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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
130/959

蜉蝣の国~50~

 樹弘は李志望に先導され、伯淳の寝室に急いだ。篭城から解放され安堵している住民や将兵達からすれば、肩でも組んで杯でも酌み交わしたいところであったが、そのような様子は微塵もなかった。彼らは伯淳の容態が芳しくないことを知っており、その気分というものが樹弘の足を急がせていた。

 寝室に辿り着くと、寝台に寝かされている伯淳と傍に柳祝がいた。柳祝は看病疲れからか、随分とやつれているように見えた。突然現れた樹弘を見て何事かを察した柳祝は、何も言わず枕頭を樹弘に譲った。

 伯淳は薄っすらと目を開けてこちらを見ていた。樹弘のことを知覚しているのかどうか分からなかったが、青白い顔ながらもわずかに頬をほころばせた。

 「主上、泉公です。夏弘殿は泉国の国主、樹弘様だったのです」

 李志望がそう告げると、伯淳はわずかにへぇと言った。樹弘は桃厘から連れてきた医師達に目配せすると、彼らは伯淳の脈などを取り、そして嶺門で看病していた医師達と二、三言葉を交わすと薬湯を作り始めた。

 「伯淳、別に君を騙すつもりはなかった。できれば泉国と伯国の間に揉め事を起こさず、友好関係を築きたいだけだった。僕と伯淳ならそれができると信じて泉国に帰ろうとしたらこうなってしまった。許して欲しい」

 「僕と夏弘なら……。はは、それは嬉しい」

 伯淳は力なく笑うと、振り絞るようにして上半身を起こし、樹弘の手を取った。

 「泉公、僕は駄目な国主だった。僕のために伯国の人々が苦しい目に遭っているのならそれが一番悲しい。人々を助けて欲しい。樹弘ならそれができるよね?」

 伯淳が始めて樹弘と呼んでくれた。これで伯国と泉国の友誼は成り立った。

 「僕だけでは無理だ。伯淳と一緒ならできる。だから頑張るんだ」

 伯国の人々をお願いね、と言う伯淳に医師が薬湯を差し出すと、伯淳は眉を顰めてそれを飲み干した。しばらくして伯淳は横になり、寝息を立て始めた。

 「どうだ?」

 伯淳が眠るのを見届けた樹弘は医師達に問うた。

 「随分と衰弱なされていて、食事もできず眠ることもなかなかできてない様子なので、薬湯に眠気を誘う薬を入れました。しかし、臓腑がやられておられるので、ここから精のあるものを受け付けられるかどうか……」

 「難しいのか?」

 「熱を発することもあるということなので、あとは伯公の御気力次第かと」

 「すまん、伯淳」

 樹弘は苦しそうに呟き、一筋の涙を流すことしかできなかった。


 伯淳がその短い生涯を閉じたのは、樹弘が嶺門に戻った二日後の深夜であった。伯淳が嶺門に運ばれてきてから柳祝は、李志望が連れてきた女官達と交代で伯淳を看病してきた。柳祝はその時、次の間で仮眠を取っていたところ、青ざめた女官に起こされた。

 「柳祝様、主上のご様子が……」

 ぱっと跳ね起きた柳祝は、伯淳が眠っている寝台に駆け寄った。口元に耳を寄せてきたが、呼吸をしている様子がなかった。

 「すぐに医師を。それと李将軍と泉公を」

 柳祝は自分でも驚くほど冷静であった。女官に指示を出すと、伯淳の手を取ってみたが、脈はないように思われた。

 まずやってきたのは医師達であった。樹弘が連れてきた医師が代表して脈を取ったが、すぐに手を離した。その直後、李志望と樹弘そして紅蘭がすぐにやってきたが、医師達がただ立ち尽くしている光景を見て彼らは察した様であった。

 「御崩御なさいました」

 医師が引導を渡す様に言った。女官達が声をあげて泣いた。紅蘭は俯いていたが、大粒の涙を床に落としていた。

 誰しもがしばらく言葉を発することができなかった。そこにいる全員が声を発することを拒否しているようであったが、樹弘が重苦しさを打ち破るように口を開いた。

 「泉国国主として伯国国主の死にお悔やみ申し上げる。泉国と伯国には因縁はあったが、僕と伯淳の間には友誼しかなかった」

 樹弘の発言には重大な意味が込められていた。泉国の国主がはじめて『伯』と呼んでいた伯国を国家として認めたことになった。だが、その伯国という国家はすでに存在していないのも同然であるというのも皮肉であった。

 「痛み入ります。伯国を代表して礼を申し上げます」

 李志望が応じた。型取りの答礼を行うと、樹弘は毅然として李志望に尋ねた。

 「李将軍、僕はどうしたらいいと思う?」

 李志望としては決断をせねばならなかった。伯淳を守れずに死なせてしまったが、伊賛はまだ生きており、伯国が二分させている状態は続いている。それをどうすべきなのだろうか。解決への道のりを示す道標は期せずして李志望の手に握られていた。

 それは樹弘も同様であった。寧ろ伯国の運命は樹弘の掌の上に乗せられている状態であったが、振られるべき賽を李志望に委ねたのは樹弘の好意でもあった。

 「畏れながら泉公におかれましては、我らが主上の意思を継いでいただき、伯国の民のために伊賛一党を討ち滅ぼしていただきたいと思います。僭越ながら私が道先案内を致します」

 李志望に躊躇いはなかった。樹弘に伯国の混乱を収めてもらう。それは同時に伯国という国家の終焉をも意味していた。

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