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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
14/958

黄昏の泉~14~

 甲元亀の下での下働きはまるで苦にならぬものであった。樹弘以外にも使用人のような下男下女がいるため、樹弘の仕事は限定的であった。主なものは薪割りと農作業であった。その合間を縫って剣術の鍛錬をする一方で、甲元亀が文字や歴史を教えてくれた。文字も知らず、学問をするという発想すらなかった樹弘にとって、これほどありがたいことはなかった。

 甲元亀の方も、樹弘に文字や学問を教えることに喜びを感じていた。

 『真綿が水を吸うが如くとはこのことか……』

 感心するほどに樹弘は物覚えがよかった。この時代、樹弘ぐらいの年代の若者が文字すら知らないということは珍しくなかった。甲元亀はそういう若者に文字などを教えたことも多々あったが、樹弘ほど理解が早い者は例がなかった。

 『これは一角の男かもしれない……』

 そのようなことを実感したのは甲元亀だけではなかった。景蒼葉も同様であった。景蒼葉は樹弘という人物に興味を持ったらしく、ちょくちょくと甲元亀の家を訪ねては、同じように樹弘に様々な学問を教えてくれた。とりわけ景蒼葉は戦史に詳しく、実際に書物や地図を示し、樹弘に教えてくれた。

 「蒼葉様はどうしてそこまで戦の歴史に詳しいのですか?」

 「好きだからよ。私は女で武術もからっきし駄目だから、戦場を颯爽と活躍する英雄に憧れるのよ」

 景蒼葉は卓上の書物を開いた。そこには鎧を纏った武者の絵があった。

 「例えばこの蘆天祥。百年ほど前の武人で、泉国において武人なら蘆家と言われるようになったのはこの人物からよ」

 「蘆明の祖先に当たるわけですね」

 「そうよ。様々な乱を鎮圧し、生涯の間に戦場に立つこと百度。一度も負けなかったと言われているわ。特に特筆すべきは……」

 こうなると景蒼葉は我を忘れて只管喋り出すのであった。樹弘にとっては景蒼葉の口から聞かされる物語はすべてが新鮮であり、甲元亀が止めに入るまで楽しみに耳を傾けていた。


 そのような日々を送っていたある日、景蒼葉が一人の少女を連れてきた。

 「妹の黄鈴よ」

 景蒼葉は短髪の少女をそう紹介した。景蒼葉の妹ということは樹弘と同い年か、それよりも下であろう。背丈は景蒼葉とそれほど変わらないが、女性にしては筋肉質であった。日に焼けた肌といい、彼女が何を得意としているかは容易に想像ついた。

 「あんた、強いらしいね。私と手合わせしてよ」

 景黄鈴はいきなりそう切り出した。樹弘はやや躊躇った。景黄鈴は樹弘にとっては主人である甲元亀の主筋に当たる。しかも女性である。剣を向けてよいのかどうか戸惑った。

 「ぜひ相手をしてあげてくださいな。こう見えて黄鈴は強いですよ」

 景蒼葉がそう言うので、樹弘は木刀で景黄鈴と手合わせをすることにした。実際に木刀で打ち合い、相手の体に当たる寸前で止めるという方式を取った。三回打ち合って、二回樹弘が勝った。負けた一回は決して手を抜いたわけではなく、景黄鈴の鋭い打ち込みに思わず木刀を落としてしまったからであった。

 「あははは。確かに強いね、君は。気に入ったよ。また相手してよ」

 手合わせを終え景黄鈴は汗を拭った。樹弘としても久々にいい汗を掻いた気がした。

 「別にいいですよ。甲様にお許しをいただける時間でしたら」

 「その敬語はやめてよ。私のことは黄鈴って呼んでよ」

 「しかし……」

 「そうですよ。私も様付けはやめてください。景家とはいえ、今はただの庶民ですから」

 二人に水をもってきてくれた景蒼葉も言った。彼女はかねてより様付けされるのが嫌だったらしい。 

 「まぁ、二人がそこまで言うのなら。でも、甲様に知られたら、怒られるかな……」

 「元亀の爺ちゃんはそんなことでは怒らないよ。ま、怒るとすれば朱麗姉さんかな」

 景黄鈴が肩をすくめた。

 「朱麗様?」

 「私と黄鈴の姉ですわ。頭が固い人で、私が樹君の所へ行っていることもあまりいい顔をしていませんわ」

 そう言われて樹弘は悪寒がした。景朱麗は、父である景秀が捕らわれいるため、現在では事実上の景家の当主である。甲元亀も主として仰がなければならない人物である。しかも話を聞く限りでは、樹弘に対してあまり好意で気ではなく、気難しい人のようである。

 「まさかその朱麗様も甲様の所に来たりするの?」

 「それは大丈夫ですわ。大体の場合は、元亀様が姉さんの所へ来るから」

 景蒼葉に言われ、樹弘はやや安堵した。

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