱麗は困惑の色を浮かべた。

 「彼は確かに戦力となるでしょう。しかし、素性が……」

 「それは彼の生まれのことですかな?」

 「生まれの尊卑のことを言いたくありませんが、事は泉国の旧臣だけで行うべきだと思っています」

 「気持ちは理解いたします。大事を成すためには様々なことがせねばなりません。それには樹弘のような存在が役に立ちます」

 「彼が相房の間者である可能性は……」

 「ははは。それは杞憂というものでしょう。そもそもこの監視下で、さらに間者を加える必要はないでしょう」

 元亀様は楽観的過ぎます、と景朱麗が言うと、朱麗様は慎重過ぎます、と甲元亀は返した。

 「すでに公子淡を騙る何者かが決起し、相房の世は乱れています。我らも早々に事を起こさなければ、長蛇を逸することになります」

 「元亀様のお考えは理解しております。私もそう思わないでもないです。ですが、私達には……」

 旗頭がいません、と景朱麗は俯いた。相房に対して反乱を起こすにしても、精神的支柱となる旗頭がどうしても必要となってくるのであった。

 「朱麗様がおいでではないですか……」

 「私では力不足です。若輩者ですし、女ですから」

 「これは朱麗様らしくない。女だてらに丞相になると仰っていたお方が……」

 「私の妄言と現実を一緒にしないでください」

 ふむ、と甲元亀は腕を組んだ。甲元亀は景朱麗を旗頭として早々に決起をしたかった。しかし、景朱麗がそのことについては首を縦には振らず、現在に至っていた。

 『慎重なことは良いことだが、早々に決起せねば、景家に気持ちを寄せている者達が他勢力に行ってしまう』

 蘆明という例がある。景朱麗が先頭に立って決起していれば、蘆明も惑わず、偽公子の所に馳せ参じることもなかったであろう。

 「ならば、例の計画を進めなければなりませんな」

 「お父様を救出することですね」

 「偽公子を鎮圧するために泉春から随分と軍勢が出ています。好機と言えば好機です」

 そのためには樹弘も役に立ちましょう、と甲元亀は付け加えた。だが、景朱麗は腕を組んで思案したまま明言しなかった。しばらく二人の間に沈黙が流れた。すると、とんと戸を叩くような音がした。景朱麗は剣を引き寄せたが、甲元亀が彼女の動きを手で制した。

 「無宇か」

 「はっ」

 入れ、と甲元亀が言うと、静かに戸がわずかに開いた。そのわずかな隙間から全身を黒衣で纏った男が物音立てず入ってきた。

 「儂が泉春に潜伏させている間者です。ご安心ください」

 甲元亀が紹介し、景朱麗は剣を置いた。

 「わざわざ来たということは火急の件か?」

 「はい。相房が数日中にこの麦楊に兵を差し向ける計画をしております」

 「なんと!」

 甲元亀は思わず立ち上がって叫んだ。景朱麗も顔を強張らせた。

 「麦楊の監視を強化しようとするのか、それとも皆様を殺害しようとしているのか判然としませんが、四十名ほどの兵を用意しているようです」

 「四十……多いな」

 甲元亀は落ち着こうと着座した。

 「しかし、急ですね。何かあったのでしょうか?」

 「まだ未確認の情報ですが、決起した公子淡を討伐に出た相房軍が敗北したようです」

 景朱麗の問いに無宇が答えた。

 「なるほど。それで読めた。敗北で危機感を募らせ、今のうちに危険分子を排除しようということだろう」

 「元亀様、いかがしましょう」

 「兎も角も明日中にはここを出たほうがいいでしょう。無宇。すまないが、今すぐ泉春に戻り、厳侑に伝えてくれ。急ではあるが、かねてからの計画を実行するとな」

 承知しました、と無宇は風のように去っていった。

 「私も家に戻ります。蒼葉や黄鈴にも伝えて準備をさせます」

 「うむ。慌てることなく、計画通りに」

 そう言いながらも甲元亀自身も気が逸っているのを感じていた。

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