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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
131/959

蜉蝣の国~51~

 伯淳が亡くなった翌朝、李志望はすぐさま伯淳の喪を発した。同時に泉公樹弘と共に伊賛を討つことも発表された。嶺門は悲しみに浸る暇もなく、忙しくなっていった。五日すれば泉国の援軍が来てすぐに出陣となる。そうなれば嶺門はしばらくは静かになるだろう。

 この間、柳祝は喧騒の外にあった。伯淳が亡くなってからは、看病という役目から解放され、忙しく働く人々をただ見守るだけであった。

 『誰もが悲しみを忘れるために働いているみたい』

 それはあまりにも悲しいことであるように思えた。伯淳の葬儀は衛環にたどり着いた後に行うという。そうなれば柳祝達はまた悲しみを味わうことになる。せめてそれまでは自分も何か体と頭を動かすことをしようと思った。柳祝は兵士で溢れかえる街中を歩き、紅蘭を捜した。彼女は今、商人である明鮮に協力して兵糧や軍需物資の調達を行なっている。多少の手伝いはできるはずであった。。

 紅蘭は明鮮の店の軒先にいた。疲れた様子で項垂れ、木箱に座り込んでいた。柳祝が近づくと気配を感じたのか、顔を上げた。

 「柳祝さんか」

 「お疲れ様です」

 「ようやく最後の兵糧を準備できたところだ。これで一息つける」

 「何かお手伝いしようと思ったのですが……」

 「柳祝さんはこれまで主上の看病で大変だったんだから休んでくれていいよ」

 「でも……」

 「実はやることはもうほとんど終えたんだ。後は泉国から運ばれて来る物資をあてにすればいいらしい。私らはお役御免だ」

 半年分の兵糧が来るらしい、と紅蘭は少し笑いながら言った。

 「それにしても泉国は凄いな。半年分の兵糧をあっと言う間に……」

 途中で紅蘭が言葉を止めた。彼女の呆然とした視線の先に樹弘がいた。供回りなどは連れておらず一人であった。

 「泉公!」

 紅蘭が木箱から立って、跪いた。柳祝も考えるよりも先に体が動いて紅蘭に倣った。

 「よしてくれ二人とも。本来なら僕は二人に合わす顔はないんだけど、詫びぐらいは言っておきたくてね。申し訳ないと思っている。騙すようなことをずっとしていて」

 樹弘は頭を下げた。その姿は一国の国主とは思えぬほど素直で、やはり目の前にいる青年は泉公などではなく夏弘なのではないかと思うほどであった。

 「なんか調子が狂うな。泉公として接しようとしても見た目も言動も、あの樹弘なんだもんな」

 紅蘭はあっさりと態度を変え、跪くのをやめた。そういう割切りの良さは柳祝からすれば羨ましかった。

 「柳祝さんも立ってください。服が汚れますよ」

 樹弘が手を取って立たせてくれた。柳祝は顔が火照るのが分かった。

 「真主と同じ名前をあっさりと名乗られると、逆に違うんじゃないか案外思うもんだね。すぐに気がつかなかった私も馬鹿みたいなものだよ」

 紅蘭には嘘を突かれていたという蟠りはないらしい。それは柳祝も同じなのだが、彼女には樹弘に対する別のしこりがあった。

 『この人が真主樹弘だとすれば、私はこの人の妾になっていたかもしれない』

 相房の乱の時、柳祝は父によって樹弘に差し出されようとしていた。結局、そのこと自体は未遂で終わったが、もしそのことを樹弘に告げればどう思うだろうか。

 『告げれば、樹弘様は私を妾としてくださるだろうか』

 果たして樹弘は受け入れてくれるのだろうか。あるいは拒絶されるかもしれない。柳祝は勇気をもって告げることができなかった。

 「さてと、私はもう一働きしますかね」

 紅蘭がそう言いながら柳祝に目配せした。本当は仕事などではなく、柳祝に気を遣ってくれたのだろう。去りゆく紅蘭を見送りながら、柳祝は樹弘と二人きりになったことに嬉しさよりも緊張が込み上げてきた。

 「柳祝さんにも迷惑かけたね。僕にできることなら何でも言って欲しい」

 きっと樹弘は柳祝の今後の身の振り方を言っているのだ。伯淳が亡くなった以上、伯国に柳祝の居場所はなかった。その事実に今更気がつかされた。

 「よかったら泉春で働いてくれないか。少しでも気心が知れた人が傍にいてくれれば僕も助かる」

 「樹弘様、私は元は泉国におりました。父は商人で相家に出入りしており、上手く立ち回ったのでしょう。いつしか将軍の地位を得ていました」

 柳祝は自分で何を言っているのだろうと思った。でも、止まることができなかった。

 「真主がお立ちになり、相家が家運を衰退させると父は真主に近づこうとしました。その時父は私を真主に差し出そうとしました」

 樹弘の顔つきが変わった。きっと柳祝と自分の因縁を思い出したのだろう。

 「しかし、私は真主の下へは参りませんでした。父は相家に殺され、私は流浪の身を重ね、伯国に逃れ、今に至るわけです」

 柳祝は言い切ってしまった。まるで自分の不幸な人生を樹弘に聞かせて同情を誘っているようで自己嫌悪したが、それでも自分の感情を止めることができなかった。

 「そうか、あの時の……。まさかこんな奇縁があるなんて」

 樹弘は困惑のまま言葉を続けた。

 「ならば尚のこと泉春に来て欲しい。ああ、別に妾とかそういうのではなく、聡明な貴女にやって欲しい仕事は山ほどある」

 『妾でも構いません』

 と言う言葉を柳祝は飲み込んだ。そう言えばきっと柳祝の恋心は成就するであろう。しかし、妾としてではなく一人の人間として柳祝を欲している樹弘に対して失礼ではなかろうか。寧ろ言うことで嫌われるのではないか。そう思うと柳祝は言葉が出なかった。

 「考えさせてください」

それが柳祝の精一杯の台詞であった。

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