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七国春秋  作者: 弥生遼
孤龍の碑
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孤龍の碑~7~

 その翌日、再び龍悠が使者として霊鳴を訪れた。今度は范李宅に向かわず、直接青籍の家へと馬車を乗り付けてきた。

 「今日こそ一緒に龍頭に帰ってもらいます」

 青籍は自宅の隣にある畑で芋の種を植えていた。龍悠は流石に畑の中まで入ってくることはせず、畦道から叫ぶように声をかけていた。

 『何が一緒に帰るだ』

 青籍は無視することにした。この貴人に青籍の心情など分からぬであろう。今は一言でも喋るくらいなら、種芋をひとつでも植えたかった。

 「聞いているのですか!青籍!」

 甲の高い声がしたかと思うと、龍悠は裾をたくし上げて畑の中に入ってきた。

 「姫様!」

 「男がいつまでうじうじとしているのですか!祖国の危機となれば、何も言わずに馳せ参じるのが男というものでしょう!」

 龍悠が詰め寄って来た。胸倉でも掴まん勢いだったので、青籍は突き放した。

 「その祖国が私を貶めた!何の義理がある!」

 勝気な龍悠の顔色がやや青ざめた。

 「姫様もそうです!丞相の誣告を真に受けて私の弁護をされなかった。あれだけ私が無実だと主張したのに、誰も耳を貸そうとはしなかった!」

 私は孤独だった。それが本心であろう。将来まで約束した女性に見捨てられ、青籍は愛を見失った。その隙間を埋めてくれたのが霊鳴の人々なのである。ここに来て初めて人の愛や情を知った青籍がどうしてこの地を離れることができるだろうか。

 「青籍、少なくとも私は貴方を忘れたことはありません」

 忘れるわけないじゃないですか、と龍悠は青籍の体に飛びついてきた。不意をつかれた青籍は、龍悠共々地面に倒れた。

 「御召し物が汚れますよ」

 「構いません。もし今日、あなたの説得に失敗すれば、私は龍頭に帰らぬつもりでした。ここであなたと夫婦になることも辞さないつもりでした」

 青籍は完全に流されていた。それが龍悠の本心かどうかは別として、そのようなことを聞かされたらもう邪険に扱うことはできなかった。

 「でも、私は龍公の娘です。このまま早愛に引きずってもらってもあなたを龍頭に連れて行くつもりです」

 「それは怖いな」

 龍悠の肌の温もりが青籍を氷解させていった。だが、それでも龍悠の要求に首を振ることはできなかった。

 「ひとまず拙宅へ。泥だらけでは話し合いもできません」

 龍悠は素直に頷いた。


 龍悠のために湯を沸かすと、彼女は早愛と湯殿に消えていった。しばらくして風呂からあがってきた龍悠には何とも言えぬ色気があった。

 「大したおもてなしもできませんが……」

 青籍は野菜の塩漬けを出した。龍悠がそれを見て眉を顰めた。

 「元禁軍の将軍がこのようなものを食べているなんて」

 「私だけではありません。この邑の者は大なり小なりこういう感じです」

 「そうですか。そういうことを知れただけでも、来た甲斐があるというものです」

 いただきます、とひとつ箸で摘まむと、美味しそうにこりこりと噛んだ。

 「それで、青籍は覚悟したのですか?」

 「いえ、まだ迷っております」

 「丞相と兄上ですね」

 龍悠がすかさず言ったので、青籍は頷いた。

 「青籍にかけられた収賄の容疑は全て虚偽であると証明されています。しかし、この二人を罰するのは難しいでしょう」

 国主や公族すら臣下を罰し得ない。それが龍国の現状であった。

 「太子はまだしも、丞相は罰していただく。これが最低条件です」

 それだけは譲れぬと青籍は思った。過去だけのことではない。これからのことを考えても、丞相馬求は青籍の足枷になるには間違いなかった。

 「分かりました。父に、龍公に掛け合います。愛、筆と紙を」

 龍悠が要求すると、早愛が一度下がるとどこともなく筆と紙を用意してきた。龍悠は簡潔に認めると、それを外にいる別の従者に渡した。

 「早馬を使えば四日もあれば返事が返ってくるでしょう。その間、お世話になります」

 「姫様がここに?せめて范翁の家でお待ちください」

 青籍の家はあばら家より多少ましといった程度の家である。貴人を泊めるわけにはいかなかった。

 「構いません。青籍がおれば十分です」

 殺し文句であった。青籍としては黙って承諾するしかなかった。

 それから二人は空白の時間を埋めるように語り合った。特に青籍が聞きたかったのは、どうして自分のことを庇ってくれなかったのかということであった。

 「今更そのことで姫様を責めるつもりはありませんが、気にはなるのです。姫様だけではなく、宮廷内全体が口を閉ざしていました。それほど丞相の権威が強いということですか?」

 「確かにそういう雰囲気があります。ですが私があの時、黙ってあなたを庇わなかったのはその方が良いと思ったからです」

 意外な発言であった。しかし、それの意味することは窺い知れた。

 「まさか丞相は私を暗殺するつもりだったのですか?」

 龍悠は頷いた。

 「少なくとも兄上はそう考えていたようです。兄上が誰かと密談しているのを早愛が聞いて私に教えてくれたのです」

 要するに青籍を国都から逃がすためであった。青籍はいつも龍悠の少し後ろに控えている侍女を見た。早愛は感情のない顔でわずかに頷いた。

 「確かに太子は私を敵視していたが……」

 龍悠の兄であり太子にあたる龍信も、丞相馬求と並んで青籍を口汚く罵り弾劾した。自分がどうしてそこまで敵視されているのか青籍はまるで身に覚えがなかった。

 「青籍は優れた武人で察しは良いようですが、こと人との関わりになると鈍感になるのですね」

 龍悠は悪意なく笑った。

 「私と青籍が結婚すればあなたは公族の一員。そうなれば武勇に優れ、人望も厚いあなたを国主に推す者も少なからず出てきます。兄上はそれを恐れているのです」

 「馬鹿な……。私にはそんなつもりはないですし、そもそも国主は神器に認められるのが条件のはず」

 国主になるにはそれぞれの国にある神器に認められる必要がある。神器に認められない国主は仮主と呼ばれ、国が乱れる元凶といわれている。

 「ご存知かも知れませんが、すでに数代に渡り、我が国の国主は神器である飛龍の槍に触れていません。果たしてそのことが国主の絶対条件なのか疑問に思う時があります」

 あるいは龍悠のいうとおりかもしれない。しかし、最近では泉国で神器に認められた真主が立ち、国がめざましく発展していると聞く。やはり真主が国主となるべきなのだろう。

 「兎も角も兄上のことは私に任せてください。懸念は丞相なのですが……」

 龍公は丞相を処分できるだろうか。それが一番の問題であった。

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