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七国春秋  作者: 弥生遼
孤龍の碑
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孤龍の碑~1~

 義王朝五四八年。伯国を併合して一年あまりが過ぎた泉国はますますの興隆と平穏を得ていた。

 国都である泉春には物と人が溢れ、殷賑を極めていた。数年前まで国土全体が荒廃していたのが嘘のようであり、その復興振りは泉国に住む人々が肌身をもって感じていた。

 泉春の目抜き通りから二筋東に入った通りは、古着屋や骨董品屋が軒を連ねている。つい二三年前までは人通りも疎らで、戸を閉めている商店も少なくなかったが、当代泉公樹弘の御世になってからは商売を再会する店が増え、今ではほとんどの商店が軒先に商品を並べていた。

 書画、絵画を中心に取り扱っている骨董店『風雅』の主人風寒は、店を開けると軒先の掃除を始めた。風寒が商売を再開したのは一年前であった。相房が国主であった時代は、書画絵画の骨董品に興味を示し金銭を使う余裕をもっている者などおらず、やむを得ず風寒は一時的に店を畳み、泉春近郊で細々と農作をしていた。そして真主が即位し、泉国が目覚しく復興してくると、泉春に商売を再開したのであった。

 骨董街が賑わうのは午後から夕刻にかけてであった。午前中は割りと暇なのでそろそろ妻が作った弁当でも食べようとした矢先、客が入ってきた。

 「おじさん、おはよう」

 常連客の青年であった。名は知らぬし、どういう素性かも知らなかった。来店する時間帯もまちまちなので、何の仕事をしているのかもよく分からなかった。

 「おう、新しいの入っているよ」

 この青年が求めるのは書画ばかりであった。一週間に一度ほど顔を覗かせ、気に入ったのがあれば買っていく。但し出す金額は一回の買い物で百銀と決めているようで、それ以上の物を買うことはなかった。そのため彼が選ぶのは有名な書家のものはなく、単に字体や書かれている言葉が気に入って選んでいるようであった。

 「どれが新しいの?」

 「そっちの三つだよ」

 そう教えると、青年はじっと三幅の掛け軸を見つめた。そしてその中の真ん中にあった一幅の軸から目を離さなくなった。

 「誰の作?」

 「銘は無明とあるな。聞いたことがない」

 これでも風寒は書画の扱いでは目利きとして名が知られていた。それでも無明なる書家は聞いたことがなかった。

 「精緻で丁寧な書体だ。どこかの政治家かもしれないな」

 書かれている文字は『清風仁流』。どう意味かは分からなかった。あるいは好きな文字を並べただけかもしれない。

 「いくらなの?」

 仕入額からすると百二十銀と値入したいところである。だが、単に陳列していても売れそうにないからこの青年に売ったほうがいいかもしれない。

 「百銀でいいよ」

 「買った」

 青年は即決した。懐に手を突っ込み財布を出すと、きっちりと百銀取り出した。

 「毎度あり」

 今日は早々に売上ができた。風寒は上機嫌になった。

 

 上機嫌になったのは青年、樹弘も同様であった。久しぶりに気に入った書を手に入れることができた。書画の収集は樹弘の唯一と言って良いほどの趣味であり、贅沢であった。

 国主になってから職務に励んできた樹弘は、歴代のどの国の国主よりも無欲で質素な生活を送っていた。美食を貪ることもなく、美酒に酔うこともなかった。ましてや美姫を侍らすこともしない樹弘が興味を持ったのは書の世界であった。自らも書くこともそうだが、他人の書いた書画を眺めるのも好きであった。但し、権力をかさにして著名な書家のものを集めるようなことはせず、こうして泉春の骨董街を歩き回り、気に入ったのを一回百銀までと決めて購入していた。

 「主上、捜しましたよ」

 ほくほく顔の樹弘の前に立ちふさがったのは衛兵長の景弱であった。勝手に街に忍び出る樹弘に当初は頭を悩まされていたが、今となっては慣れたものですぐに見つけられていた。

 「ここで主上はよしてくれ」

 「だったら街へ忍び出るのはほどほどにしてください。それよりも今日は翼公の使者が来られます。出迎えのならないと」

 「そうだったね。急いで戻ろうか」

 泉春宮へ戻る道中、樹弘は今日買った書画の素晴らしさを景弱に話したが、景弱は適当に相槌を打つだけであった。


 翼公からの使者は側近中の側近である胡旦であった。翼公が長年の放浪に付き合った老臣は、現在でこそ要職を離れているが、翼公が最も信頼を置く人物であった。

 「これは胡旦殿、お久しぶりです。貴方が使者とは驚きました」

 よほどの重大な案件なのだろうかと思い胡旦に引見したが、胡旦は格別深刻そうではなかった。

 「我が主からの書状です。まずはこちらをお読みください」

 胡旦が書状を差し出した。まずが景弱が受け取り、樹弘の手に渡った。一読した樹弘はやや驚き、二三度胡旦の顔を見た。

 「龍国と極国が和解したのですか?」

 龍国と極国は三十年近くにわたって争い続けていた。その二カ国が和議を結ぶ会盟を行うので、泉公である樹弘にも出席して欲しいというのである。

 「左様でございます。我が君だけでもよろしいのですが、真主二人が立ち会った会盟であればそれだけ重みが増すというのが我が君のお考えです」

 なるほどと思った。真主二人が立ち会う盟約であれば、双方とも迂闊には破らないだろうというのが翼公の目論見であった。

 「大恩ある翼公の要請であるならば喜んで参加させてもらおう。しかし、犬猿の両国がよく和議となったな。翼公のご尽力の賜物ですか?」

 「いえいえ、そうではありません。左様ですな、両国のこと、少しお話申し上げましょうか」

 胡旦が龍国と極国の話を始めた。それは樹弘が知らぬ二つの国の物語であった。

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