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七国春秋  作者: 弥生遼
黄昏の泉
12/958

黄昏の泉~12~

 樹弘に話を戻す。ひとりになってからは賊に襲われることもなく、無事泉春に到着した。当然のことながら、泉春は泉国の国都であり、樹弘が見た都市の中で最大のものであった。しかし、旅慣れをして物事に擦れてきた樹弘には桃厘を見た時の驚きと興奮はなかった。

 泉春に入ると、ひとまず老人の商店を捜すことにした。蘆明によって殺害された老商人は厳陶といった。

 「厳陶さんの商店はどこですか?」

 街中で聞いて回ると、すぐに判明した。泉春ではかなり手広く商売をしていたらしい。教えてもらった場所に行くと、間口の広い商店があった。ちょうど店前で掃除している人がいたので、来意を伝えると、店中にすっ飛んでいった。代わりに中年の男が姿を見せた。

 「父が殺されたというのは本当ですか?」

 男は顔が真っ青になっていた。樹弘が詳細を語ると、男は沈痛そうに瞼を閉じたが、決して涙は流さなかった。

 「そうでしたか……。父を弔ってくれたうえに残りの荷まで運んでいただけるとは……。ありがとうございました」

 一通り話を聞き終えた男は、生き残った樹弘を責めず、丁重に樹弘に礼を述べた。誠実な男なのだろう。

 「いえ……。お父上を守れず、荷も奪われました」

 「無理からぬことです。それにしてもあの蘆士会の息子がそのようなことをするとは……。ああ、申し遅れました。私は厳侑と申します」

 樹弘です、と応じると、厳侑の顔はいつしか和らいでいた。

 「樹さん。ぜひお礼をさせてください」

 「お礼なんて……」

 「いえ、ぜひさせてください。そうでなければ、父も浮かばれません」

 「では、何か仕事をいただけますか?生憎、故郷でも仕事がありませんので……」

 「ふむ……」

 厳侑は考えるふりをして、じっくりと樹弘の身なりを観察した。樹弘は厳侑のことを誠実な男だと受け取ったが、厳侑の方でも樹弘のことを高く評価していた。

 『これは有徳の人だ』

 一度は賊から荷を守り、蘆明によって厳陶が殺害された後もその荷を奪うことなく、頼まれもしていないのにわざわざ泉春まで運んできたのだから、愚直なまでの誠実さと言わざるを得なかった。身なりこそ貧しかったが、そこに卑しさはなく、寧ろ清貧と言った方がいいかもしれない。

 『この人なら、任せられるかもしれない』

 厳侑は決心した。

 「実はここから南西に行った所に麦楊という街があります。そこにいる老人が下働きをする男性を探しておりますので、ご紹介しましょう。実は樹さんが届けてくれた書物も、その老人に頼まれたものなんです。ついでに運んでいただければ助かります」

 当然賃金はお支払いします、と厳侑は言った。樹弘は下働きでも構わないと思った。下働きでも何でも、今はとりあえず腰をすえた仕事をしたかった。

 「それでどういう方なんですか?」

 「お会いになれば分かりますが、気さくな方ですよ。ああ、そうだ。さらについでを頼まれていいですかね」

 厳侑は一度、店の中に引っ込んでからすぐに戻ってきた。

 「実は麦楊に戻る女性がいるので、ついでに乗せていって欲しいのです。今は留守にしていますが、直に戻ってくると思います。彼女もかの老人のことをよく存じていますので、色々とお聞きになったらよろしいでしょう」

 その女性とやらは明日にならねば戻ってこないらしい。ひとまず今晩は厳侑の店に泊まることになった。


 翌朝、厳侑の店前で出発の準備をしていると、厳侑がひとりの女性を紹介した。青い髪の若い女性であった。年の頃は樹弘よりも少し上であろうか。大きな眼鏡が印象的であった。

 「景蒼葉です。よろしくお願いしますね」

 景蒼葉はにこやかに笑った。

 馬車に景蒼葉の乗せた樹弘は麦楊を目指した。少し急げば、夜には麦楊に到着できるらしい。

 「麦楊はそれほど大きな街ではありませんが、道々が整然と区割りされていて非常に綺麗な街なんですよ」

 道中、景蒼葉はよく喋った。生来おしゃべりな性格なのだろう。樹弘が頼んでもいないことも教えてくれた。

 「それで私が訪ねる老人とはどういう人物なんですか?」

 「元亀様のことですね。甲元亀と言うんですが、ご存知ないんですか?」

 「生憎田舎の生まれなんで……」

 「ふうん……」

 意味ありげに樹弘をちらりと見た景蒼葉は言葉を続けた。

 「元亀様は泉国の重鎮、景家の家宰でしたが経綸の才があり、陪臣の身ながら国政にも参与された方です。相房の簒奪後は、麦楊で悠々自適な生活を送られています」

 要するに泉国のかつての高官であるらしい。樹弘からすれば蘆明以上の雲上人である。

 「そんな人の下で僕なんかが働いてもいいんですかね」

 「元亀様は今は君と同じ庶人ですよ。気にされることもありません」

 私もね、と付け足した。

 「蒼葉さんも?景蒼葉……景家……?」

 「ようやく分かったのね。私はかつての景丞相の娘よ」

 景蒼葉は意地悪く笑った。

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