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七国春秋  作者: 弥生遼
孤龍の碑
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孤龍の碑~2~

 北方の山塊から吹き下ろしてくる風は冷たい。この冷たさが草木の成長を妨げ、動物の生活環境を制限しているとするならば、国土というものは最初から不平等にできているにだと思わざるを得なかった。

 『どうして義舜はこのような不平等を行なったのだろうか?』

 青籍は鍬を振るう手を止めて天を仰いだ。義舜は中原を襲った災厄を沈めた七人の腹心に領土を与えた。現在に伝わる彼らの話は多分に神話的であり、誰がどのような活躍をして、どれほどの功績があったのか、広げる書物によってかなりの差異があった。だから誰を功一等として、最大の恩賞を与えられたかというのは愚問であろう。しかし、龍国が与えられた封土の中で人の生活環境としては一番劣悪なのは間違いなかった。

 龍国は半島国家である。翼国の北部から地続きになっており、細長い領土が南に向かって垂れ下がっている。とりわけ青籍のいる霊鳴は北部にあり、一年のうち四分の一は雪に閉ざされ、南方への道がなくなってしまう。そのため食料の備蓄は必須であったが、ここで獲れる作物といえば芋か麦しかなく、それも住民を雪の間食べさせる程度しか収穫できなかった。

 『不平等だ』

 いくら五百年以上も前の人物を恨んでみても始まらぬことであった。そんなことは承知している。しかし、この龍国が置かれた状況というのは、人が生きるにはあまりにも過酷であった。

 「先生、精が出ますな」

 青籍は手を止めて振り返った。あぜ道に粗衣を着た老人が豊かな笑みをたたえていた。

 「范翁。こんにちは」

 范翁こと范李老人は、この集落を仕切っている長老であった。青籍の素性を知る数くない人物であった。

 「お若いとはいえ、無理は禁物ですぞ」

 范李はそのまま腰を下ろした。青籍にも休めと言っているのだろうか。青籍は鍬を土中に突き刺し范李の方へ歩んだ。

 「無理をしているつもりはありません。しかし早めに耕してやらないと、冬に間に合いませんから」

 気の早いことだ、と范李は笑ったが、決して早くないことは三年もここで暮らしていれば理解できた。食料の心配をして田畑を耕すなど、国都にいた時にはまるで考えていないことであった。

 「ほほ。しかし、今は手を休められてください。そろそろ子供達が集まってきますので」

 「もうそんな刻限か……」

 青籍は集落の子供達に勉学を教えていた。范李が依頼して始めたもので、最初は嫌がっていた青籍も、今では楽しみのひとつになっていた。

 「では先に行ってください。鍬を片付けたら参りますので」

 青籍は立ち上がった。范李も立ち上がり、頼みましたぞと来た道を戻って行った。

 『不平等を嘆いていても意味がない。ここにはここの生活があり、人が生きているんだ』

 以前の青籍なら間違いなくそんなことを考えなかっただろう。青籍はここにいる三年間で明らかに変わった。一介の農夫に身分を落ちされても悔いることもなく、寧ろようやく人らしい何かを手に入れたような気がしていた。

 農具を片付けた青籍は、一度自宅に教材を取りに戻った。子供達が集まっている范長老宅の別棟は邑の真ん中にある。狭い邑なのですぐに辿り着いた。

 「やぁ、皆ちゃんと来ているね」

 青籍が顔を出すと、子供達がぱっと全員こちらを向いた。子供の数は七名。最初はよそよそしかった子供達も今ではすっかり懐いていた。

 「先生、遅い!」

 代表するようにして非難してきたのは范玉。范李の孫娘であり、子供達の中で最も年長であった。

 「ごめんごめん。つい土を耕すのに夢中になってしまって」

 青籍は頭をかきながら子供達の前に座った。子供達も居住まいを正して青籍と対面した。

 「じゃあ、はじめようか。お互いに礼。よろしくお願いします」

 「よろしくお願いします」

 子供達が大きな声で挨拶をした。最初はうるさく感じていていたこの声も、今では青籍の元気の源になっていた。

 『この子達のために余生を捧げよう』

 青籍はそう心に決めていた。まだ二十歳代半ばの青籍であるが、社会的な人生は終了したようなものである。世情がやかましくても、霊鳴で人生を終わらせることが約束されている以上、生甲斐としては、子供達に勉学を教え、霊鳴に住む人々の生活に少しでも役立てることしかなかった。

 「今日は『国辞』の四稿目からいこうか。じゃあ、誰か音読してくれるかな?」

 青籍が問うと、全員が勢いよく手を上げた。誰に読んでもらおうか。そう考えるだけで青籍は自らの幸せを感じた。

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