孤龍の碑~13~
霊鳴から国都龍頭に帰還した青籍は、民衆から万雷の拍手をもって迎えられた。連戦連敗が続き、極国軍が間近に迫った龍頭の市民からすれば、青籍はまさに窮地を救ってくれる英雄の帰還であった。
青籍は驚きと嬉しさのあまり馬車から身を乗り出した。青籍が姿を見せると民衆はさらに歓声をあげた。
「事前に青籍が帰ってくるという話を流しておきました。民が青籍の味方であるということを知って欲しかったのです」
龍悠自身も沿道に詰め掛けた民衆に手を振って応えていた。龍頭に入るまで青籍は多少の不安があった。それは自分がどこまで受け入れられるかであった。民衆などは青籍が貶められ追放された事実を知らない。だから国家の危機に際して突如いなくなった青籍を快く思っていないだろうと思っていたから、この事態は青籍には意外であり、ありがたかった。
「しかし皇宮ではそうもいかないでしょう。青籍、短慮を起こさないようにしてくださいね」
皇宮には馬求や龍信がいる。彼らだけでなく、青籍のことを快く思っていない人間は決して少なくない。有形無形の嫌がらせが青籍を待っていることであろう。
「分かっていますよ。姫様こそ癇癪を起こさないでくださいね」
「青籍は私をそのように見ていたのですか?」
龍悠は頬を膨らましながらも目は笑っていた。
青籍は皇宮に入り、すぐさま国主龍玄に謁見した。謁見の間には当然のように馬求と龍信もおり、感情の読めぬ視線を送っていた。
「臣、青籍、勅命により帰還いたしました」
青籍は跪いて言った。
「青籍よ、罪を許し、将軍の列に入ることを許す。国家のために励むように」
『何が許すだ……』
片腹痛かった。龍玄は娘である龍悠ほどの思慮があって青籍追放を黙認していたわけではあるまい。およそ国事や政治に精力的ではなく、国主の地位が保障されるのであれば黙してその場に座っていることを喜んで感受する。龍玄というのはそういう君主であった。
「畏れ入ります」
青籍は何事か言ってやりたい感情を抑えた。
「青籍を右大将に任命する。速やかに賊軍を討伐すべし」
馬求が丞相として勅状を読み上げた。追放される以前は左中将だったので、出世したことになる。
「畏れながら申し上げます」
青籍としては、ここまで来て波風を立てるつもりはないが、これより軍を進めるにあたってぜひとも言っておかなければならないことがあった。
「青籍!慎め!龍公の御前であるぞ!」
そう怒鳴ったのは龍信であった。きっと青籍を誣告したことを言われると思っているのだろう。
「よい、申してみよ」
龍玄は自発的に青籍の発言を認めた。龍信はあからさまに舌打ちをした。
「賊軍討伐の命を受け、軍を率いて野に出た以上、軍におけるあらゆる行動は勝利を得るためのものであり、主上と国家のためのものでございます。私の成すことをゆめゆめお疑いなきよう切にお願いいたします」
要するに軍事行動中に国都から要らざる命令を送ってくるなということである。馬求や龍信からの横槍こそが最大の敵となる可能性もあるので、それだけは先制して封じねばならなかった。
「勿論のことだ。青籍には幕府の杖を与える。この杖がある限り、青籍の命令は余の命令であり、余の命令であっても必要とあらばこれを拝することを認める」
幕府の杖とは、軍における独裁権を司るものであった。これがある限り、野戦軍においては青籍は国主に代理人であり、同時に国主の命令を拒むこともできた。龍玄が青籍にみせた最大限の好意といえた。青籍はちらりと馬求と龍信を見た。馬求は顔色一つ変えておらず、龍信は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「必ずや賊軍を討ち破るように」
「はっ!」
これならば自由の采配を振るうことができる。青籍はひとまず満足した。
「丞相、よいのか?これでは青籍を国都から追い出した意味がないではないか?」
青籍と龍玄の謁見後、馬求は龍信に呼ばれた。私室に赴くと、いきなり切り出された。
「やむを得ますまい。今、賊軍と戦えるのはかの男しかおりますまい」
「趙老人では駄目なのか!」
「趙将軍は老齢です。一日で賊軍を倒せるのなら趙将軍でも構わぬでしょうが、そうでないのならやはり青将軍の方が適任でございます」
そのようなこともわざわざ説明しなければ分からないのか、と馬求は内心うんざりとした。龍玄という太子にあるのは勢いだけで思慮はない。だからこそ扱いやすいと親しくしているのだが、時として無知を相手にするのは精神的に疲れるだけであった。
「だが、奴は父上から幕府の杖を与えられた。あれがある限り、青籍には手を出せん」
「まずは賊軍を国都近郊から追い払うのが先決です。太子におかれましては、お心安らかに臣にお任せください」
馬求からしてみても、青籍の存在は脅威でしかなかった。数々の戦果をあげた若き英雄。これが軍籍を離れ、政治部門に転進すれば馬求の地位を脅かす存在になる。ましてや青籍と龍悠が結婚すれば、その可能性は増すばかりであった。
『だが、青籍を野に出し、姫様と婚儀させなければよいのだ』
それは青籍を追放したことにより得た結論であった。青籍を国都より追放している間、馬求の政治的地位は平穏であった。唯一にして最大の誤算は、極国が国都近くまで進撃したことであった。
『太子には悪いが、青籍を飼い慣らすか……』
下手に排除するよりはそちらの方が得策であろう。馬求はしばらくはその方針で行くことを密かに固めていた。




