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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
115/962

蜉蝣の国~35~

 伯淳は為政者としての階段を確実に上りつつあった。そのことが自分で分かるからこそ、伯淳はさらに為政者として自己を肥大させていくことに躊躇いがなかった。しかし、その肥大が他者に与えている影響を省みれないのが伯淳の幼さであった。

 「これはどういうことだ!僕は農業政策についての案を出すように言っていたのに、何一つとして朝議にあがっていないとは!」

 その日の朝議は伯淳の怒声から始まった。数日前から新しい農業政策の指針を出すように各閣僚に要請したいたのにも関わらず、誰も奏上しようとはしなかった。そのことが伯淳の逆鱗触れたのだ。

 「主上。一言に農業政策と申しましても様々な分野がございますので、今しばらくの時間が必要と存じます」

 伊賛は言葉こそ丁重であったが、内心では伯淳を侮り舌を出していた。伊賛だけではない。他の閣僚も伯淳の怒声に恐れている者などなかった。

 「それはおかしい。同日に官吏の敏氏からは具体的な政策があがってきている。官吏にできて閣僚にできない道理がない」

 この叱責には伊賛は密かに舌打ちした。最近、伯淳は閣僚を無視して下級の官吏に直接諮問し、政策を協議している。その筆頭が敏氏―敏達であった。伯淳を国主として恐れないが、無視されるとなると心中穏やかではなかった。

 『丞相は我であるぞ』

 という自負が伊賛にはある。しかも、伯淳を今の地位に着けたのも伊賛である。伊賛からすると政治を知るようになった今の伯淳は完全に煩わしい存在になっていた。

 『やはり挿げ替えるか……』

 後釜などどうにでもなる。依姫の一派が担ぎ上げようとした依姫の甥を引っ張り出すこともできるし、適当な親類縁者の男児を伯史の隠し子だと主張してもよかった。伊賛にとっては、国主などというのはその程度のものであった。


 伊賛がしたたかなのは、伯淳を廃するのに自らの手を汚さないように算段していることであった。自分が擁立したとはいえ、国主である少年に対して手を下したとなれば悪名がついてしまう。伊賛はその悪名を他者に押し付けようとしていた。選ばれたのは李炎であった。

 「これはこれは李将軍、ようこそおいでくださいました」

 伊賛の部屋に招かれた李炎は明らかに警戒していた。伊賛は兄である李志望と対立している相手である。警戒するのも無理からぬことであった。

 「お呼びでございますか、丞相」

 「端的に言う。近々、主上を廃する」

 事も無げに言ったので、李炎は驚きのあまり絶句していた。だが、すぐに反駁したり、伊賛を不忠者と非難しないところをみると、やはり李志望とは人の骨格が違うようであった。

 「それは……どういう意味で……」

 「そのままの意味だ、将軍。主上は最近我らを蔑ろにされる。このままでは政ができない。従って廃する。ついては将軍の力を借りたい」

 すでに伊賛は腹を決めていた。もはや国主など必要ではない。伯淳に泉国を攻めるようとしているという罪を被せ、それを理由に伯淳を討つのである。そのまま泉公に使者を出して伯国を攻めさせ、李志望をはじめとした邪魔者たちを排除してもらう。そして自分は伯国を併呑させた功績として旧伯国の都督となる。それが伊賛が考えた道筋であった。

 ようやく李炎に嫌悪の色が見えた。もし李志望であったなら、すぐさま伊賛を切り捨てていただろう。この鈍重さは志の低さを表していた。

 『こやつには信念に強固な筋がない』

 伊賛にとっては扱いやすい相手であった。

 「それは私に主上を斬れと申しているのですか?」

 李炎の顔色が青ざめ始めた。明らかに弑逆することを声に出しているにも関わらず、それを促した伊賛を責めなかった。伊賛は諾と頷いた。

 「お、お断り申し上げる!丞相も口を慎まれた方がよろしいでしょう。このことは聞かなかったことに致しますゆえ」

 「いつまでそう言われる?それでは兄上を越えられませんぞ」

 「兄を越えるなど……そのような……」

 「それに主上の傍におる柳祝なる女性に懸想しているとか。兄の上を行けば、自分の者にもできよう」

 今度は李炎の顔は真っ赤になり、目が泳いだ。伊賛は内心笑った。

 「逆に今のままでおればどうか。柳祝なる女を手にできないだけではなく、そのことが公になれば、醜聞として将軍の禍根ともなりましょう」

 伊賛は明らかに脅していた。協力しなければ柳祝に懸想していることをばらすと言っているのである。李炎が単なる利だけで動くとは思えなかったので、この手はまさに有効であった。

 「主上を廃し、李志望を打てば、国軍をお任せできるのは将軍しかおりません。そうなれば、誰が将軍の行為に異を唱えられるだろうか」

 よくよくお考えあれ、と結んだ伊賛であったが、李炎がすぐに口を開いた。

 「それは丞相だけのお考えでしょうか?」

 「私だけではない。閣僚の一致した意見だ」

 半ば本当であり、半ば嘘であった。一部の閣僚は伊賛の行いに賛同しているし、他の閣僚も事が起これば伊賛に賛同するであろう。李炎がそのことを気にしたとなると、事は成ったも同然であった。

 『あとは泉公に使者を出す。泉公に伯国を併呑してもらえれば、我が都督になれる』

 伊賛は不安に顔をゆがましている李炎を密かにあざ笑いながら、我が世の春が続くことを確信していた。

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