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七国春秋  作者: 弥生遼
蜉蝣の国
102/958

蜉蝣の国~22~

 桃厘を出た紅蘭と樹弘は伯国へと入った。

 国境の警備は厳しいと思っていたのだが、ほぼ無人の平原を行くようにして伯国の地を踏むことができた。途中、すれ違うようにして流民の群れに出くわしたが、彼らも関守に追われている様子もなく、

 『一応、偽名を使ったほうがいいんじゃないか?流石にここで樹弘はまずいだろう』

 紅蘭にそう言われ、樹弘は夏弘と名乗ることにした。夏という姓を用いたのは、母の名前から取ったのである。

 「もうここは伯国なのか。関所も何もなかったから分からなかったけど……」

 「そのはずだが……国境には嶺門という邑があるはずだ」

 紅蘭は地図を広げたが、近くに目印になるようなものはなく、現在地が分からなければ地図も意味がなかった。

 「もう夜だ。このままじゃ野宿になってしまう」

 「とにかく街道を見つけよう。伯に入りさえすれば、関所のことなんて気にしなくていいから、街道に出ても大丈夫だろう。私の勘ではこっちが街道だ」

 紅蘭は地図を折りたたみ、ずいずいと歩き出した。仕方ないので樹弘も続こうとすると、背中の泉姫の剣が語りかけてきた。

 『主よ。近くで物音がします』

 そう言われて樹弘も耳を済ませてみた。泉姫の剣の能力のおかげで、樹弘の聴覚は数倍向上していた。

 「こっちか……。馬車が近づいてくる?」

 『馬車だけではありません。普通の騎馬も数騎……。かなりの速度を出していますね』

 泉姫の剣が正しいとすれば、それなりの集団であろう。そうなるとそちらが街道である可能性がある。ちなみに紅蘭が歩き出している方向とは反対であった。

 「どうしたんだ、じゅ……じゃなかった夏弘」

 「こっちから物音がするんだ。どうにも騒がしい」

 「うん……?私には全然聞こえないが」

 「こっちか!」

 樹弘は駆け出した。物音の激しさからすれば、その馬車の一隊が尋常な状況とは思えなかった。

 樹弘が向かわずとも、馬車の方がこちらに突っ込んできた。驚くことに馭者がおらず、完全に暴走していた。その暴走馬車を追うようにして数騎の騎馬が走っていた。騎馬に乗っている者達の中には剣を抜き身で持っている者もおれば、弓を構えている者もいる。明らかに馬車は狙われていた。

 『助けないと!』

 樹弘が泉姫の剣を抜いた時であった。馬車の馬が足を崩し転倒した。引いている馬車も横転した。馬車の外灯が音を立てて壊れ、ぼっと炎が広がった。おかげで周囲が少し明るくなった。追っていた騎馬も馬車の周りに止まり、馬車の中から女性と子供を引きずり出そうとした。もうこうなれば間違いなく盗賊に襲われていた。

 「紅蘭はここで待ってろ!」

 樹弘は声を出して賊の注意をこちらに向けた。相手は五人だろうか。樹弘の存在に気がついたらしく、二騎がこちらに向かってきたが、その動きは泉姫の剣の力を得た樹弘にはあまりにも緩慢に見えた。二騎の間をすり抜けるように駆け抜けた樹弘は、騎乗している賊を馬から叩き落した。そしてそのまま馬車から女性と少年を引きずり出そうとしていた賊を蹴り飛ばした。手首を掴まれていた女性は、きゃっと悲鳴を上げて転倒している馬車の上に倒れた。少年は、わあわあ泣きながら馬車の中に隠れた。

 「そのまま隠れてろ!」

 他の二人の賊は呆気に取られているようだった。樹弘の素早さは彼らにとっては一瞬の出来事なので、何が起こったかまるで分からなかったのだろう。気がつけば仲間が三人ものされていたのだ。

 「貴様!何者だ!」

 残った賊の一人が剣を抜いて樹弘に突きつけようとした。しかし、それよりも早く樹弘は泉姫の剣で賊の剣を弾き飛ばした。

 「無駄なことをするな!お前達が元気なうちに仲間を連れて帰ったほうがいいんじゃないか?」

 先に落馬した二人は、呻き声を上げながらもがき苦しんでいる。残された賊は、ちらっとそちらを見ると、舌打ちをして馬車から離れていった。倒れている二人を馬の背に乗せると、そのまま夜の闇に消えていった。

 「大丈夫か?」

 樹弘は改めて中をのぞいた。女性が少年を抱くようにして縮こまっていた。

 「大丈夫です。ありがとうございました」

 女性が顔を上げた。息を呑むような美女であった。まるで美人画からそのまま出てきたような容姿をしていて、樹弘は暫し見惚れていた。

 「夏弘。無事か?」

 遠くから聞こえてきた紅蘭の声に、樹弘は我に返った。僕は無事だ、と樹弘は叫び返した。

 「とりあえず外に出ましょう」

 樹弘は手を伸ばした。女性がその手を握った。冷たくも柔らかい感触がした。

 

 思いがけぬ形で樹弘と柳祝は出会ったのだが、樹弘は柳祝の名を完全に忘れており、柳祝もこの青年がまさか自分が献じられようとしていた樹弘であるとは思っていなかった。

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